第六十七段 花のはやし
【本文】
むかし、男、逍遥しに、思ふどちかいつらねて、和泉の国へ二月ばかりに行きけり。河内の国、生駒の山を見れば、曇りみ晴れみ、たちゐる雲やまず。朝より曇りて昼晴れたり。雪いと白う木の末に降りたり。それを見て、かの行く人のなかにただ一人よみける。
きのふ今日雲のたちまひ隠ろふは
花のはやしを憂しとなりけり
【現代語訳】
昔、ある男がのんびりそぞろ歩きをしようと、気の合う親しい友達と連れだって、和泉国に二月頃に行きました。河内国にある生駒山をみると、曇ったり晴れたりして、雲がまるで立ったり座ったりしているようで絶えず動いていました。朝から曇っていましたがお昼ごろになって晴れました。みると、雪がたいそう白く木の梢に積もっていました。それを見て、一行の中でただ一人、その男は次のような歌を詠みました。
昨日も今日も雲が立ち上がって舞うようにして絶えず動き回って、その中に山の姿を隠していたのは、雪を被って花の林のようになっているのを人に見せるのをいやがっていたのでしょうね。
【解釈・論考】
和泉国は今の大阪府の南西部で和歌山県に接するあたりです。河内国は今の大阪府の東部、奈良県に接するあたりです。和泉国に行こうとする途中で、摂津国の生駒山を眺めたということなのでしょう。逍遥というのは現代では耳慣れない言葉になっていますが、のんびりぶらぶら歩く、散歩する、そぞろ歩きをする、といった意味です。前の段でご説明した通り、現在の大阪府の中西部は入り江から変化した湿地帯であり、京の人が和泉国へ行くには生駒山の麓を緩やかな弧を描くように進んでいきました。
この段の和歌は、木々の梢に降り積もった雪がまるで花のように見えるといったところにまず見立ての美しさがあります。それを雲が人に見せたくなくて隠そうとしていたのだ、と擬人化することによって、この情景の一種の神々しさがよく表されています。上の句で「きのふ今日」「隠ろふ」と韻を踏んでおり、すらりと四句目に繋げることで「花のはやし」というこの歌の特別な表現がひときわ目立つようになっている点も見事です。
旧暦の二月は現在の暦では二月下旬から四月上旬に相当します。東京大学 大気海洋研究所の調査によると、平安時代の初期は現代に次いで温暖な時期であったとも言われています。それだけに、この数日の雲の動きと気温の低下は殊更珍しかったのでしょう。この段の物語文の描写は天候の移り変わりの見たままを叙述している風味であり、話と歌のそれぞれに説得力があります。




