第六十四段 玉すだれ
【本文】
むかし、男、みそかに語らふわざもせざりければ、いづくなりけむ、あやしさによめる。
吹く風にわが身をなさば玉すだれ
ひま求めつつ入るべきものを
返し、
とりとめぬ風にはありとも玉すだれ
誰が許さばかひま求むべき
【現代語訳】
昔、ある男が、(好意を寄せている女がいたが)ひそかに逢って語り合うこともできず、女の所在もどこにいるのか分からなくなってしまって、次のような歌を詠んだのでした。
私のこの身を吹く風に変えることができたなら、貴女のお部屋の玉簾の隙間を吹き抜けて中へ入っていきますのに。
女は次のような歌を返しました。
たとえとらえようのない風だとしても、誰が許したら玉簾の隙間を探し求めることができるというのでしょうか。誰もそんなことは許しませんよ。
【解釈・論考】
この段は、二条后(藤原高子)の恋の後日談という風に解釈されることがあります。この段においては「玉すだれ」が皇族を暗示するとも考えられています。「玉」は美称で、美しい立派な簾という風に解釈できます。物語文の「いづくなりけむ、あやしさに…」は、第四段(「月やあらぬ」)で「ありどころは聞けど、人のいき通ふべき所にもあらざりければ…」を想起すると状況を理解しやすいかでしょう。彼女は女御として天皇の傍仕え(後世の言葉で言えば側室にあたります)をする身となっていました。そして平安貴族の男女は、祭りか遊びか何かの饗宴の際に使用人に託して歌の贈答をすることができました。そのため相手の居所は分からなくても歌を贈ることはできたのです。
男の歌の「ひま」は隙間のことです。男はこのような歌を詠みつつも本当に女を探し求めて部屋に入っていくような不躾なことはしません。まさしく風のようにさらりとした懐旧の情を感じられる歌です。女も、部屋に入ってきてはダメですよという意味を歌の中にやんわり込めています。おっとりとした箱入りのお嬢様だった人ですが、彼女ももはや殿上人です。立場を弁え、男の侵入を許すことはしません。
お互いに大人になった二人のやり取りの歌ですね。




