表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/132

第六段 芥川

【本文】

 むかし、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、かろうじて盗みいでて、いと暗きにきけり。芥川といふ川を率ていきければ、草のうへに置きたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。ゆくさきおほく、夜もふけにければ、鬼あるところとも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓、(やな)ぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。あなやといひけれど、神鳴るさわぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率てこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。


 白玉か何ぞと人の問ひしとき

   露とこたへて消えなましものを


 これは、二條の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ()らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて后のただにおはしける時とや。



【現代語訳】

 昔、ある男がいました。とある高貴な女と許されない恋を続けていましたが、とうとう二人は駆け落ちをして逃げてきたところ、辺りはだんだん暗くなってきました。芥川という河を渡ったところで、草の上に夜露がきらめいているのを見て、女は「あれは、なあに」と男に問いかけますが、男はそれに答える余裕もありません。行き先はまだ遠く、夜も更けてきました。雨がはげしく降りだし、雷さえ鳴ってくる中、たまたま荒れ果てている蔵を見つけました。そこはなんと、鬼が住まう場所だったのですが、そうとも知らずに女を奥に押し入れて、弓矢を構えて戸口で守っていました。そろそろ夜も明けてくるだろうか、という頃に鬼が現れて一口で女を食べてしまいました。「ああ!」と女の悲鳴があがりましたが、雷の鳴る音にまぎれて男には聞こえません。次第に空が明るくなってきた頃、ほっとした男が振り返ると、女はいなくなってしまっていました。何が起きたか悟った男は足踏みをして涙を流しますが、どうすることもできません。


 「あれは、なあに」とあの人が問いかけてくれたとき、「白露だよ」と答えてそのまま露のように私も消えてしまえばよかったのに(そうしたらこんなにも辛い思いをしなくて済んだのに)。


 これは、二条の后が従妹である女御、藤原明子(あきらけいこ)のお屋敷で、宮仕えをするようにして暮らしていたのを、大変美しい方であったために主人公が連れ出して行ったときの話です。彼女の兄の藤原基経、国経らがまだ身分が低い頃で、宮中に参内する途中、屋敷の人が泣いている騒ぎに気づき、二条の后を取り返したというのが真相のようです。それをこのように鬼と言い換えたのです。まだ皆様方がお若く、后も普通の身分でいらっしゃったときのことです。



【解釈・論考】

 とても有名な段で、国語の教科書に取り上げられることもありますね。「芥川」は今の大阪府高槻市に同じ名前の河川が残っています。伊勢物語が記す芥川と、高槻市のそれが同一であるかは定かではありません。

 さて、この段を鑑賞するとき、まず最初に「これは、二條の后の」以降の末尾の文の内容を頭から消し去ったほうが良いと思われます。その上で文学的にこの段を評価したとき、鬼に女が喰われるというサディスティックな描写が印象に残ります。


 早速ですが話に入っていきましょう。第四段で主人公は、過去に愛する女と過ごした時間を思い出し、悲しみの歌を残します。この第六段は、どのようにして女と引き離されたのかを詳しく説明する内容となっています。

 この段は、認められない恋をしている男女が逃げてくる場面から始まります。「かろうじて盗みいでて」の一言が端的に主人公の内心の焦りを表しているかのようです。辺りは徐々に暗くなり、追手がやってくるのかもしれない状況。そんな中、芥川のほとりで女は草むらに煌めく光をみて「あれは、なあに」とあどけなく訊くのです。この一言がすごい。家から男と逃げて、夜も差し迫って暗くなっている中、草を濡らす夜露、それをみて「あれは、なあに」ですよ。おっとりお嬢様、世間知らずにも程がある。カマトトだとかぶりっ子だとか言う人もいるでしょう。いや、でもここは僕は天然である説を推したい。

 ここで少し長くなりますが、「あれは、なあに」の一言に対する俵万智の叙述を引用します。


『……だから、愛の殺し文句は、どんなプレゼントよりも、愛を永遠にする。もちろん、それが殺し文句として、ちゃんと相手の胸を刺せばの話ではあるけれど。

「あれは、なあに?」ーーーこれだって、使われ方によっては、現代の恋愛の場面で、再び殺し文句になる可能性は、ある。本当に純真で素直な心から、本当に相手を信じきって頼りきって尊敬しきって発せられたとしたら、なかなか美しく魅力的なセリフだろう。

 が、下手に相手の気をひこうとか、無垢なふりをしようとか思ったら、もうダメ。それはイヤミなカマトトか、単なるバカになってしまう。

「あれは、なあに?」ーーーこの言葉が、実に危ういバランスを保って、殺し文句として生きている第六段。この段の魅力は、この一言に集約されると言っても過言ではないだろう。』

(俵万智『恋する伊勢物語』より)


 つまりは天然、ピュア、男を信頼しきっている関係性なのだ、と。だからこそ、この台詞がまず光っているのだ、ということですね。この「あれは、なあに」の一言に対する男の反応はこの時点では本文には描写されていません。ここが伊勢物語が素晴らしいとされるところで、叙述と沈黙を巧みに使い分けているのです。


 そうこうしているうちに夜は更けてしまいました。雨も降り出し、雷も鳴ってきてしまっています。まるでホラー映画のように状況は1つずつ悪化します。しかも、その描写の前、見逃せない一言をさらっと述べています。「鬼あるところとも知らで」と。ぽっつりと、怪異の存在が示唆されるのです。

 そうとも知らない男は女を蔵の奥に入れ、自分は弓矢を構えて一晩中戸口で外を警戒します。この描写は、男が完全に女を宝物のように扱っていることが伺えます。夜明けの時間も近づいてきました。男は昨日からまったく休むことなく女を守り続けていたのです。それほどまでに大事な、あどけなく、自分を信じてついてきてくれた、宝物のように愛する女を、どこからともなく鬼が現れて一口で食べてしまうのです! この物語の悲劇はそれだけに留まりません。「ああ!」と女は小さく悲鳴をあげたことにも男は気が付かなかったのです。1番大切な存在が食われている、その瞬間に気が付かなかったのですよ。実際に目撃して、まったく相手に敵わなかった場合よりも更にタチが悪い。夜明けと共に何が起きたか悟った男は、自分の迂闊さ、無力に気づき、のたうち回る程に嘆くのです。


 白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを


 「あれは、なあに?」と女が聞いたとき、男は返事をすることもできなかったという情景は、最後のこの和歌で示唆されているのです。「あれは、露だよ」と優しく答えてあげればよかったのに! そのまま露のように儚くなってしまいたかった! という男の絶叫そのままの、そういう歌なのです。


 蛇足を承知で「二條の后の」以降の文についても一応言及しておきましょう。この部分で女が藤原高子であり、鬼の正体は彼女の兄達であり、藤原氏の家へと連れ去られてしまったことを説明しています。この文章はおそらく後世の人が付け足した文章であろうと考えられています。

 伊勢物語は、印刷技術のない時代の作品ですので、その普及に際しては書物として書き写す必要がありました。その書き写しを何回も行っている過程で、誰かが「ここは状況説明のためにちょっと言葉を足した方がよさそう」などと気を回し、付け足しされた文章も多くあるようです。こうして時代と共に伊勢物語は「生長」していきました。

 「二條の后の」以降の文も、そういった文の一つでしょう。物語性を考えると蛇足であるように思われますが、この文がなかったら一種の怪奇談になっているところを、この文があるからこそ第四段との整合性を取ることができるのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ