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第五十四段 つれなかりける女
【本文】
むかし、男、つれなかりける女にいひやりける。
行きやらぬ夢路をたのむ袂には
天つ空なる露やおくらむ
【現代語訳】
昔、ある男が、冷たい態度をとっていた女に次のような歌を贈りました。
現実にはどうあっても貴女にお逢いすることができなくて、せめて夢の中でお逢できたらと思って夜を過ごすけれど、目覚めてみると大空の露が降りてきたのかと見間違うほど私の袂は涙に濡れています。
【解釈・論考】
この段の歌は『後撰集』恋一に詠み人知らずとして「行きやらぬ夢路にまどふ袂には天つ空なる露ぞおきける」という類歌があります。伊勢物語では話の内容に合わせて出典の歌を少し改変することがままあります。
「夢路にまどふ」でもこの話には合っているように思われますが「夢路にたのむ」とすることで、夢でしか恋しい人に逢えない、なんとかして逢えるように頼みたいといった片想いの恋心がより一層切々として表れているように感ぜられます。
この第五十四段から五十七段までの四つの段は、それぞれ報われない恋をテーマにした短い段になっています。




