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第四十二段 誰が通ひ路と

【本文】

 むかし、男、色ごのみと知る知る、女をあひ言へりけり。されど憎くはたあらざりけり。しばしば行きけれど、なほいとうしろめたく、さりとて、行かではたえ有るまじかりけり。なほはたえ有らざりける仲なりければ、二日三日ばかり障ることありて、え行かでかくなむ。


 出でて来し跡だにいまだ変らじを

   誰が通ひ路と今はなるらむ


もの疑はしさによめるなりけり。



【現代語訳】

 昔、ある男が、(ある女が)色好みであるとは知りながらその女と愛し合っていました。女は色好みではありましたが、男ずれして憎らしい風には思われないのでした。足しげく通って行きましたが、やはり女の浮気心が心配で、そうは言っても行かずにはやはりいられないのでした。その後も通わずにはいられない仲であり続けましたが、あるとき二日か三日ほど事情があって女のところへ通っていけない日ができたとき、次のような歌を詠みました。


 貴女の家から帰ってきた私の足跡がまだ変わらず残っているだろうに、誰か他の者(男)の通う恋路に今はなっているのではないでしょうか。


なんとなく信じられないような心持ちで詠んだものでした。



【解釈・論考】

 物語文がともすれば冗長にも感じられるほど、女の浮気心を強調しており、そうは言っても割り切れもしないし関係をお終いにすることもできない男の心の揺らぎが表現されているようです。

 この段に限らず、伊勢物語ではさまざまな「色ごのみの女」に思い悩む男の様子が描写されています。「色ごのみ」というのは、現代の我々が想像する好色という意味合いよりは(そういった意味合いが含まれることも否定はしきれあせんが)、どちらかといえば複数の異性から言い寄られることのある者、と捉えるほうが正確であるようです。先の段で解説しました通り、平安時代初期の婚姻では妻問婚の形式もまだ残っておりました。複数の女性と関係を持つ男性がいた一方で、複数の男性と関係を持つ女性もまたいたものと考えられるのです。

 つまり「色ごのみの女」はそれだけ魅力的な女性であった、ということにも繋がるのです。色ごのみは平安時代においてもなお誠実な振舞いではない、社会通念上よろしくないものと捉えられていた節がありますが、一方で伊勢物語の中では色ごのみであるからこそ男は夢中になってしまう、といった姿も描写されています。この点、「(ひな)びた」ものに対する一貫して批判的な目線とは異なるものがあります。

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