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第三段 ひじきもの

【本文】

 むかし、男ありけり。懸想じける女のもとへ、ひじき藻といふものをやるとて、


 思ひあらば(むぐら)の宿に寝もしなむ

   ひじきものには袖をしつつも


 二條(原文まま)の后の、まだ帝にも仕うまつり給はで、ただ人にておはしましける時のことなり。



【現代語訳】

 昔、ある男がいました。好きだった女の人へ、贈り物としてひじきをあげることにしました。その時にこんな歌を一緒に詠んで贈りました。


 私のことを思ってくれるなら、(やぶ)の茂るあばら屋でも一緒に寝て欲しい。寝具には着物の袖を使うなりしてでも。


 二条の后が、まだ妃として帝にお仕えにする前の、ただの人であった頃のことです。



【解釈・論考】

 女の人へあげるプレゼントでひじきって……と思われるかもしれませんが、この時代の海産物は高級品です。そしてひじきは、伊勢神宮にお供えする御神饌(ごしんせん)(神様の食事のこと)の一つでもあり、高級品でした。平安京は内陸部の都市であり、海産物は珍重されるものでした。京で貴族たちが手に入れる海産物は、若狭で採れたものを鯖街道経由で輸送されたものか、明石や須磨で採れたものを山崎街道を経由して輸送されたもの、伊勢湾で採れたものを中山道などから輸送されてくるものが多かったようです。中でも伊勢は上質の海藻類が採れる場所で、時代は随分下りますが江戸時代には「伊勢ひじき」は、「日高昆布」、「鳴門若布」、「品川海苔」などと並んでブランド品として扱われていました。この段のひじきも、ひょっとしたら伊勢産のものであったかもしれませんね。

 ここで男が贈った歌の中の「引敷物(ひじきもの)(すなわち寝具)」は、「ひじき」という言葉を隠しています。このように歌の中にある言葉を隠し入れておく技法を「物名(もののな)(ぶつめい、とも)」と呼びます。掛詞が一つの言葉の中に2つの意味を入れておき、歌の意味にも反映させるのに対して、物名はあくまで隠しテーマのように扱われます。


 この歌でも、あくまで主題は情熱的な恋の歌です。ボロ屋で着物を敷いて一緒に夜を過ごそうというアプローチは、尾崎豊の「I love you」の歌の世界観みたいなものだと思えば、ロマンチックな情景です。さて、そんな情熱的な歌を贈られた相手の女ですが、段の末には「二條の后の…」と、人名を特定できる情報がさらりと挿入されています。


 二条の后、本名は藤原高子(ふじわらのたかいこ)。序盤の情熱的な恋のエピソードのヒロインです。この第三段から第六段までは、彼女との恋愛の話です。その名の通り貴族の名門・藤原氏の令嬢でした。藤原氏は、もともとは大化の改新で中大兄皇子を援けた藤原鎌足を祖先とします。その後、中大兄皇子が天智天皇となると、天皇の有能で忠実な臣下として活躍します。鎌足が死去する直前に藤原氏へと氏の名が代わり、これがその子の不比等に受け継がれ、その後は代々藤原氏として続きました。もともとは権力基盤をほとんどもたなかった藤原氏ですが、その有能さと、娘を天皇の后として送り込み皇子を産ませて外戚となる、いわゆる外戚政治を駆使した関係づくりによって有力貴族となりました。伊勢物語の時代には他に(たちばな)氏、()氏、大伴氏(9世紀前半にとも氏へと改称)らが有力貴族として挙げられます。

 そんな藤原氏の令嬢ですから、高子は将来は天皇の傍に仕えることが半ば定めとなっていました。藤原氏の屋敷で、それはそれは大事に守られて育てられていたのです。その高子に主人公は恋をします。出会いのきっかけは定かではありません。この段に書かれているように贈り物に付けた贈答歌からやり取りがはじまったと推測するのも素敵ですね。深窓の令嬢と天皇家の血を引く主人公の恋は、いつの時代も読者の胸を打ち、現在に至るまで語り継がれています。


 さて、この段の女が深窓の令嬢であったことをご説明しました。整った屋敷に、召使、着物も寝具も食事も何不自由ありません。それと引き換えに、外の世界を知らずに彼女は育てられてきました。言葉を変えて言えば「籠の中の鳥」でした。そんな女の人に、主人公は「俺のことが好きならさ、ここを出ていこうよ。ぼろぼろの家かもしれないけどさ、二人で一緒に過ごそう」と、そう伝えるのです。きっとこの言葉から二人の恋は始まったのでしょう。少なくとも物語の世界では。伊勢物語の二条の后との恋のエピソードが、この段から始まったことにはそういった意味があると、僕は思います。


 なお、歴史上の業平と高子は十七歳の年齢差があり、業平の方が年上です。実際の年齢差を飛び越えて恋愛関係を成立させてしまうのは物語の醍醐味といえるでしょう。それでは更に段を読み進み、二人の恋愛がどのように展開していくのかをみていきましょう。

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