第三十二段 しづのをだまき
【本文】
むかし、ものいひける女に、年ごろありて、
いにしへのしづのをだまき繰りかへし
むかしを今になすよしもがな
といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。
【現代語訳】
昔、いっとき関係をもっていたが仲が絶えていた女に、何年か経ってから
古代の倭文織りの糸巻のように、繰返し引き戻して、昔を今にもどすことはできないものでしょうか。
と歌を詠んで贈りましたが、女の心には響かなかったようで返事もくれないのでした。
【解釈・論考】
モテる男として描かれることの多い主人公ですが、めずらしく空振りしている段です。どんなモテ男でも成功率100%というわけにはいかないということでしょう。
この段の歌は、『古今集』雑上888に「古の しづの苧だまき いやしきも よきもさかりは ありしものなり」という歌から創作されたものだろう、と考えられています。倭文は古代の織物であり、「いにしへの」と「しづ」が縁語の関係になっています。そして「しづのをだまき」が「繰りかへし」を導き、下の句の「むかしを今に…」へと連鎖していくのです。たいそう技巧的で、それでいて厭味がなく良い歌であるように思われますが、女の心には響かなかったようです。女は女で、今の生活に満足しており、男とのアバンチュールを選ばない冷静さもまた、この段の面白さですね。
時代は下って鎌倉時代、源義経の妻・静御前が鎌倉側に捕らえられた際、この歌の初句だけを「しづやしづ」と変えて頼朝の前で白拍子の舞を舞ったという伝説が残されています。この話は「賤の苧環」という題で江戸時代、長唄にもされており、日本舞踊の題材にもなっています。
時代を越えて愛唱された秀歌だったということですね。




