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第三十一段 つみもなき人を

【本文】

 むかし、宮の内にて、ある御達(ごたち)の局のまへをわたりけるに、なにのあたにか思ひけむ、「よしや草葉よ、ならむさが見む」といふ。男、


 つみもなき人をうけへば忘れ草

   おのがうへにぞ生ふといふなる


といふを、ねたむ女もありけり。



【現代語訳】

 昔、宮中である身分のある女性の部屋の前を男が通りがかったところ、何の恨みがあるのか、「まぁよい、この草葉のような者が今後どのようになっていくのか、見ものだわ」と言われてしまいました。男は、


 何の悪いこともしていない、罪もない人をのろってその不幸を祈るような言葉を言っていると、忘れ草が自分の身に生えて人に忘れられてしまいますよ。


と詠んだので、そのことを妬む別の女もいたのでした。



【解釈・論考】

 「御達」というのは宮中の女官の中でも地位も経験も高く、そして主人から重用されているような人でした。第十九段(「天雲の…」の歌の段)でも御達とのやり取りの話がありましたが、この段はそれと関連性があるかどうかは不明です。第十九段は、同じ職場で働いている男女が付き合ってそして別れましたが、女には新しく通ってくる男がいるのに元の男をうらめしく思う歌を詠み、男はそれをさらりと躱す歌を詠んだ、というお話でした。第十九段と関連すると考えた場合、男がこの御達にうらまれていることも納得しやすいですね。


 女の台詞はのっけから嫌味ですが、これは『続万葉集』の「忘れゆくつらさはいかにいのちあらばよしや草葉よならむさがみむ」という歌を本歌として踏まえたものであろう、という指摘が古来よりされています。嫌味ひとつとっても教養の深さが窺えます。


 この段の歌についてみていきますと、ここでは女の台詞の「草葉」をうけて「忘れ草」をもってきています。そして第十九段との関連性を念頭においてみてみると、男が「つみもなき人を…」と歌い出しているのも納得がいくところです。そりゃあ、別れた相手のことなど特に気にせず振舞うのは当然のことでしょう。

 ところが、この「つみもなき人を…」の歌い出しから、「そんな風に言うのは、あの男の人は御達の女の人のことが好きなんだ!」と勘違いをした人が現れます。それが話の最後に出てくる「ねたむ女」です。おそらくフリーになった男を狙っている女がこのやり取りを何かの機会に耳にしたのでしょう。


 個人的な感想ですが、この段はどことなくどたばた感があるように思われます。歌も忘れ草が「おのがうへにぞ生ふ」というあたり、なんだか はなかっぱ みたいだなと思ってしまいました。

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