第二十六段 唐土舟の
【本文】
むかし、男、「五條わたりなりける女をえ得ずなりにけること」と、わびたりける人の返りごとに、
思ほえず袖にみなとの騒ぐかな
唐土舟のよりしばかりに
【現代語訳】
昔、ある男がいました。「五条のあたりに住んでいた女と、恋に結ばれることができませんでした」と、失恋の悲しみを伝えた友人からの手紙の返事に、
思いがけなく、袖に港の波が騒ぎ立っているようです。異国の舟が寄ってきたばかりに。
【解釈・論考】
短い段ですが、「五條わたりなりける女」が二条后(藤原高子)であると推定してよさそうです。話の流れとしては、男が友人に失恋の悲しみを伝える手紙を書く、友達から返事がくる、それに対して歌を詠む、ということです。という訳で、この歌を詠んだのは主人公の男です。
歌の解釈としては、まず「袖にみなとの騒ぐかな」で、袖が涙に濡れていることの比喩表現にもなっています。あるいは、「自分の心が騒いでいました」という意味にも受け取ることもできるかもしれません。
「唐土舟のよりしばかりに」の部分は、僕は二条后との恋愛自体を指しているんじゃないかな、と考えます。第四段のところでご説明した通り、彼女との恋は、政治的に対立する勢力の狭間でひっそりと育まれた恋でした。ですので、最初の時点では恋してはいけない相手だと認識していたわけです。それが、思いがけず恋になってしまった。そんな風に意外に始まった恋、自分の心を大きく揺らがした恋、色んな思い出が詰まった恋であったことを、この歌では「思ほえず」「唐土舟」といった言葉で表しているようです。
なお「唐土舟」の喩えを思いついた経緯については不明です。手紙の相手が遣唐使船の関係者かとも思いましたが、伊勢物語の背景となっている九世紀のこの頃には遣唐使船はあまり送られなくなっていました。承和五年(838年)発、同六年(839年)帰国のものを最後に遣唐使は停止されているのです。ひょっとしたらこの段は、もはや伝説となった遣唐使船に思いを馳せて創作された話なのかもしれません。




