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第二十五段 みるめなき

【本文】

 むかし、男ありけり。逢はじとも言はざりける女の、さすがなりけるがもとにいひやりける。


 秋の野にささわけしあさの袖よりも

   逢はで寝る夜ぞひぢまさりける


色ごのみなる女、返し、


 みるめなきわが身を浦としらねばや

   かれなで海人の足たゆく来る


【現代語訳】

 昔、ある男がいました。好意を持っていた女がいましたが、女は男の誘いを断りはしないものの、いざとなると逢おうとはしないのでした。男は次のような歌を贈りました。


 秋の野の笹を分けて帰っていく朝、私の袖が露に濡れますが、それよりも貴女に逢えずに寝る夜の方が涙でいっそうひどく濡れてしまいます。


風雅な女は次のような歌を返しました。


 ここは海松藻(みるめ)(海藻のこと)の生えていない浦だと知らないのか、漁夫は足がだるくなるまで通って来ますね。逢おうともしない私をいやな女だとは思い知らずに、あの人はしげしげと通って来るのでしょうか。



【解釈・論考】

 『古今集』恋三にこの二首が並んで載っています(622、623)。前者は在原業平の作で、後者は小野小町の作とされています。研究者の学説では、この二首は贈答歌というわけではなく、もともとは無関係の歌であったのだろうと考えられているようです。それが古今集に並べて収められていることに注目した誰かが話を創作して、物語に加えたのでしょう。


 一首目の歌はそのまま鑑賞できますが、言葉の切り取り方が見事です。「涙」という言葉も「かなしい」という言葉も使わずに、女に逢えない夜の悲しさを情感たっぷりに詠み込んでいます。「その心あまりて言葉たらず」という『古今集』の業平評はこの歌からも見てとれるところですね。

 二首目の歌は技巧的です。海藻を表す「海松藻」と「見る」、「身を」と「水脈(みお)」、「うらめしい」と「浦」、「来る」と「(縄を)操る」が掛詞になっています。海松藻、みを、浦、海人、繰る、がそれぞれ縁語になっています。つまり掛詞が縁語を導き、縁語は掛詞を導く、という風な歌の作りになっています。掛詞と縁語はそれぞれ海の情景か、見込みのない恋に熱心な男のどちらかを表しており、二つの意味は歌の中で表裏の関係になっているのです。まるで女性が建前と本音を使い分けるような、そんな複雑さのある歌ですね。

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