第二段 雨の後朝
【本文】
むかし、男ありけり。平城の京ははなれ、この京はは人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それを、かのまめ男、うちものがたらひて、かへりきて、いかが思ひけむ、時は三月のついたち、雨そほふるにやりける。
起きもせず寝もせで夜をあかしては
春のものとてながめ暮らしつ
【現代語訳】
昔、ある男がいました。都はすでに奈良の地から立ち退きましたが、京の都はまだ人家が定着していなかった頃のことです。西の京、つまり右京に女の人が住んでいました。彼女は世の中の人と比べて容貌が優れて美しい人でしたが、心映えの方は容貌よりもさらに優れていたのです。そして、恋人がいないわけでもなかったようです。それなのに、あの生真面目な男(=主人公)はその人と色々長い間話し込んで、ついには夜を過ごしてしまいました。翌朝、自分の家に帰るとき、どういう心境だったのでしょうか、時は三月一日、雨がしとしとと降っている中、次のような歌を彼女に送りました。
昨夜のことは起きるでもなく、かといって寝るでもないような心地で、今日はそのまま一日中春の長雨を眺めつつぼんやりと過ごしてしまいそうです。
【解釈・論考】
初段と第二段の記述から、時代背景が平城京から平安京へ移って間もない頃であることが分かります。九世紀初頭とみられます。
平安京は大内裏を中央最北とし、そこからまっすぐに京の中心を南北に貫く路を朱雀大路と呼びました。朱雀大路から西側は、大内裏から眺めると右手に位置するので右京と呼ばれ、東側は左京と呼ばれました。左京の方が右京よりも土地がやや高かったため、「人の家さだまる」に従って平安京のにぎわいは左京中心になっていきました。現在でも、左京には大丸や錦商店街があるのに対し、右京には大学や病院、住宅街が広がっていることなどを思えば、場所の雰囲気の違いというのをなんとなくイメージできるでしょうか。古い絵図や研究資料などをみても平安京の主要な建物が、やや左京に多くみられます。
さて、場面の情景ですが、春のうららかな「もとの京」での初段とは対照的です。春雨ふりしきる京の朝、世間でも評判の高い女性と一夜を過ごした主人公はぼんやりと帰途につきます。男女の契りを交わした朝、男性から女性に送る歌を「後朝の文」と言い、平安貴族にとっては大事な儀礼でした。なぜならこの時代の結婚は、男女が居住を共にする形式以外に、妻問婚といって男性が女性の家へ通って過ごすスタイルの婚姻形態があったからです。この婚姻形態は、主に女性の方の家柄が立派である場合になることが多いようです。なので、男性は恋人と離れたあと、その女性の心を繋ぎとめておくべく、愛情溢れる手紙と歌を、なるべく早急に贈るという習慣が成立したのです。
では、この段の歌をみてみましょう。上の句からは蕩けるような時間であったことが窺えます。夢うつつだったと言ってもいいでしょう。あえて言うならば、主人公にとっては初めての体験だったのかもしれません。爽やかな情景であった初段と異なり、この段は全体を通して仄かに官能的な気配が漂います。
さらにもう一つ、この女が「ひとりのみもあらざりけらし」、どうやら恋人がいるらしいのに、主人公は契ってしまったという状況なのです。陶酔するような気持ちの中に、背徳の心もどうやら混ざっていることでしょう。「いかが思ひけむ」と本文で言っているのは、この心情を示唆しているものとも思えます。大人の恋を経験した陶酔と、背徳の恋に対する畏れと。このときの主人公はどんな心持ちだったでしょうか。ともあれ、優しくて綺麗なお姉さんとそんな仲になってしまったら、次の日は一日中ぼうっとなってしまうことでしょう。




