第二十三段(二) たつた山
【本文】
さて年頃経るほどに、女、親なくたよりなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内の国高安の郡に、いき通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくていだしやりければ、男、こと心ありて、かかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽の中にかくれゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女、いとようけさおうじて、うちながめて、
風吹けば沖つしら浪たつた山
よはにや君がひとりこゆらむ
とよみけるをききて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。
【現代語訳】
そうして何年かが経ち、女は親が亡くなって生活の後ろ盾がなくなって貧しくなり、男は二人ともがみじめな暮しに落ちてよいものかと思い、河内国(今の大阪府)の高安というところに新しく通っていく女ができたのでした。けれども、この前からの妻である女は、不愉快だと怒ってる気配もなく男を送り出すので、男は、妻の方でも別の男に心をよせる気持ちがあるのでこんなに寛大なのではないかと疑ったのだった。そこで、庭先の植込みの中に姿を隠して、河内へ出かけたそぶりでこっそり妻の様子をうかがっていると、妻はていねいに化粧をして、遠くをぼんやりと眺めてしみじみと、
風が吹くと沖の波が立つように、不安で心細い竜田山を夜中にあの方は一人越えてらっしゃるのでしょう。どうかご無事でありますように。
と詠んでいるのを聞いて、この上なく妻のことを愛おしいと思って、それからは河内へはあまり行かないようになりました。
【解釈・論考】
幼馴染であった女と結婚した男ですが、女の両親が亡くなったことにより、女は経済的に窮乏します。そこで男は高安の別の女のところに通うようになる訳ですが、ここは現代人的な感覚で捉えると心情の理解が逸れてしまうでしょう。
この時代の貴族の女性にとって生家というのは経済的基盤となる存在でした。結婚する男性と女性の生家の実力が同格以上である場合、男性側としては女性の生家に社会的、経済的な後ろ盾となってもらうことを期待しました。時代はくだって武家社会の頃、婚姻を介して同盟関係を結んだ大名諸家があったことを思い浮かべると、このあたりの原理は分かりやすいでしょうか。
さて、そのような時代背景で生家を失った女性は、多くの場合、結婚相手しか頼るべき相手はいません。さすがに公卿レベルの大貴族の娘であれば遺領を相続することもあったでしょうが、この段の女は地方官の娘であると推定されますから中流貴族です。尼になってお寺に入るということもありますが、それはあくまでも最終的な判断です。男は女の生家の後ろ盾なく、世の中を渡っていかなくてはならなくなりました。
このような視点をもってこの段を概観すると、男が高安に新しく通う女ができたのも社会的な人脈づくりを狙ったという側面があるのかもしれません。そう考えると、女が男が出かけるのを快く送り出しているのも納得ができますね。
そうは言っても残された女としてはきっと心細くもあり、寂しくもあったでしょう。零落し、生活の不安もあったでしょうに、女は男がいなくなった後もきちんと身づくろいをし、心の底から男を心配する歌を詠むのです。これこそが、伊勢物語がもっとも愛する雅の姿なのではないでしょうか。
伊勢物語にはさまざまな女性の姿が描かれますが、僕はこの井筒の段の女が二条后や斎宮と並びもっとも魅力的なヒロインであるように思われます。




