第十七段 年にまれなる
【本文】
年ごろおとづれざりける人の、桜の盛りに見にきたりければ、あるじ、
あだなりと名にこそたてれ桜花
年にまれなる人も待ちけり
返し、
今日こずはあすは雪とぞ降りなまし
消えずはありとも花と見ましや
【現代語訳】
何年の間か、いっこうに訪ねてこなかった人が、桜の花の盛りに、花を見にやって来たところ、その家の主人は次のような歌を詠んだのでした。
桜の花は移り気ですぐ散ってしまうと評判ですが、こうして美しく咲いて、一年の間にごくたまに来る人のことをも待っていましたよ。
歌を詠まれた人は、次のような歌を返しました。
私が今日訪ねて来なかったら、この桜も明日は雪のように散り落ちてしまっていたでしょう。散った後だったら花として愛でることはできませんでしたね(あなたがそんな伊意地悪を言うことができるのも、実は今日私が来たからこそでしょう。明日になっていたら、あなたも気が変わっていたでしょうから)
【解釈・論考】
屋敷の主人と訪問客の軽妙なやり取りが冴える話です。訪問客の方が、主人公です。屋敷の主人の性別は不明ですが、男女どちらととってもこの話のさっぱりした味わいは損なわれません。
久しぶりに友人の家を訪ねた主人公を、屋敷の主人が、自分の気持ちを桜花に喩えて軽く皮肉った歌を詠みました。それに対して主人公は、今日、このタイミングで訪問できた自分のおかげでこの時間が過ごせるのですよ、と笑いかけるように歌を返します。きっとこの二人はお互い忙しい身なのでしょう。次の日の訪問だったら、屋敷の主人の方の都合が悪かったのかもしれません。




