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初段 初冠(ういこうぶり)

【本文】

 むかし、男、うゐかふぶり(初冠=ういこうぶり)して、平城(なら)(みやこ)、春日の里にしるよしして、狩りに()にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男、かいまみてけり。おもほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、しのぶずりの狩衣をなむ着たりける。


 春日野の若紫のすり衣

   しのぶのみだれかぎり知られず


となむ、おいづきていひやりける。

 ついでおもしろきことともや思ひけむ、


 みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに

   みだれそめにし我ならなくに


といふ歌の心ばへなり。むかし人は、かくいちはやきみやびをなむしける。



【現代語訳】

 昔、成人したばかりの貴族の男がいました。奈良の春日野というところに領地があるので、そこに狩りをしに出かけました。その里には、たいそう上品で美しい姉妹が住んでいました。彼は姉妹を見かけると、思いがけず、寂れた昔の都に似合わぬほど素敵な女性だったので心がどきどきしてしまいました。彼はとっさに着ていた服の裾を切り取って歌を書いて贈ったのでした。そのとき信夫摺(しのぶずり)の狩衣を着ていたので、


 とても綺麗なあなたがたをお見かけしてしまい、私の心はこの信夫摺の衣のように限りなく乱れてしまっています。


と、大人がするように詠んだのでした。

 これは、このときの状況が次の有名な歌に似ていると思ったのでしょう。


 陸奥の国の信夫摺の衣のように、私の心は貴女のことで乱れて、そして貴女の色に染まってしまっているのです。


この歌の気持ちを踏まえ、本歌として取ったのでした。昔の人は、このように咄嗟の雅の心を大切にしていたのです。



【解釈・論考】

 成人したばかりの主人公の瑞々しい姿形、行動を描写するところから物語は始まります。一般的に物語は主人公の出生、あるいはその親の叙述から始まりますが、伊勢物語では初冠(ういこうぶり)つまり成人式を終えたばかりのところからスタートします。伊勢物語は男女の恋愛を大きなテーマとして扱っていますから、成人したところから話を始めるのも妥当と思われます。

 さて、初段の情景となる平城(なら)の京の春日の里ですが、その後に「古里に」と書かれていますから、都ととしては古くなっているということ。つまり、平安京へ遷都された後の頃の平城京であることが分かります。男はそのあたりに領地を持っていましたから、成人すると同時に領地の査察を兼ねて狩りにやってきたのでした。そこで、男は美しい姉妹を見かけ、美しさに心を奪われ、とっさに歌を詠んで贈りました、というのが初段の大きな流れです。ここで注目したいのが、「姉妹」に対してアプローチをかけているという点です。これが、伊勢物語の初段を非常に特徴的なものとしているポイントの一つであるように思います。


 過去の文献をいくつか調べてみても伊勢物語の初段の「女はらから」の部分についての研究はあまり多くありません。折口信夫は、著書の中で「昔の結婚法では、姉妹二人が一人の人格のようにして、結婚が行われた」(『折口信夫全集』より「伊勢物語」)という民俗学的な指摘をしています。しかしそれが一般的なことであるならば、伊勢物語の中にも類例があってよさそうなものですが、一人の男が姉妹を同時に口説く、という形の筋書は伊勢物語百二十五段中、初段だけです。であれば、この話であえて姉妹であることを明示したことには、何か意味があると考えます。

 また、単に事実としてたまたま姉妹に見惚れて歌を贈った話であったのだ、ということも考えられますが、こちらの可能性は低いでしょう。事実であったり、あるいは歴史的なモチーフがある場合、後から登場する二条の后や斎宮など、誰のことであったか仄めかすような記述がなされていますが、初段にはそういった手がかりは見受けられません。初段はやはり寓話的であり、この話では姉妹である必要性があったと考えます。


 伊勢物語以外に目をむけると、姉妹との恋愛あるいは婚姻の例がない訳ではありません。例えば神話の世界になりますが、天孫邇邇芸命(ニニギノミコト)は、大山津見神(オオヤマツミノカミ)から石長比売(イワナガヒメ)木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)の姉妹を娶るように、と二人を送られています。もっとも姉の石長比売は「美しくないから」と言って送り返されてしまいますが。

 また、在原業平の兄、在原行平にも姉妹との恋愛の逸話があります。行平はあるとき、何かの事情で天皇の怒りに触れてしまったようです。そして須磨(今の神戸市あたり)に流されてしまいました。流された地で行平は美人姉妹に出会います。二人の美しさに心を奪われた行平は、姉妹にそれぞれ「松風」「村雨」と名前をつけ、愛したそうです。この松風・村雨の姉妹の話は、室町時代、観阿弥・世阿弥親子によって謡曲にもされており、その後も浄瑠璃や歌舞伎、映画にもされ、逸話を現代にも伝えてくれています。

 しかし一方で、歴史事実としては、一人の男と姉妹が同時に婚姻した例は、少なくとも日本では、記録にはあまり多く残っていません。自分の妻が亡くなった後、妻の姉妹と結婚する事例、すなわち順縁婚の事例はいくつか残されています。平安時代中期、藤原師輔は、天皇の三人の皇女と結婚した記録が残されていますが、それぞれ、妻が亡くなった後、妹の皇女を娶る形で結婚しています。順縁婚は世界ではソロレート婚と呼ばれ、各地で類例が残っているようです。順縁婚の場合は、妻の死去に伴う血縁関係・財務関係の混乱を防ぐ意味合いもあったようで、貴族の世界でこれが行われたことは納得できるところです。このような順縁婚に対して、姉妹と同時に結婚するということは、現実的なメリットはあまりなく、一般化はしなかったのでしょう。

 つまるところ、姉妹との恋愛・婚姻は、前例(伝説)がないわけではないが、一般的に受け入れられていたわけでもない、と思われます。ひとまずそのように認識して初段全体を俯瞰し、なぜ、わざわざ姉妹と表したのだろう、という疑問を考えてみましょう。


 さて、奈良の春日の里の場面。美しい姉妹を見かけ、心を動かされた主人公。彼は狩りに来ていたから「狩衣」を着ていました。「狩衣」というのは現代で喩えて言えばジャケット+セーター+シャツくらいのカジュアルな服装です。

 さらに、このとき主人公の着ていたものは「しのぶずり」という生地の狩衣でした。だから「みちのくのしのぶもぢずり」の歌を本歌として利用する機転を思いつきました。本歌としてとられている歌は河原左大臣(かわらのさだいじん)源融(みなものとのとおる)の歌で、「古今和歌集」にも収められている有名な歌です。


 信夫摺は陸奥国信夫郡(今の福島県福島市あたり)で作られていた衣装の色付け方法で、色が部分的に濃かったり薄かったりとランダムなパターンで現れます。

 信夫摺は、忍草(しのぶぐさ)の茎や葉の色素を布にこすりつけて染めたもののことです。ドライブラシのように、まだらな濃淡の模様が特徴的です。当時、狩衣はもぢずりの布を用いるのが一般的でした。このランダムな色合いが「しのぶのみだれ」という言葉を導く訳です。


 そして「みちのくの」を現在自分たちがいる「春日野の」に入れ替えました。「春日野」の「春」の文字は「若紫」を導きます。若紫は藤の花の別名であると共に(藤の花は春の花です)、若く美しい女性を表す比喩表現としても使われる言葉でした。このように縁語を駆使して「春日野の若紫のすり衣」の歌を贈ったのです。こうしてみるとこの段の物語の内容はすべて歌を説明するのに必要で、最小限の言葉数に留められていることが分かります。


 さらに、ここで用いられた表現技法である「本歌」、「掛詞(かけことば)」、そして「縁語」について述べましょう。「本歌、本歌どり」は、もともとよく知られている古い歌の言い回しや趣向を使って自分の歌を作ることです。もともとの歌が何であるか分かるようにしつつ、自分の歌としてオリジナリティを持たせなければなりません。本歌どりを上手にやるためには、歌に対する深い知識と巧みな技術が必要でした。

 「掛詞」は、一つの言葉に複数の意味を持たせて歌の心象風景に膨らみを持たせることができます。ここでは「信夫摺」に「恋心を忍ぶ」という意味が含まれていると解釈されます。

 「縁語」は、その言葉から次の言葉を導き出すことです。「春」が「紫草」を導いたり、「信夫摺」が「乱れる」を導いたりします。縁語がさらに連なって、言葉の連鎖で歌の世界は大きく広がることができるのです。


 さて、初段の歌について考察を深めてきましたが、ここで先の疑問に立ち返ってみましょう。なぜ、女姉妹であったのか。僕はここで一つの解釈を提案したいと思います。おそらく、初段で描かれているのは、まだ本物の恋愛ではなく、貴族として女性に対してなんとか立派に振舞おうとする少年の姿というか、萌え出ずる未熟な主人公の姿だから、ではないでしょうか。早い話が、姉妹に対して「君たち、綺麗だね。僕、どきどきしちゃったよ」という歌を送っても、そこにあまり下心は感じられません。が、一人の女性を特定して「君、綺麗だね」なんて歌を送ったら、それはもう“狙ってる”という意味合いが、少なからず生じてしまうでしょう。この段の味わいである爽やかさというのは、相手が姉妹であることも一つの要素として機能しているのではないでしょうか。姉妹だからこそ、初心で、プラトニックで、爽やかで、でもどきどきして心惹かれる気持ちは確かにある、そんな青春の情景として描くことができたのだと思います。姉妹との恋愛や婚姻は、ないわけじゃないけど一般的でもない、そんな曖昧さが、どこか信夫摺のまだら模様と似ているような気もしてきます。

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