第十四段 くたかけ
【本文】
むかし、男、みちの国にすずろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにやおぼえけむ、切に思へる心なむありける。さてかの女、
なかなかに恋に死なずは桑子にぞ
なるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきてねにけり。夜ふかくいでにければ、女、
夜も明けばきつにはめなでくたかけの
まだきに鳴きてせなをやりつる
といへるに、男、「京へなむまかる」とて、
栗原のあねはの松の人ならば
都のつとにいざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、「おもひけらし」とぞいひをりける。
【現代語訳】
昔、ある男が、陸奥国(今の福島県より北)に確かなあてもなく旅をして、ある所に行きついたのでした。その地に住む女が、京の人は珍しく感じたのでしょうか、ひたすらこの男を慕う気持ちがあったのでした。そこで、その女は次の歌を詠みました。
なまじ恋にこがれて死ぬよりは、夫婦仲のよいといわれる蚕になればよかった。たとえ短い命の間でも。
女の人柄は言うまでもないことだが、歌まで田舎じみているものでした。男は、それでも心惹かれるものがあったのでしょうか、女の所へ行って共寝をしたのでした。しかし、男がまだ夜明けにもほど遠い深夜のうちに出て帰って行ってしまったので、女は、
夜が明けたら水槽にぶち込まずにおくものか、あの腐れ鶏め。早すぎる時刻に鳴いてあの方を帰らせてしまって。
というような歌を詠むものですから、その後、男は「京へ帰ります」と言って、
栗原の姉歯の松が人であるならば、都への土産に、さぁ一緒に行こうとお誘いしたいところですが、そうする訳にもいかず残念です。
と詠んだのですが、女はすっかり喜んで「あの方は私を愛していたのだ」と人々に言っていたそうです。
【解釈・論考】
伊勢物語屈指のギャグ回その一。この段はもう「くたかけ」の歌がすごい。ちなみにもう一つのギャグ回は第六十三段です。舞台は武蔵の国からさらに遠方に移り、みちの国、すなわち陸奥の国となります。
陸奥の国は今の福島県、宮城県、岩手県、青森県あたりを合わせた広い地域です。いわゆる白河の関よりも北方を指します。延暦二十年に征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が東北地方を制圧して以来、陸奥の国も律令制度で管理される領域に組み込まれていました。この段は、東北の、京から程遠い地方の女の素朴で一方的、言葉を替えてみれば一途ともいえる恋心と、それに閉口しながらも気持ちを受け止め一夜を過ごした昔男の話です。
まず、女が詠んだ歌ですが、これは万葉集におさめられている歌を少し改変しています。女が本歌取りをしたというより、伊勢物語の作者がこの段の話を作るにあたって恋の歌にアレンジしたのではないかと思われます。桑子というのは蚤のことです。蚕は成長すると蛾になります。蚕の時点でもイモ虫のような姿で、歌に詠むにはいまいち美しくはありません。本文でも「歌さへぞひなびたりける」、田舎じみているとばっさり切り捨てています。
俵万智はこの段の女に対して同情的で、この歌についても次のように述べています。
『「なかなかに恋に死なずは──玉の緒ばかり」という構成を考えると「──」の部分には、マイナス方向に強いインパクトのあるものが望ましい。この恋の苦しみよりは「──」のほうがマシだ、というのだから。しかもその虫が実は雌雄の仲がいいとくれば、そんなに絶望的なほど下手な歌ではないのでは?と私は思う。』
(俵万智『恋する伊勢物語』より)
桑子は美しい生糸を生み出し、その糸はやがて絹になります。彼女が詠んだ歌もまた恋の糸となりました。女の飾り気のない恋心は男の心にも響き、一夜を共に過ごすことができました。それでも、やっぱり価値観の違いなどもあったのでしょうか、男はそそくさと夜も明けきらないうちに早々と女の下を去ってしまいます。本来であればここで男の方から後朝の歌が贈られてくるところですが、ここでは女の方が歌を詠みます。その歌がものすごい。
「くたかけ」というのは腐れ鶏、というくらいのものすごい言葉。「きつにはめなで」の「きつ」は水槽を指す方言と推定されています。「はめなで」と合わせて、水槽にぶち込まずにおくものか、という意味。そして「せな」は愛しい男性を意味します。この、恋愛に一直線なところ、言葉遣いの落差の激しさ、男が帰ってしまったのはあくまで鶏のせいだと考えるあたりに彼女の性格がなんとなく想像できてしまう気がするのは僕だけでしょうか。
男もドン引きしたことでしょう、しかし女からの歌に返事をしない訳にもいかないので、「京へ帰ります」といってさらりと別れの歌を贈ります。別れの歌であることが本質ですが、「姉歯の松」の喩えには、「あなたはこの土地の人で親兄弟もいるのですから、京へお連れする訳にはいきません」という意味の思いやりの心も込められていると解釈することもできます。それを受け取った女は、ああ私は愛されていたのだと喜んで人に話しているところに、婉曲に別れを告げる男と、女の恋心とのすれ違いが見られます。
僕はこの段の女の人、ひたすらに男に対して恋をしているし、男からのリアクションには素直に喜ぶしで可愛らしいと思います。ただ、この段では女が二首と、男が一首の歌を詠みますが、女の歌には男を思いやっていると解釈できる部分がみられないのが、二人がすれ違っている要因なんじゃないかなぁとも思います。女は確かに一途ではあるのでしょうけど、歌に詠まれているのが全部女自身の気持ちばかりなんですよね。対して男の歌には、それなりに女の立場や気持ちを気遣う心が読み取れるように思われます。「くたかけ」の表現は確かに粗野ですが、これがもし、夜更けに帰る男の身を案じる内容だったりしたら、男からのフィードバックももうちょっと違っていたのかもしれません。




