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第十二段 つまもこもれり

【本文】

 むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて逃げにけり。道くる人、「この野は盗人あなり」とて火つけむとす。女わびて、


 武蔵野は今日はな焼きそ若草の

   つまもこもれり我もこもれり


とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。



【現代語訳】

 昔、ある男がいました。人の家の娘を連れ出して、武蔵野へ連れて行ったところ、駆け落ちの状態だったので、国守に捕まりそうになりました。男は、女を草むらの中に置いて逃げてしまいました。逃げた男を追ってやって来た人は、「この野に女を盗んだ者がいるようだ」と言って草むらに火をつけようとします。女は困って悲しんで


 武蔵野は今日は野焼きをしないでください。夫も隠れていますし、私も隠れていますから。


と詠んだので、それを聞いて追手は女を捕まえて、一緒に連れて行ったのでした。



【解釈・論考】

 解釈の難しい段です。この歌は、『古今集』に詠み人知らずの類似歌があり、もともとは野遊びの民謡だったものであるようです。おそらく背の高い草の生い茂る野でこっそり逢っていた男女が、野焼きを恨めしく思う気持ちが歌になったものと考えられています。それを使った段なので、『伊勢物語』の段としては物語文の書き方がやや難解で、研究者の間でも解釈が分かれているようです。

 折口信夫は、男は女を捨てて逃げたが歌に感じ入って戻って来、再び連れて行ったと考えたようです。他の研究者の意見としては、国守の追手は男も女も捕まえて「ともに率ていにけり」となってしまったのだと考える人もいるようです。

 僕は、ここでは民謡を用いて東国の風景を描写したかったのではなかろうか、と考えました。関東平野は日本でもっとも広大な平野部ですから、この段の作者はその情景を詠む歌を紹介したかったのではないでしょうか。その意図がまずあり、次いでそこからさらに第六段の芥川の話と似たような趣向の話にしてみることで、こうした駆け落ちの話ができあがったのではないでしょうか。

 この話も、伊勢物語の成り立ちの流れの中では、後期に付け足された段であるんじゃないかな、と推測します。

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