9 2月24日 山男の記憶
二角獣の月二十四日 5
山はいい。山は野生の感を研ぎ澄ませ、筋肉を鍛えてくれる。
テオは山が好きだった。幼いころ父と死別し、母子二人で食うや食わずの貧しい生活を送って来た。
母の再婚と共に安定した生活は送れるようになったが、新しい家庭にはなじめなかった。
幸いにも肉体は頑健に育ったので、早いうちから実家を出、肉体労働で賃金を得つつ、少しずづ山に入った。
なぜ山だったのか、それはテオにも分からない。ものごころつかない頃に死に別れた父の背中を思い出すからか。
半分町で暮らしながら、山での生活を構築していく。やがてずっと山で暮らすようになった。
山菜を取り、きこりともなり、炭焼きもする。野生の獲物を狩り、自らの糧とし、街にも卸す。鉱物を見つけると、その情報も売る。
その金で、また山での暮らしに必要なものを揃える。
定住はせず、一定期間ごとに住処を変え、山から山へと渡り歩く。
テオは山そのものが好きなのであって、特定の山に居つくことはない。
むしろ、様々な山を味わうことこそ醍醐味と感じていた。
とはいえ国境というものが有り、連邦を出て国外まで行くことは難しい。
でもいつかは、世界最高峰と名高いオラシオン連峰に挑んでみたいとも思っていた。
山で暮らすだけでなく、登山もまたテオの楽しみの一つだった。
髪も髭も伸び放題で、筋骨隆々のテオは、彼もまた一つの野生動物のようであった。
たまに実家に顔を出す時は気を付けないと、とテオ自身でも思う。
この間実家に帰った時なんか、勝手にお見合いをさせる計画が立てられていた。
相手の女性は家に引きこもっており、山に引きこもっているお前とお似合いだと無茶な理屈で決行されようとしていたが、実家に帰ったテオの風貌があまりにも『野生』だったために断念せざるを得なかったという事情がある。
母と再婚相手の間に生まれた父親の違う妹だけは、山の妖怪のような風貌の兄に興味津々で纏わりついてきた。
そんなテオは今、気を張り巡らし、辺りを警戒している。
山の危険がテオに迫っている。
山には危険も多い。
地形。疲労。野生動物。毒植物。
そして人害。
それもまた山の危険の一つとテオは捉えていた。
山に潜む犯罪者。山に住み着いている街とは違う理で生きている人。山賊。
山中に人の害があることも、当たり前の自然なことと受け入れて山で暮らしている。
警戒の原因は襲撃者だ。テオの命を狙い襲い掛かってくる。
それだけなら特筆することもない。
前述した山の人害はテオにとって、日常の一つであるから。
しかし、今回の襲撃者は異質だった。
山中にまるで不釣り合いな恰好。気取った紳士が身を飾る装飾過多な服装。街中であれば少し派手程度で済んだであろうが、渓谷深山では不釣り合いこの上ない。
そんな襲撃者に襲われた。
問答無用。初めから命を狙ってきた。
人を殺すために修めた鋭い身のこなし。
肉体スペックでは優っていたであろうテオも苦戦を強いられた。
しかし、そんな不釣り合いな恰好では……、ほら転んだ。
周りの木々の枝に服が引っ掛かりバランスを崩し転倒。
テオはすかさずのしかかり、凶器を掴んでいる腕を絞り上げ、体重を掛けそのままへし折る。
さらにロープで木に縛り付ける。
あえて殺すまでもない。
だが、このまま死ぬなら、それはそれで山の栄養に変わるだけ。
この異様な襲撃者の正体も確かめたい。
テオは襲撃で散らばった自分の荷物を拾い集め、手持ちの食糧を確認した。
十日分はある。
食料集めに奔走することなく、余裕をもって尋問できる。
二角獣の月二十四日 8
襲撃者は何度倒してもまたやって来た。拘束してもいつの間にか逃げられていた。
おかしい。
それだけではない。匂いが変。
襲撃者には歩いてきた匂いがしない。
山中を進む過程でつく土や草の匂いがしない。近場に突如として沸いたかのように、山中を歩くと染みつく匂いがない。
現実的には、近場で着替えたとかだろうか。
そんなことをする意味が分からないが。
こちらに匂いで感知されにくいように?
相手ばかり気にしていられない。
こちらの準備にも気を使わなくては。
テオは自分の荷物を確認した。
食料は十日分はあるな。
テオは安心した。
二角獣の月二十四日 15
襲撃は止まない。ただ、学習能力はない。
テオは木の上で襲撃者を待ち構えていた。
そろそろ姿を見せるころだ。
樹上から矢で先制する。木登りも得手していないようで、一方的に射殺せる。
それで何度も仕留めた。そう仕留めたはずだった。
それなのに何度でも蘇ってくる。
おっと、今は余計な事を考えているべきじゃない。相手に気づかれないように身を潜める。
山ではそんな余計な思考が命取りになる。
その前に兵糧の備蓄を確認しておかなくては。
なんだ、十日分あるな。このまま樹上で数昼夜は潜み続けられる。
襲撃者は名をモンテカルロという。
二角獣の月二日に死んでいるモンテカルロがまたここに、山中に。この日、二角獣の月二十四日にいる理由はこっちでも分からない。
ただ、この山の人の感想は気になる。
動きに学習能力がない。
記憶はある。
一度目の山の人との遭遇は偶然。モンテカルロも驚いていた。サンドロの時と同じ。
二度目からは山の人がいることを知って、襲いに行っている。
記憶はある。でも成長はしない。同じ手に何度も引っかかる。
ループで引き継がれるものと、引き継がれないものがあるのだろうか。
それで、生の人間としてはおかしな挙動になってしまっている?
待てよ。
こうしてじっくり、一方的に嵌められて始末されていく様を眺めていると、なんだかこの動き、どこかで見たもののような……。
ニカノは山のテオとダンサーモンテカルロの殺し合い、にもならぬ一方的な狩りになってきた光景を見ながら思いにふける。
そう、時間魔法にこんな動きをする魔法があった、ような。
ニカノは記憶を流し見し終わると、時間魔法に関する書物を漁った。
そのほとんどが師匠ステファニーの手によるものだ。
時間魔法の使い手は、ニカノを入れても三人しかいない。
そのうちの一人、連邦の偉人、時間魔法の始祖ベルナルド・アマーリエは、時間魔法に関する書物を残さなかった。
それで一度は、途絶えた魔法様式なのだが、それを師匠のステファニーが蘇らせた。
なので時間魔法の書物は、ステファニーの書いたものしか――ステファニーは記述を残さないことが多いので、実際の執筆はステファニーから聞き出した所員がほぼ行っていた。ニカノもそれを見ていた――ないのだが。
違う、この中にはない。あれは確か……。
ニカノは王国秘蔵の蔵書を求めて、城まで向かう。
ループ災害の解明に必要なものであるとルッソ伯爵からの便宜を引き出し、ニカノは王城の地下に眠る閉架図書をあさる。
そして、見つけた。
国家魔導士制度の生みの親。魔導強国の礎を築いた偉人。建国王の師とも呼ばれる時間魔法の創始者、ベルナルド・アマーリエ。
当人は自分の魔法を書物には残さなかったが、その使っている様を他者が記録したものは残っている。
それを探し、該当の魔法を発見した。
そして、ニカノは書庫の中に、ベルナルド・アマーリエ本人の書いた覚書も発見した。
魔法自体に関する記述はなかったが、興味深い内容だったのでニカノはそれも速読し、記憶する。
研究所に戻ったニカノは、いくらかの時間の末、探していた魔法を発現させることに成功した。
その魔法は『時の幻影』。
自身の過去。例えば一秒前の自分を過去より呼び出して、一秒の前の自分の動きを再現する幻影を生み出す魔法だった。




