7 2月20日 彫刻家……いや、「芸術家」の記憶
二角獣の月二〇日 2
せっかく産み出した美が、芸術が、消えてしまった。
こんなことが許されていいのか!!
彫刻家ダミアーノ・ゴレッティは朝日と共に起床した。
天窓から見上げる太陽の美しさに目を焼かれながら、その美を礼讃する。
十分に堪能し、見えない目で手さぐりに朝の支度を行う。
朝はコーヒー。
豆の選別を行い、非対称の珈琲豆を選別する。
ようやく視力を取り戻した目で、美しい対称の豆を鑑賞しながら、非対称の豆は原型がなくなるまで潰し、さらに熱湯で消毒。けして目にすることのない臓腑へと送り込んでやった。
その後も、美しき果実などを堪能しつつ、美しくないブツを処分する。美しくないものどもは、いずれそれにふさわしい汚物となるだろう。
また一つ、美に貢献した。
処分を終えたダミアーノはアトリエへと足を踏み入れる。
普段はこんなにあくせく仕事はしない。
もともと、こんな仕事などしたくもない。
ダミアーノはあまりにも世界に美が足りていないので、仕方なく仕事をやっていた。
ダミアーノ・ゴレッティの彫刻はなかなかの評価を受け、作品一つで半年は食い繋げるほどの値が付く。
ただ、自分では気に入らない出来合いの作品ばかりが評価され、魂を込めた傑作にはおざなりな評価しか受けないのが不満の種だった。
それもあり、金に困らないとなかなか仕事をしない男であった。
変人奇人とも囁かれているが、誹謗中傷にはホコリほどの価値もないと黙殺している。
普段ならば昼まで美に浸って過ごすところだが、前日天啓が降りてきたのだ。
ダミアーノが信仰する、美と芸術とホモセクシュアルと月光と湖と騎士と定命と……あと他いろいろを司る神からの天啓。
この世にまた、すばらしい新たな美が誕生しようとしている。
そのはずだった―――のだが。
その芸術が消え失せていた。
ループにより、時間が戻った結果だ。
そんなことは知らないダミアーノは、66個のカールを施した己のミルク色の頭髪をかき乱し、嘆く。
おお……かくも世界は美を拒絶するか。
嘆きの塔のツユと散った、麗しのウエテオトルの麗ツバサ奏でる、朱ホムラのごとし―――
朗々と謳いあげるダミアーノは自分の声に聞き惚れ、失われた芸術とやらのことは忘れたかのように、唄い狂う。
壁を通して隣家の住人の「うるせーぞ! ダボハゼがっ!」という罵声が伝わってきた。
そうだよな。自信満々だから判断が付かなかったが、下手くそでいいんだよな。
ニカノはその声にようやく正気を取り戻した。
二角獣の月二〇日 6
ループが起こると自分以外のものはすべてループ開始時の状態に戻る。自分だけがそれを認識している。自分の体――疲労や怪我も元に戻る。
自分の記憶だけが引き継がれ、他はリセットされている。
ダミアーノはその事実に気づいた。
そして、はたと感づいた。
じゃあ、金を稼がなくてもいいな。
ダミアーノが仕事をするのは、世界に美が足りないからと、もう一つ、生活のためだった。
世界が美に満ちていれば、何もせず、美に浸って過ごしたいと常々思っていた。
生活のための働かなくてもいいなら、仕事もしなくてもいいや。
美を生み出そうとしても、ループで失われてしまうなら創る意味もない。
また創ればいいなどというのは、美を理解しないものの戯言だ。
同じ美など一つとしてない。
違う時――同じ時だが――に創っても、それは別の美であって、失われた美とは違うものなのだ。
美とは永遠でなければ……いや、美とは常に失われるもの。ならば、失われるものこそ真実の美なのでは?
刹那に焼き焦がれる天上の翼。落涙する乙女のシズク。
詩を書き始めた。
あの詩もループすれば消えるけど、それが失われる美ってやつなのか。
違う。そんなことを考えている場合じゃない。
この後ダミアーノは芸術家としてのスキルを磨こうとし始める。
ループしても残る美の証明として。本当に残っているのかは、僕には確認しようがないけど。
そして、彼は殺される。
ループの途中で突然として発生した殺人者に、何度ループを繰り返しても狙われるようになるんだ。
そいつはダミアーノがループ繰り返していることを理解して、殺害に及んでいるように見える。
一角獣の月三〇日のループでも、何度も命を狙われる人間がいたけど、それとも違う。
向こうもループしているかのような反応だった。
同じ日に二人のループ者が発生したのか。それでも殺そうとする理由にはならないけど。
そこを見極める必要がある。
二角獣の月二〇日 37
ことの始まりは楽器をかき鳴らすダミアーノから始まった。
美術系のスキルを磨いていたはずだったが、突如音楽に芸術を見出し、楽器の練習を始めたのだ。
平たい板に弦を張り付けただけのシンプルな楽器をどこからか持ち出して、かき鳴らす。
それもループで体が元の状態に戻るので、何度やっても慣れず指が痛くなり続けることから、そろそろ嫌気がさしてきていた頃。
突然の襲撃。そして、死。
いきなりすぎて、主観のニカノからは何が起こったか把握できなかった。
殺されること自体は知っていたけれど、あまりにも情報がない。
部屋を出て、夕食を取ろうと、人の賑わう街路を歩いていた時のこと。
後ろからの襲撃で、ダミアーノは命を落とした。
かろうじて凶器は刃物と思われるぐらいしか確認できなかった。
後の事情を知らなければ、騒音が原因で襲われたのかと疑っただろう。
二角獣の月二〇日 38
前ループのこともあってダミアーノは楽器を弾くことはなかった。
ちょっと嫌になっていたこともある。
しかし、今度も襲撃を受けて死亡した。
今度も襲撃者の姿はつかめないまま。
二角獣の月二〇日 43
ダミアーノがまた殺されている。
彼の死を僕は気にしない。
だって、記憶があるから。
この記憶を抜きだす魔法は死者には使えない。
つまり、この記憶宝珠がある時点で、ダミアーノは生きてループを終え、記憶を抜き出した時まで生きていたということ。
それにこの後のダミアーノの行動もある。
襲われるというのが分かっていて、外出する。
むしろ、襲われて以降外出の頻度が上がった。
なんだろう。
復讐でもするつもりだろうか。
二角獣の月二〇日 55
ダミアーノが初めて襲撃者の姿を確認できた。
ダミアーノの全然知らない男だった。
僕も全然知らない。
二角獣の月二〇日 63
ダミアーノが技術を磨いている。
殺人の技術だ。
襲撃者の姿を目の当たりにしたダミアーノは悔しがった。
それに対抗すべく、襲撃者と同じ殺しのテクを練習し始めたのだ。
やはり復讐しようとしていたのだろうか。
ダミアーノは悔しがっている。
美しい。
その身のこなし、手にしたナイフの奇跡的軌跡、動きのキレ。
踊るように滑らかに、見せつけるように華麗に。
美しかった。
許せない。
よくもワタシの前で美を見せびらかせてくれたな。
怒りと屈辱を燃料に、ダミアーノは殺人技術を磨き始めた。
あのぐらいの美。ワタシにもできる。
技術を磨いたダミアーノは、襲撃者に合いに、街に繰り出す。
襲撃は、磨いた技術の実践場だ。
襲撃者とダミアーノはワルツを踊る。
はた迷惑な死のワルツ。
もっと見せろ。美を。
とち狂った動機でダミアーノは殺人技術を磨く。死の舞踏を一瞬でなく、長く楽しむために。
碌な奴がいない。
だからこそ思考が混線せずに済む側面はあるけど。
謎のループ襲撃者の異様さより、ダミアーノの異常さの方が目を引く。
それにしても、ループで技術を磨く。それも殺人技能を。
ニカノはそれに恐怖を抱いた。
だが、それも振り払い、やるべきことをやる。
記憶しか持ち越さないはずのループで、体に染みつかせる技能というものが、どの程度の影響を及ぼすのか。
襲撃者に時間魔法や時間振動、ループの残滓が残されて見えるか。
目の前で繰り広げられる殺陣をできるだけ見ないようにして、ループの秘密を探る。
襲撃者の正体は分かっている。
ループ中では分かりようがないが、その後の調査で正体は掴めている。
記憶は取れないので、彼がループしていたかどうかは分からなかった。
公式記録では彼は死んでいるのだから。




