5 1月30日 浮気貴族の記憶
一角獣の月三〇日 1
記述・記録は正確、かつ簡潔に。思考もまたそれに準じるのが望ましい。
昨日、一角獣の月二九日。愛人のマルタと別荘にゆく。
郊外で待ち合わせ、馬車で約二時間。その日は何事もなく過ぎ、就寝。
今日、一角獣の月三〇日。七時前に起床。いつもより眠りが浅かったのは二人で寝ていたからと推測。
リビングにて別荘の管理を任せている老夫婦の挨拶を受ける。
その老夫婦の夫のガエタから、今日の狩猟の予定を聞かれるが、倦怠感から中止とすることを告げた。
夫人のロザから朝食のメニューを聞かれ、いつも通りと答える。
朝食。
朝は食欲もなくあまり食べないのが常。軽くサラダをつついて、コーヒーには砂糖をたっぷり。
朝食後、起きてきたマルタを交えしばし歓談。
昼前に二人で外に出る。目的はない。あえて言うならば散策。
昼食。
昼食後、やはり二人であてもなく散策。こんなにのんびりしていていいの、と問う彼女に笑い返す。
夕方、別荘に帰着。馬丁が、これでは儂がいる意味ないですな、と軽口をたたく。
普段なら無礼な態度を叱責するところだが、彼女が笑うので、私もつられて笑う。
使用人にもいい雰囲気が伝わっている。これが妻ならそうはいかないだろう。
夕食。
食後、散策中に当たりを付けておいた地点に誘う。二人で交歓。
帰着。門番に文句をつけられるが、彼女が……以下同文。
入浴。
気の置けない友人たちを招いて、彼らと酒宴。
彼女はあまり強くないので、早々に潰れた。
友人たちにからかわれながら、部屋まで連れて行く。
寝る前にはホットミルクを飲むのだと駄々をこねられる。その実は、特にミルクを必要としているわけではなく、単にわがままを聞かせて喜んでいるだけ。いつものこと。可愛い奴だ。
老夫婦に命じ、ミルクを作らせる。
ミルクを持って彼女の待つ部屋に向かう。
そして――彼女は死んでいた。
一角獣の月三〇日 2
そして、また朝が来た。
アレは夢だったのかと疑う。
その後もトレースするように同じ一日を過ごす。
そして、件の時間。
念のため彼女と二人で台所に向かうことにした。
後頭部を鈍器で強打される。死ぬほどではないが、気を失う。
そして――目が覚めた時、彼女は二度目の死を迎えていた。
一角獣の月三〇日 3
三度目の朝。
この現象の調査は後回し。とにかく、彼女の死を回避する方向を模索。
友人たちには体調が悪いと断りの知らせを入れ、ずっと寝室内で過ごすことにする。
昼食後、トイレに立つ。
部屋に戻ると、後ろより紐状のもので絞殺された、彼女の三度目の死にざまを目撃した。
一角獣の月三〇日 4
それでも朝は来る。
犯人はずっと彼女を狙っており、隙が出来た瞬間に犯行に及んでいると推測。
ずっと付き切りでいようと思うが、彼女を上手く説得できない。
わずかに目を離した隙に四度目の死亡。
一角獣の月三〇日 5
犯人はこの別荘のメンバーの中にいる。ここまでの経緯を鑑みるに、そう推定できる。
犯人の出方を待つのではなく、その正体を暴くことを決意。
正体さえ分かっていれば、強権を発動し、無理にでもそいつを排除してやる。
起床後、どこでボロを出すか分からないと、いつも倦怠感から止めにしていた狩猟に赴くことにする。
少しでも体調をましにしておこうと食後のコーヒーに入れる砂糖の量を増やす。
彼女もそれを真似、いつもより多くの砂糖を入れる。彼女は甘党なので、普段から砂糖は多い。
入れすぎじゃないかと笑う。
久しぶりに笑った気がする。
五度目の死亡。彼女のコーヒーに毒物が混入されていた。
一角獣の月三〇日 6
もはや犯人などどうでもいい、という心境になる。
起きてすぐ、二人で別荘を出る。とにかくこの場を離れることが肝要だ。
引き止められるが、振り切って出る。
彼女には不満顔で文句を言われたが決心は変わらない。しっかりと手を繋いでおく。
乗っていた馬車が横転した。
六度目の死亡。手は最後までしっかりと繋いでいた。
一角獣の月三〇日 7
何もする気が起きない。調子が悪いと言って、ベッドで寝たままでいる。
彼女は朝食後の自由行動時に死亡した。
これで七度目。
一角獣の月三〇日 11
十一度目の一角獣の月三〇日。彼女の死亡回数も十一度。
腹をすえる。一切の容赦仮借なく、ことを実行することを決意。
心を殺し、死を冷静に分析し、すべての死を粉砕する。まずは……。
一角獣の月三〇日 12
彼女――マルタを死の連鎖から開放するため、記述者たる私――レナート・ヴィスコンティは、まず自分の手で彼女を殺した。
首を締め、顔が紫になっても離さずにずっと締め続けた。
口の形が「ヴィス……どうして……」と動いた。マルタは私のことを名ではなく、性を縮めて呼ぶ。その呼び方がお気に入りなのだ。
首を絞めたままどのぐらい時間が経っただう。あまり記憶にない。
私は固まっている指を、彼女の首から引き剥がした。
心は平静だ。
これでいい。
これでいい。
その後も、この記憶の貴族レナート・ヴィスコンティは愛人の死を回避するため奮闘していた。
言ってしまうと犯人は彼の妻だ。
周到に用意された計画で、一つ失敗しても別の方法で殺害に至れるように、別荘内には事前に大量の仕込みを行っていた。妻自信が別荘にやってこなくても、どれかの罠で愛人は死ぬ可能性は高い。妻自信が直接手を下すこともある。
結果はとっくに出ている話だ。
今から一月以上前の、一角獣の月の話だしね。
結論を言うと、彼も、愛人も、妻も、誰も死ぬことなく、誰も罪に問われる犯罪を犯すことなく、ループは終焉した。
レナート・ヴィスコンティは心を殺し、愛人の死を見続けて、その死を回避する方法を見つけた。
でもこのループ現象は愛人の死とは何の関係もない現象なので、愛人の生死に関係なくループは続いた。
それ以前に、殺していているはずの心がひび割れて、レナート・ヴィスコンティは薬に手を出した。
静心の薬。資格無き者には使用禁止の魔法薬だ。これで愛人に何に感情も抱かなくなったレナートは冷静に愛人の死を観察し続けた。
精神に作用する魔法薬がループ後も有効なのは、有益な発見だった。
肉体の状態が元に戻るように、魔法役の効果も戻るかと思っていた。
なお師匠のレポートには、魔法薬の記述はなかった。特に記載すべき価値はないと判断したのかもしれない。
そもそも師匠はあまりレポートを残さない。
今回は国からの依頼なので、レポートは必須だろうけど、そうでない時はあまり紙に残したりしない。
師匠は書くより、頭の中で文章を作成する方が遥かに早い。書いていてより先のことを思考し、矛盾点を発見。途上のレポートを破棄などよくある。
さらに書いている途上に、完成形は脳内にできあがり、実践。実践結果が出たので途上のレポートはこれ以上書く価値なしとして、終わらせることもままある。
つまり師匠のレポートには、書いていないことがたくさんある。
自分は分かっているから書かなくてもいいや、という感覚なのだ。
研究所に勤める所員のみな様は、そのレポートを仕上げるのが仕事という人も多い。
彼らの意見も、いずれ聞いてみたいな。
……っと、思考がそれたけど、その後のレナートだ。
その後のレナートは薬の影響で、そもそも何の感情もない愛人を助けなくてはいけない理由があるのか、と考えるようになっていた。
途中で薬の効果は切れていたように思えるけど、レナートの心は波風が立たないままだった。
最終的に誰も死ななかったのは、ループ最終周に、たまたまレナートが誰も死なない立ち回りを取ったからだ。
方法はずっとの前の周回で発見していた。
それを使ったり使わなかったり。平均して七回に一回ほどはそれを使っていた。
ループ終了後の翌日。二角獣の月一日。
レナートは出家した。
愛人のマルタは追うが、妻は慰謝料を取ってさっさと別れる道を選んでいた。
殺したいほどの愛憎があったはずでは、とニカノは訝しんだが、妻は計画が失敗した後、すっと愛からも憎しみからも冷めていた。
ある意味レナートとは似たもの夫婦だったのだろう。
それがこの貴族たちの顛末。
だが、ニカノにとってはそれは重要ではない。
重要なのは、このレナート・ヴィスコンティがいろいろ試していたことだ。
例えば、ループの起点にも対面している。
ループが起こって巻き戻る瞬間を体験できる。
ループの終点はレナート・ヴィスコンティが寝ているタイミングなので確認できないが、起点だけでも見られるのは大きい。
一角獣の月三〇日 43
そろそろレナート・ヴィスコンティが愛人の生死に感心がなくなってきた頃。
何度かループの起点を目の当たりにした。
一瞬のことだけど、時間魔法が使われたような形跡はない。
時間が戻るのは魔法とは関係のない現象ということだろうか。
けど、なんだろう?
なんだか……
一角獣の月三〇日 74
レナート・ヴィスコンティは全員生存ルートを見つけている。
ループの起点もかなり見た。
なんだろう、この妙な感じは。
時間魔法ではない。……ないんだけど、時間の変化が起こっているような。
ループが起こっているから、時間の流れに変化があるのは当然なんだけど、なんだか……。
そうだ!
時間魔法で変質させた時間の流れが、正しい時間の流れに戻る時の感覚だ。
あれに似ている。
????
これはどういうことだ?
ループするのが正しい時間の流れだとでもいうのか?
一角獣の月三〇日 116
起床。
無論、今日は一角獣の月三〇日。
マルタの生死と、この現象の間に何ら因果関係は認められない。
問題はない。
食堂にマルタと妻シルヴァーナがいた。
やはり問題はある。
別荘近くに潜んでいたシルヴァーナが、住人に見つかり、それを契機として自ら乗り込んで来たパターンだ。
このパターンではシルヴァーナは、感情を表に出さず、マルタになぞ解きを仕掛けてくる。
それ自体に意味はなく、単なる時間稼ぎだ。時間を稼げば、シルヴァーナの仕込んでおいた仕掛けでマルタが死ぬ確率が上がる。それだけの行動に過ぎない。
ただし、それでマルタは死ぬ。
この場合はコーヒーの砂糖の中に混入された毒物が死因となる。
なぞ解きに突き合わされたマルタは疲労を覚え、つい普段より砂糖を多く入れコーヒーを飲む。
毒物は摂取量が一定を超えると、胃の中で反応し毒素を発生させるタイプだ。
それにより、マルタは死亡する。……いや、死亡した。
誤って私が毒を摂取してもおかしくないやり口だ。
彼女にしてみれば、マルタだけでなく、私も殺害ターゲットに含まれるのだろう。
あり得る話だ。
レナートは他人事のように、評論する。
マルタの死を回避するのは簡単だ、謎かけを打ち切らせてシルヴァーナを連れ出す。そして、今後の話をする。
ある会話――といっても今の私の素直な気持ちを口にするだけでいい。それだけで、シルヴァーナの様子はスッと変わる。
その目に私に対する関心というのものが一切消え失せ。そのままこの地を立ち去る。
後は、自分たちもここから立ち去れば、死の罠にかかることはなくなる。
問題はここだ。
それは分かっているのに、私にはシルヴァーナの謎かけを止める気力が全く沸いてこない。
マルタの死に何の感情も沸かない。
そうなるようにしたのは自分だが、それはそうと何もする気が起きない。
相変らずシルヴァーナはマルタを誘っている。
さて、どうしたものか。
ニカノは最後のループ周回も確認してみたが、特段代り映えした反応はなかったことに失望した。




