3 2月10日 男子学生の記憶
人の記憶を覗くなど破廉恥な行いである。
それを自覚しつつも、ニカノは恥じることなく人の記憶を覗く。
彼の正義は師のためにこそある。
その記憶はかつての同級生のものだった。
もっともニカノと同年代ではなく、飛び級を繰り返していた彼が一時的に同級となり、すぐに飛び越してしまっただけの関係だ。
ただし、自分を見る目から、努力なしに嫉妬だけは一人前だと評価していた同級生。
魔法に力を入れている国の施策で、一定以上の魔力を持つ者は入学を定められている魔法学園。
その一学生。
マルコ・チェッリーニ。
これといって特徴のない、食べることが好きな16歳の少年である。
二角獣の月一〇日 1
今日は人生最悪の日だった。
今思い返すと、始まりからして縁起が悪かった。
彼――マルコは通学途中にある公園で、怪しい男を見かけたのだ。男は日中から仕事にも行かず、ベンチに腰掛けて、どこか危ない目つきで虚空を見据え、何かをブツブツ呟いて大笑いしていた。さっさとその場からは立ち去ったのだが、決心した傍から気分が萎えさせられるのを感じた。
マルコにはちょっといい雰囲気になっているクラスメイトがいた。
いけるのでは? やっぱり勘違いでは?
そんな思いを何度も反復横跳びした末に告白。返ってきたのは罵声だった。
「はぁ? 何言ってんの? あんたが私に告白? 身の程を知りなさいよ。ちょっと優しくしてやったら勘違いして……、常識をわきまえることね」
気が付けば頭が真っ白になって、彼女の顔が至近にあった。マルコの顔の下に。
マルコは彼女を押し倒す態勢になっていた。
彼女の瞳に怯えと雫が見える。
その瞬間、マルコの体は硬直し、心は悔恨の念を宿す。そして股間は電流が頭頂まで走り抜ける。
金的を受け股間を抑えながらもだえ苦しむマルコ。
先ほどまでとは上下逆転し、蔑みの視線で彼女から見下ろされる。
「本性現したわね」
捨て台詞と共に彼女は去り、そのままマルコは捨て置かれた。
こんなはずではなかったのに。
寮のベッドで何十度目かの呟きを漏らすマルコ。
寝ころんだまま焼成魔法でクッキーを焼き上げる。
味はいまいち。
混ぜ方が適当すぎて実にまだら食感。
気もそぞろだったからな~。
ここまで一歩もベッドから動いていない。
ああ……、今日事が全部なかったことになったらいいのに。
マルコのその願いは叶う。
しかし……
彼の願いとループ現象の間に因果関係は認められない。
それは証明されている、
ニカノは一日中冷めた目線で一度目の二角獣の月一〇日を見ていた。
二角獣の月一〇日 6
ループにより少女を襲ったことがなかったことになったマルコは、ほっとしてループ生活を過ごしていた。
彼女との関係も良好。
しかし、彼女の内心はああなのだ。
それを思うと仲の良い友達関係を続けながらもマルコの心は病む。
就寝前のホットケーキも1枚半しか喉を通らない。
ニカノはこの機会に、記憶領域内での時間魔法による早送りの感覚を掴もうとしていた。
二角獣の月一〇日 13
傷心しているマルコを気遣い、彼女は何かと世話を焼いてくる。
しかし、内心はああである。
しかし、彼女の優しさに触れると、あれは何かの間違いだったのではという気になってくる。
しかし、それならそれで、自分が彼女にしたことを思い出し、さらに気持ちを自分で下げる。
しかし、あれはなかったことになったのだと、気持ちを持ちなし、魔法で燻製肉を作る。
しかし、なかったことになったということは、罪を償うことすらできないということだと、肉の気持ちではなくなったのでブロッコリーでも焼くことにする。
まあ、罪の証明はできなくもないんだけどね。
この記憶魔法とかね。
そんな感想を持ちながら、ループへの不安が全然ないことに、ニカノはそろそろ感心してきていた。
こんな奴らばかりなんだろうか。それともそれが普通なんだろうか。人は環境に適応する生き物っていうけどね。
二角獣の月一〇日 25
それから、マルコが彼女を気遣って怪しまれること二回。
過剰に彼女をエスコートしようとしてさらに怪しまれること二回。
いっそのこと……と、思い悩み結局行動できないこと三回。
何もかも忘れて食べ歩きすること五回。
その間、肉三回、魚二回、焼き菓子六回、砂糖菓子二回、ゼリー三回、パン七回、練りもの三回、揚げもの四回、粉もの一回、を間食だけで消費していた。
よく太らないな。
思わずそう思ってから、ループ中だからいくら食べようと太るはずがないことに気づくニカノであった。
二角獣の月一〇日 32
「あんた私に何した」
マルコはループについて彼女に話すことにした。
ループ自体は信じられなかったが、マルコが彼女の知らない何かをしたという点だけは信じられてしまった。
マルコの反応から判断してのことだ。
「下着でも盗んだんじゃないでしょうね」
「ソンナコトしてないよ」
「……そんなことじゃあすまないってワケ」
ボクたち、言葉がなくても通じ合っているようだね。
マルコは現実逃避する。
ニカノは記憶領域内認識時間操作の調節の片手間にマルコの修羅場を見ていた。
記憶の早送りはできるようになった。スキップはできない。
時間の加速や減速、逆転に関しては可能だけど、時間を飛ばす、時間跳躍――タイムリープは時間魔法でも不可能なことだから、予測出来てはいたことだった。
この空間内なら或いは、と思ったのだけど……。
ニカノが思考の渦に沈んでいる中で、マルコは彼女にしばかれていた。
よく見ていれば、本気の暴力は振るわれていないことに気づいたかもしれない。
しかし、本気でなくても痛いのは嫌だと、マルコが気づく様子はないし、何かいい時間魔法の応用が浮かびそうだとなっているニカノも、二人に注目などしてないので、誰にも気づかれることはなかった。
二角獣の月一〇日 40
マルコは食べ歩きをすることにした。
このループが何なのかはわからないし、だんだん不安を覚えるようにもなって来た。
けれど、せっかくなのだから、この現象を有効利用しよう。
この現象中なら、いくら食べても太らない。食べ過ぎでお腹を壊しても一晩で元に戻る。おこずかいも一晩で元に戻る。
マルコはひたすらに食べ続けた。
今更ながら、失恋のやけ食いと名目もあった。
こういうタイミングこそ、飛ばす好機なのに、とニカノは思った。
二角獣の月一〇日 55
「なにか困ってることはないか!」
普段の彼女なら「何だこの馬鹿は」ぐらい言うところだが、突然すぎてそんな言葉も出てこない。
「あれば何でも言ってくれたまえ。この僕が力になろう!」
「別にないけど・・・・・・」
「授業が嫌なら僕が潰そう!」
「腹が減ったのならパンを買ってこよう!」
「殺したいやつがいるなら言ってくれ。大丈夫、君の名前は絶対に出さない」
食べ歩きにも飽きたマルコは、喉に引っ掛かっていた棘を抜こうと試みた。
一度目のループでの、彼女への強姦未遂についてだ。
悩んだ末、マルコは彼なりの答えを出した。彼女が覚えていようがいまいが関係ない、なんとかしてあの時の償いをするのだと。
その結果が食材――じゃなくて、贖罪をしようとしてこうなるの?
お菓子な――いや可笑しなテンションになっている。くそ。変に影響を受けている。
本人は贖罪のつもりみたいだけど、これじゃウザ絡みでしかないと思う。
そういえばこんな感じのキャラだったっけ?
あまり長い時間を過ごした訳ではないが、ニカノはこの二人のクラスメートだった時期もある。
「あのさあ・・・・・・」
「なんだい?」
「それ何なの? どういうネタ? はっきり言ってうざいんだけど」
はっきりと告げる彼女に、マルコは時代がかった台詞回しで応じる。
「うん。君の問いには何でも答えてあげたい所だけど、こればかりは説明が難しくて。償いといっても分からないだろうし。……強いて理由を挙げるなら――愛ゆえにかな」
「何よそれ……、私のこと好きだとでも言うわけ?」
「もちろん好きだよ。大好きだ。愛している。けどそれはいいんだ。僕にとって今肝心なのは、いかにして君に……ん?」
滑らかに動いていたマルコの舌の回転が止まる。
目を見開いて自分を凝視している彼女の反応を見て、マルコも自分が何を口走ったか気づく。
「…………あ」
案の定、彼女からは前と同じセリフが返って来た。
「は、はぁ? ななな何言ってんの? あんたが私に告白? み、み、身の程を知りなさいよ。ちょちょちょっと優しくしてやったらかか、勘違いして……、じょじょじょジョーシキをわきまえることね」
間違いなく、前と同じセリフ。
だが、何か違う。
目の前には顔を真っ赤にして震えている彼女。視線が合うと慌てて不自然に逸らしてくる。
マルコは自分の記憶が信じられなくなった。
お、おかしい。僕の記憶ではこんな可愛い姿は見られなかった。こんな可愛い彼女の姿は一度見れば決して忘れないはずだだだ、だ。
もしかして前のは幻覚だった。これが真実の姿?
ニカノはイラっとしたが、すぐに気を落ち着かせんとする。
ニカノから見て、アレは幻覚などではない。客観的に、以前のループの告白時とは明らかに違う反応をしている。
が、ニカノは動じない。
彼には、すでに変化の種は割れている。
それはニカノにとって重要なことではなかった。
今回の出来事はループに何の影響を与えることなく、あと20回ほどループして、脈略無くループは終わる。
感染経路についても問題外なんだよな。
ループが始まってからずっと、次の感染者に接触しているんだし。
次の感染者は 魔法学園女学生カルメラ・グラニャーニ。
マルコが、今まさに間違って二度目の告白をしてしまった女生徒、その人である。




