2 2月9日 王宮詰め魔導士の記憶
二角獣の月九日 1
王城勤めとはエリートである。
アサトリューク連邦王国は魔導が盛んな国で、他国と比して魔導士の数は多い。
これは建国王の師が強力な魔導士であり、その建国に大きく貢献したことに所以がある。
人々の生活のいたるところに魔法が入り込み、それを習うものも多い。
その最上位にあたるのが国家魔導士。
現在この国には七人の国家魔導士が任命されている。
戦略魔導士 ミロ・ココ
手工業革命 セバスチャン・デ・サンクティス
水魔導士 ロザンナ・アマティ
一人鉱山 ルキノ・ポンペア
創世の ゾエ・ミケーリ
そして、王師のみが扱えた時間魔法を、200年ぶりに、わずか17歳で復活させた
神童 ステファニー・スカリア
さらに、三人目となる時間魔法使い
超神童 ニカノ・イッタ
この七人が現在の連邦における国家魔導士。
国家魔導士には専用の研究所と潤沢な予算が与えられ、好きに魔導の研究ができる。
そこまではいかないが、王城詰めの魔導士とは、給料も待遇も恵まれたエリートコースである。
ただし、三級魔導士は別。
三級魔導士は、魔法に造士の深い雑用係である。
素人には任せられないが、一人前の魔導士がやりたがらない雑用。それをするために雇われた人員である。
上の王宮詰め魔導士には劣等と見下され、
プライドの高い民間の魔導士は、金と安定のために誇りを売ったと蔑む。
クズどもが。
何が誇りだ、プライドだけ肥大させて、向上心も想像力ももたないダニが。
三級魔導士ライモンドの日記には、そんな言葉は書いていなかった。
今でも思い出せる。
確かに就寝前に、日課の日記にそう記したはずだが。
ライモンドの目の前にある自分の日記には、前日書いたはずのそんな記述が抜けていた。
もしやクズどもに見られて削除された?
いつだってそう。
先進的先鋭者は無思慮な凡俗どもに無形の圧力を向けられ、芸術とでも言うべき思想を抑圧される―――
そんな調子でどんどん沸いてくる文言を気分よく日記に書き込むライモンド。
最初に感じた違和感はすでに忘れている。
さすがに三回目になって、ようやく同じ日がループしていることに気が付いた。
二角獣の月九日 4
ライモンド・トスティの専門は、立体構造魔法陣である。
複雑すぎて人が入らない、労力に見合った結果が得られないと酷評されている分野だ。
ライモンド自身は、まあ、愚物には理解できないだろうな、と鼻で嘲笑している。
多い時には多いが、普段はそんなに多くはない雑用をこなしつつ 、合間に立体魔法陣の構築研究を行う。
本人曰く凡百の戯言の鬱屈を日記に叩きつけ、仕事と実益の両輪を回し続ける。
ライモンドの日常はそうやって過ぎていた。
ループに気づいたライモンドに動揺はなかった。
彼は動揺など下等生物のするものと思っている。
少なくとも表面上は。
間違いない。今日は二角獣の月九日。
何故こんな現象が起こっているか定かではないが、問題はそこではない。
そこまで考えて、ライモンドはふと思い至った。
問題?
一日が繰り返されることに何か問題があるのか?
しばらく考えてみたが、問題は思い浮かばなかった。
そこでライモンドは
この時間を利用して立体魔法陣の研究を進めることにした
結果の分かった賭けレースで一発当てて豪遊することにした
……あれ?
そこで二人の思考は分離した。
ニカノはライモンドの思考に取り込まれる前に自我を取り戻した。
それまではニカノの意識は完全にライモンドと同期し、自分をライモンドだと認識していた。
危ない所だった。禁忌の魔法とされているだけのことはある。
これは取り出した当人の記憶をもとに、記憶の世界を再現。それを当人の視点から体験するもののはず。
それが完全にライモンドになり切っていた。
今はライモンドの視点から物を見ながら、もう一つ一歩後ろに引いた視点で、背後霊のようにライモンドと記憶世界を見ている状態になっている。
それもニカノとライモンドが、まったく違うことを考えたからだ。
それまで他者を見下し、蔑んでいたのは何だったのか。
自分では努力をしないのに他人を妬んでばかりの愚者。
その点ではニカノのライモンドの考えは一致していた。認識が揃い、自我の境界線があいまいになっていた。
だが、二人の思考は別たれた。
年若いニカノには、怒りや侮蔑よりも、困惑が優った。
なんで、そうなる?
師ステファニーが残した資料にもライモンド・トスティは、ループ中にループ現象についての調査を行ったとされている。
それだから最初に記憶を覗く人物として選んだわけだ。
それが何故?
ニカノの困惑などに止まってくれず、記憶の時間は進む。
ライモンドは貯金を握り締め、リザードレース場に向かっていた。
リザードレース。ニカノの記憶では、凶暴なトカゲモンスターを捕らえて、競争させている公営ギャンブルだった。
レース中にリザード同士が互いを噛み、殺しあったり、そのせいでレースには遅れを取ったり、それも含めて賭けを楽しむ、競馬や剣闘、両方の要素を兼ね備えた、野蛮なギャンブルと聞き及んでいる。
突発的な思い付きだったので今は大きなレースはしていないが、リザードレースは基本毎日行われている。
まず初日に勝ち蜥蜴を覚えて、次のループで賭けようとするライモンド。
二角獣の月九日 5
ライモンドはレースに負けた。掛札は紙クズとなった。
貯金をすべて飛ばして、初めてループが今回で終わったらどうしようと不安に駆られるライモンドを、ニカノは冷めた目で同じ光景を見ていた。
二角獣の月九日 6
次の同じ日。
ライモンドはギャンブルを外した理由を考えていた。
自分が行動したことにより変化が起こった。それにより結果が変わった。
小さなレースに大金をつぎ込んだことにより、配当も変わった。それで順位が変動した。
運営のイカサマ。配当を見て、厩舎員が蜥蜴に手を加えることにした。
自分がレース場に行ったことによる影響。それから派生する他の客の行動の変化。さらにそこから派生する影響。
無限に近い数のバタフライエフェクトが頭に昇った。
それらを総合した結果。
やっぱりギャンブルはクソだな。
ライモンドはその結末に至った。
やっぱりこいつはカスだな。
ニカノはそう断定した。
しかし、それは気の早い結論だった。
ライモンドは諦めきれず、これからもクソだと結論付けたギャンブル場にたびたび足を運ぶのだった。
二角獣の月九日 24
何度か試行錯誤した結果、大金を手に入れることに成功したライモンドは連日――いや同日はでに遊びまわった。
飛ばせないかな、これ。
ニカノは苛立ちを覚えながら、記憶世界の分析を行なっていた。
ライモンドの記憶を元に再構築された世界。
だから、ライモンド自身が行っていない場所は存在しない。なんなら、ライモンドが前を見ている時、その後ろには何も存在しない。
視覚も共有しているのでニカノにも確認はできないが、そんな仕様のはずだ。
遊ぶ歩くライモンドにニカノは軽蔑の度合いを増していく。
こんなものを、師匠にも見せたのか。
実際には逆にライモンドの記憶をステファニーが覗いたことになるのだが、視野が狭まっているニカノは理不尽な怒りさえ覚えていた。
他人を批判し見下すだけで、自分では何も行動しないやつ。
よく人のことをいえるもん――だ
ふとニカノの記憶が蘇る。
「ニカノ君は人を見下してるよね」
「はい。やつらは明らかに下ですから」
ニカノは師匠の問いに躊躇なく答えた。
もちろん師匠であるステファニーのことは、ナチュラルに見下し対象から除外している。
「あいつら馬鹿ですし。すぐに選択を間違える。話しているとイライラしてくるんです」
「う~~~ん。ニカノ君が自分より頭の悪い人に厳しいのは、別にいいんだけどね」
ステファニーもまた、界隈で天才と呼ばれる人種である。
「その厳しさは自分にも返ってくるやつだよ」
ニカノは畏まって師匠の言葉を聞き逃さないように静聴している。
たとえ師匠の言葉がどんなものであれ、ニカノは受け入れるつもりだった。
「君は思い込みが激しいっていうか、全知でもない限りどんな人でも間違いは犯すものだから、そのままだといずれ自分が失敗した時に、自分で自分を傷つけちゃうよ。君には傷ついてほしくないかな。………私みたいに」
ニカノは師匠に愛されていると感慨にふけって、最後に小声で付け加えられた言葉を聞かなかった。
師匠の困り顔もそっちのけで。
そうだ、彼の人格を批評するためにここに来たんじゃない。
師とのやりとりを思い出し、ニカノは思いなおした。
自分はライモンドの行動からループ現象の謎を突き止めるために、彼の記憶を覗いている。
そして、それよりも師匠の行方のヒントを掴むためにここにいるのだ。
とりあえず目的意識を思い出したニカノ。
一方、そのライモンドは、豪遊で気が晴れるどころか、何か胸に引っ掛かるものを覚える自分に困惑していた。
二角獣の月九日 42
まさか医者に診てもらう訳にもいかない。
ライモンドはしだいに言いようのないストレスを抱える自分を自覚し始めていた。
ループの内容に関係なく、そのストレスは着実に彼の中に蓄積されていった。
賭けで負けた回も、賭けに勝った回も、そもそも賭けをやらなかった回にも。
謎のストレスはライモンドの中で増殖しつつあった。
ライモンドは自分だけでストレスの原因を探る。
この得体のしれないループ現象の只中にいることがストレスになっているとは、考えもしないのか。
ニカノは呆れ、半ば感心した。
思索の結果ライモンドはストレスの原因は、積み重ねがないことだと診断した。
ループが起これば、ループする前の言動、行動、蓄積。それらすべてが無に帰す。
世界中すべての人類に営みが停滞する。
そんな大規模な話でなくとも、自分のやったことがなにも積み重ならないという事態に、ライモンドは無自覚のストレスを覚えていたのだと判断した。
ならば、ことは簡単だ。
簡単か?
ライモンドはループ中にも積み重なるもの。つまり、自分の記憶を積み重ねることに決めた。
これでようやくループ現象の調査に入るのか。……長かった。
記憶の世界の中で40日余り。だが、外ではそこまでの時間は過ぎていない。
この記憶世界では、認識に時間圧縮が掛けられているので、中では40日でも、外の時間ではまだ一、二時間ほどしか経っていないはずだ。
それでもニカノの主観ではかなりの時間が過ぎている。
睡眠時などライモンドの意識がない時間は飛ばされるので、実際には40日には及んでいないが、それでも十分に長い。
ともかくこれからが本番だ。
記録によればこの後ライモンドは廃人となる。
好都合だ、とニカノは冷たく思う。
ループが感染するのならば、接触経路は少ない方がいい。
ライモンドがこの後どうなるかは、すでに過去の話でしかない。
ライモンドの後に感染した人間に接触する機会があるか、ニカノはその時が来るまで待つことにした。
二角獣の月九日 54
ライモンドはループについて調べる。
ループの起点はいつからか。終点はいつなのか。
終点前に死亡するとどうなるのか。
ループ時に思考の連続性は保たれるのか。
起点はライモンドが寝ている時点なので確認しようがない。
肉体的損傷や疲労は消えるか。
ループで自動的に時間が戻るので、肉体的疲労は消える。
なので肉体の限界まで頭脳労働を続ける。
ライモンドはそれをずっと続けていた。
助走が長いが、走り出すと早いタイプなんだな。
ニカノはライモンドへの所感を変えていた。
調査の内容も、考察も、ニカノの目から見ても悪くない出来だった。
しかし……
こんな無茶なことを続けていれば肉体じゃなくて、精神に限界が来る。
どおりで、あんな結果になったわけだ。
ライモンドはループ後に精神の壊れた廃人となって発見されていた。
だが、ライモンドはそれも織り込み済みだった。
ループ中、ライモンドの記憶のみが引き継がれる。
ではそのライモンドの精神が壊れるとどうなるのか。
観測者のいないループだけが続けられるのか。
それともその時こそがループの終わる時なのか。
ライモンドは自分さえ実験台にして、その答えを出そうとしていた。
極端から極端に走る人だ。
ただ、それはニカノにも興味深い疑問だった。しかし、
……まずいな。
それは同時に人の精神を壊す詰め込み研究を、ニカノも同時に味わうことを意味していた。
うかつだった。師匠がライモンドの記憶を見て記録を残しているから、何らかの方法はあるはずだけど。
あまりにも安易に訪れた自分の脳への危機に、ニカノはライモンドの研究と自分の身を守る方策。両方を同時進行で処理する。
この記憶領域は師匠の魔法によるものだ。
肉体的苦痛によるトラウマも引く継がれるのか。
師匠の使える魔法は把握している。師匠ならどうする? どうやってこの記憶を見た?
幻覚性成分を持つ薬の効果は?
記憶領域内の時間は現実の約十数倍の速さ。
精神に作用するという精霊の力はどうだろう。
認識時間加速魔法によりそれを為している。
終点時間に脳に電気を流し、その影響を
ならば、その認識時間を加速する魔法に干渉すれば……
~~~~~~~~~~~イ~~~~~~った~~~~
できた。記憶がすごい速さで流れ始めた。でも、まずい。
認識時間を操作したことで、ニカノの脳にライモンドの行っている無茶な研究が、一気にそれまでの十数倍の濃度で押し寄せてきた。
情報の洪水に溺れ、混濁する意識の中、ニカノの意識は浮上する。
「――――――――っは! ~~~~~~~~~~ふぅ、ふぅ、ふぅ」
そこは、ライモンドの狭いプライベートルームではなかった。
国家魔導士ステファニー・スカリアが国より授かった研究所。その一室。
なんとか記憶領域より意識を脱出させたニカノ。
全身から滝のような汗が流れている。
疲労感はすごいが、思考はしっかりとしている。
肉体に至っては、汗以外は健康そのものだ。
しかし、収穫はなかった。
感染経路の確認はできなかった。
師匠の行方についても。
ライモンドの記憶を見た影響で、精神に異常をきたし失踪した可能性もある。
しかし、残された資料を見てその可能性は潰える。
資料には作成日時が記されていた。
それによればライモンドの記憶を見て資料を作成した後も、他の人物の記憶を見て資料を作成している。
ライモンドの記憶による影響で失踪したとは考えづらい。
ニカノは時間を惜しみ、すぐさま次の記憶宝珠に手を伸ばす。
その行動は、まるでライモンドのようだ。
次はこいつだ。
その宝珠の記憶はニカノの知っている人間だった。
すでに既知の人物。客観的に知っている人間の方が、意識も混濁しづらいと考えたのだ。
一刻も早く師匠の行方について手がかりを掴みたい。精神は疲弊しているが、休んでなど、休んでいる暇など――――
やはり休んでからにしよう。
ニカノは思いなおし、宝珠から手を離して、資料を眺める。
ライモンドの記憶の影響から解放されたのか。
それとも、彼の記憶を見たがゆえに無茶な詰め込みは危険と判断したのか。
次に選んだループ感染者の記憶は魔法学園の学生。
名はマルコ・チェッリーニ。ニカノは一時期、彼と同級生だったことがある。
資料によると、意中の女学生に告白して、振られた日にループが起こったとある。




