15 時元限界領域 1
その館には死が折り重なっていた。
死屍累々。その大半が、まだ年端もいかない子供。
「……自分が死ぬなら自分の所有物は道連れ。……或いは、そうなりたくなければ、命がけで自分を守れ……か。最後まで胸糞の悪い輩だよ」
眼光鋭い老婆は、連れの女性に目をやる。
まだ年若いその女性は震えながら、手を伸ばす。
その先は、折り重なっている死んでいる子供たち。
主の死後、強制的に道連れになる契約の呪術によって殉死させられた奴隷たち。
その手が子供たちに触れる前に、老婆の声がその耳朶を打つ。
「アンタの時間魔法は死も覆せるのかい」
その声に呆然と無意識で動いていたステファニー・スカリアは、意識を取り戻す。
「いえ、私の時間魔法で戻せる時間はわずかな……短い時間だけです。無理に長い時間巻き戻しても、時間の逆流が発生して元に戻ります」
己の専門分野のことになると、どれほど心乱れていようとも、はっきりとした答えを出せる。
ステファニーは改めてはっきりとした意識でこの場の光景を眺める。
死。
その場にあるのはそれだった。
死体にはどれもこれも醜い傷があちこちに見られる。
呪術による死は、一切外傷をもたらさない。その傷は致命の呪術とは関係のない代物であることを意味していた。
「国家魔導士が二人もいて……こんな……こんなことにしか……」
「のぼせあがるんじゃないよ! スカリア!」
老婆の叱責が飛ぶ。
「国家魔導士なんてのは、一芸が国家運営にかかわるレベルになっただけの、一介の魔導士にすぎないんだよ! それだけの存在さ。誰かもかれも救えたりしないよ」
ステファニーと老婆。国家魔導士の一人。水魔導士ロザンナ・アマティ。両者の間には4倍近い年齢差がある。
老婆ロザンナが水魔法を使う。
生み出された水は、床を壁を天井を添って流れていく。
その水の輝きはその場にある死を忘れさせるほどに美しかった。
水が引いた後には、汚らしい壁面は磨き上げられた静謐さを取り戻し、あちこちに沸いていた薄汚い染みも消えている。
傷だらけだった遺体も清められ、薄汚れていた着衣も清潔さを取り戻していた。
館に仕掛けられた侵入者撃退用の罠も、呪術によるトラップも、すべて水が洗い流していた。
「国家魔導士の力がそんなにすごいなら、一年前の疫病であれほどの被害が出ることもなかっただろうよ」
老婆が吐き捨てるように呟く。
その時に親を亡くして買われていった子供たちが、この中にも少なくないだろうことは容易に想像できた。
「老師……アマティ老師はともかく、私には……そんなにすごくない力すら……国家魔導士に相応しい力すら……魔法の種類が珍しいだけで……授かった地位に相応しいことなんて……」
目の前の光景に心弱ったステファニーには、普段から抱える鬱屈を押し留められず、吐き出されてしまう。
そんなことを言っている状況ではないと、頭では分かっているにも関わらず。
「いいか、スカリア。自分の行動に見返りなんて求めるんじゃないよ。特に虚像の肩書に相応しい結果なんてもってのほかさ。アタシも五十年の前に国家魔導士の資格と、『泉の聖女』なんていう、たわけた呼び名をもらったがねえ。そんなモンはそのまま泉の底に沈めてきたよ。今なら、『泉の老女』なら、もらってやるがねえ」
ステファニーはうなだれたまま、反応を見せない。
「……そうでないと、アンタのそれは、いずれアンタを殺すよ。スカリア」
うなだれていたステファニーの視線が、少しだけ前を向いた。
光が見えた。
光はやせ細った子供から発せられていた。
生き残りがいた。少年か。年齢のせいもあり、中性的でどちらにも見える。
光はその子供の色素の薄い髪に、いい塩梅に光が反射したものだった。
その子供の前に駆け寄り、跪き目線を合わせるステファニー。
この館の中で生き残っているものがいるとすれば、それは素養だけで呪術に抵抗し死を免れた、とんでもない素質の持ち主か、或いは、そもそも死の呪術を施されていない、館の主の身内か、だ。
どちらの可能性が高いかは明白。
老婆はすっと目を細める。
手を伸ばし、子供の手を取るステファニー。
その手は拒絶の意思によって振り払われた。
「あ……」
ショックを受ける、ステファニー。
「あ……」
それにショックを受ける子供。
子どもは震える唇で、つたない意志を吐き出した。
「だめ…です。…さわっ…ちゃ……きたない…から」
ステファニーは子供の意思を無視し、その体を抱きしめた。
ったく、この娘は……。
聞きやしないんだからね。
この子供でなくとも、誰でも良かったのだろう。結果、が得られれば。
ロザンナが無言で水魔法を使う。
水は子供の内の老廃した水を入れ替え、いまだ効果を発していた呪術を洗い流した。
それにしても……。
抵抗したのかい。何の修練も受けていない子が。無意識で。……これはすごい素質だねえ。
それより5年。肌つやはすっかり健康体のものとなった。しかし、館の主に珍奇として喜ばれた、体に必要な何かが足りなくて変異したと思われる色素の薄い髪はそのままだ。
その髪をなびかせて、ニカノは生き物の気配のない無人の王都に降り立った。
「風はあるんだな」
生き物の気配がない王都。そこにも風は流れていた。
他にも動くものはあった。
動く人の形をした時の幻影。それは他者を見かけると走り寄り襲い掛かってくる。
ニカノは黙って、幻影の心臓の時間を停止させた。
モンテカルロの幻影は走っていた勢いのまま動かなくなり、地面を撥ねる。
そんなに長い時間停止させていられるわけではない。
そんなに長い時間停止させおく必要もない。
完全に人体を模した構造になっているんだな。
ニカノは心停止した幻影を観察しながら、静かに考えた。
始祖の魔道具と時間魔法の組み合わせでこの空間に来れると睨んだ、ニカノの狙い通り、何度目かの時間魔法の組み合わせで、ニカノはこの誰もいない時の空間にやってきていた。
ナンパ師のベリオもやって来た空間。
人の気配はなく、虫などの小動物の気配もない。植物もない。建物など無機物はそのまま。命のない世界。
ここはアサトリュークの王都だが、その先も、無人の世界が続いているのだろうか。
無人の王都には、ただ、時の幻影だけがうろついていた。
あれはライモンド・トスティ。
あれはレナート・ヴィスコンティ。
記憶宝珠で確認したモンテカルロとテオだけでなく、ループに感染した他の者たちの姿も見える。
その中には記憶にない姿もある。
禁術にて記憶を取り出していない感染者たち。いまだ発見されていないループ者たちだろう。
それが生き生きと、だけれど生のない人形のように、矛盾した挙動で日々の生活を送っている。
ライモンド・トスティは精神に負担をかけすぎて苦しんでいる。しかし、それでもここでは負担をかける学習を止めないで続けていた。
レナート・ヴィスコンティは心を殺し、死を見つめ続けている。ここにはいない誰かの死を。ずっと。
彼らは時の幻影。ループ最後の周回でオリジナルが取った行動をなぞり続けるだけのコピーに過ぎない。
これでいいのなら、ループの必要はないような。
それともこれでは駄目だから、人をループに巻き込む必要があったのか。
ニカノはまずベリオが遭遇した人影を探す。
まず、彼が始祖の魔道具を発見した国立魔導博物館だ。
人影はベリオの家から、博物館の方角に向かっている時に遭遇した。
この無人の都にあって、そこだけは現実とは違った。
そこにあるのは博物館ではなかった。それよりも遥か昔の建築物のまま。
博物館となる前の、すなわち時間魔法の始祖ベルナルド・アマーリエが使用していた研究所。それが約200年前のままの形でそこにあった。
ある予感を元に、始祖の研究所に踏み入るニカノ。
研究所もやはり無人。
とりあえずベリオが発見した秘密の地下室へと向かう。そこまでは改築しなかったのか、博物館時代と同じルートだった。
そうしてベリオの記憶で見た通りに仕掛けを動かし、魔道具のあった部屋まで行く。
室内も記憶通りだった。記憶で見たのと同じ間取り。しかし、記憶にあるものよりも老朽化していない。
そして、記憶ではいなかったものが、そこにはいた。
己の魔法の効果を常に実証するために、左右で長さの違う特徴的な髭をした老人。
肖像画で見た、始祖ベルナルド・アマーリエその人の姿。
ベリオのようにこの空間から追い出されては困る。
まだベリオをこの空間から追い出したのが、目の前の人物とは限らないが、ニカノは警戒し、見つからないように、物陰から観察する。
その動きの特徴で分かった。
「これも『時の幻影』なのか」
その場にいた始祖は、時を戻して不死を生きる本人などではなく、時間魔法で顕現された幻影だった。
しかも、どうやら動きがおかしい。
どのぐらい前から起動している幻影かは不明だが、すでに魔法の効果は切れかかり、まともな挙動はできなくなっているように見える。
これならベリオの時のように強制退場させられることはないかと、幻影の前に姿をさらすニカノ。
近寄って始祖の幻影を観察する。
幻影は何の反応も示さない。
幻影は本来の意味のゴーストのように、その姿が薄れかかり不安定になっていた。
自分ならどうするか。
こんな場合だというのに、ニカノの思考は始祖の立場に立って進んでいた。
幻影を作る。本来の幻影は過去の挙動を切り取ったもので、過去にした動きを再生するだけ。モだが、ンテカルロの幻影を見るに、過去の状態を切り出し、過去の本人の判断を思考パターンを再現させ、自立稼働させるといった挙動もできる。
たぶん、やろうと思えば、自分でもできる。
ニカノは未知の魔法を前にそう判断していた。
恐ろしい勢いで開花した彼の才能は、最も習熟した時間魔法に限るとはいえ、初見コピーすら可能とする領域に達していた。
とはいえ、それは魔法の効果が消えれば、消え去る幻影にすぎない。
今、ニカノの目の前で存在を薄れさせている、始祖の幻影のように。
自分なら――
幻影に時間魔法を仕込んでおく。時を戻し、『時の幻影』の効果時間を復活させる魔法だ。
理論上はそれでずっとこの幻影を稼働させられるはずだ。
たとえ、二百年の長きに渡っても。
始祖もそれを仕込んでいないとは思えない。
しかし、理屈はそれでも、実際にはそうはいかなかったのだろう。
その場その時の、時間の流れと揺れを見極めて、最適な調整をした魔法を行使する。
時間魔法の使用には、毎回そのような繊細な調整が必要となる。
幻影でなく本人でも、何百、何千と繰り返しているとミスが出る。魔法に失敗することがある。
本人のコピーに過ぎない幻影も、また同じ。
魔法に失敗し、完全な状態でも自らの保存ができなかった幻影は、少しずつ劣化していく。そして、劣化する度に、ミスが多くなる。
そうやって少しずつ元の機能を失い壊れていく。
「時間魔法で不老不死なんて作れないってことなんですね」
「そうだよ。しょせん、人の身で永遠なんて作れないってことだね。……人の身ではね」
声がした。
待ち望んだ声。
ニカノのものでない、別人の声。幻影の声ではない。
幻影は黙り込んで、なにやら時間の流れに干渉し、延々と作業を行っている様子。
「君もここに来てしまったんだね。ニカノ君」
後ろを振り返ると、そこにニカノの探し人がいた。
ずっと探していた少年の師、時間魔導士ステファニー・スカリアが、寂しげな微笑を浮かべてそこにいた。




