4. 校外学習
5月中旬――
今日は校外学習で、有名なお寺に来た。
庭園は、空気がやわらかい。冬の名残なんてもうなくて、鳥の声と土の匂いがふんわり混ざる。日差しは少し強くなってきてるけど、まだ優しい。
石畳の上を、靴の音を鳴らして歩く。
「ねー見て、あの鯉でかい」
前のほうで誰かが笑って、クラスの空気が春みたいにゆるむ。
本堂の中は暗かったけれど、仏像のある場所だけほんのり明かりが灯っていた。明かりというより仏像そのものが、光を生み出しているみたい。
私は遠足のしおりにメモを取りながら、見学していた。
「この時代かぁ」
興味深々で仏像を見ていると、みんなが先に行ってしまった。慌てて後を追う。
「あ、いたいた!」と若松くんが来てくれた。
「竹宮さん、ずっと見ていたの?」
「うん。歴史の建造物って好きなんだ」
お母さんが歴史好きなので、小学生の頃からお寺や城に連れて行ってもらってた。だからつい夢中になっちゃった。若松くんが迎えに来てくれなければ、みんなとはぐれるところだった。
「ありがとう、若松くん」
最近、よく若松くんに“ありがとう”って言ってるような気がする。
それってつまり……彼がいつも私を助けてくれてるってこと?
――いや、きっとみんなに親切なはず。
そんな当たり前の言い訳で、自分の気持ちをごまかそうとする。
けれどほんの少しだけ、期待がひょっこりと顔を出す。どうしてだろう。
昼食後は自由時間となった。
私は佳澄や他の女子たち数人で、境内を散策した。坂を登った先の塔に足を踏み入れると、ほのかに木の香りがする。廊下から見える圧巻の景色に思わず「わぁ……」と声が出た。
鐘の音が遠くで響き、時間がゆっくりになる感じがした。日常から離れたこの場所で、もっとのんびりしたいなぁ。
「あ、お守り買おうよ!」
佳澄がそう言って売店を指差す。そこにはカラフルなお守りが並んでいた。
「どれにする?」
「恋愛成就?」
「えー? 好きな人いるの?」
お守りがたくさんあるので、私も迷っていた。
「あ、おみくじあるよ!」
「引きたい!」
佳澄たちがそう言っておみくじ売り場に行った。
私は学業成就のお守りを手に取ってみた。でも、他のお守りの方がいいのか迷っている。
「それ、いいな」
隣を見ると若松くんが立っていた。
「あ……けど他のも気になってて」
「そうなんだ」
「若松くんは買うの?」
「俺は……これかな」
そう言って彼が持っていたのは“健康祈願”のお守りだった。
健康って当たり前のことだと思ってたから、あまり気にならなかったけど……若松くんはどうしてそのお守りを買うのかな。
「思うんだよ。何を願うにしても、まず健康じゃないといけないなって」
その横顔はまた遠くを見つめているようで、胸が詰まる。私は彼から目が離せなかった。
自分よりもずっと大人びて見えて、だけど少し不安そうで。まるで、私が知らない“何か”を背負っているように見える。
「あ……何だかカッコつけたこと言ったな」
若松くんがこっちを見てクスッと笑う。私にはそれが、無理して笑おうとしているようにも見えた。
私は若松くんの方を見る。
「ううん、私も健康って大事だと思う。そのお守りはきっと効果があるよ」
すると彼の表情がほんの一瞬だけ震えた。そして健康祈願のお守りを見つめて、ふぅと息を吐く。
「……本当に、効くといいな」
お守りで持っておくというよりも、心から健康を祈願しているような言い方……もしかして誰にも言えない健康の悩みがあるのかな。
「若松くん……」
私は彼に何か言いたかった。だけど何を言っても、今の若松くんには届かないような気もする。
――それが少しだけ切なかった。
だけど……。
「私は、お守りを信じる。まず自分が信じないと始まらないと思うし。だから……私は学業を頑張る」
「竹宮さん……」
私は学業成就のお守りを、その場で購入した。
「ほら! これで今日からやる気が出てくるかも!」
袋に入れてもらったお守りを若松くんに見せる。
「竹宮さん……そうだよな。まず俺が信じないと」
今度は自然に笑ってくれた竹宮くん。それを見て、私は心の底からホッとした。
「よし! このお守りがあればきっと大丈夫だよな」
「うん!」
気づいたら、佳澄たちは別の場所に移動していた。若松くんは隣の売り場を見ている。
「竹宮さん、おみくじやらない?」
「あ、ちょうど気になってたの!」
私たちは売り場で、おみくじの箱を振る。小さな紙をもらって中を開けてみると……。
「あ、吉だ。割といいんだっけ」
「竹宮さん、いいなぁ。俺は末吉だったよ」
末吉って下のほうだっけ。私はさっきのお守りのこともあって、若松くんのことが気になっていた。
「結んでいくよ」と言って、若松くんはおみくじを結ぶ。
「吉だったら持って帰ってもいいのかな?」
「どっちでもいいと思うよ」
こんなこと言うと驚かれるかもしれない。
でも私は思い切って口を開く。
「この吉、若松くんにあげる」
「……え?」
自分の吉よりも、彼に元気になってほしい。
そう思って私はおみくじを差し出した。
「だからさ、その……大丈夫だと思うよ。若松くん」
「竹宮さん……」
手渡す時に指が触れそうになって、小さく息を吸う。
若松くんは吉のおみくじの下のほうを読んで、安心したように笑ってくれた。
「ありがとう、竹宮さん。これ、お守りにする」
「お守り、2つになったね」
「ほんとだ」
2人で笑い合い、売り場を離れる。
「萌々香ー! 若松くーん! もうすぐ集合時間だよー」
向こうから佳澄が走ってきた。
「あ、いけない。もう時間だね」
「竹宮さん」
「ん?」
「……今日は、ありがとう」
若松くんが優しい笑顔を向けてくれた。
私もそんな彼を見て、何だか嬉しくなってくる。
校外学習が終わっても――彼の笑った顔がしばらく心に残っていた。




