2. 転校生
「転校生の若松夏樹さんです」
先生に紹介された彼には、少し緊張が見えた。
「初めまして。よろしくお願いします」
あの時と同じような優しそうな声に、時間が一瞬止まった感覚があった。
席は離れているけれど、妙に彼を近くに感じる。背が高くて目立つからなのか、それとも……。
休み時間になると、若松くんの周りに人が集まった。すぐに打ち解けて男子たちと笑い合っている。
「若松くんかぁ。男子バレー部に入らないかな」
佳澄が興味深そうにしている。確かにあのぐらいの背の高さなら、バレーボールで軽々とアタックを決めそうだ。
「よし! 喋りに行ってくる!」
「え?」
佳澄がサッと若松くんの方に移動した。彼女は明るくて誰とでも話せる子だ。
若松くんは佳澄と何やら喋っているけど、ここからじゃ聞こえない。初対面なのに笑顔で話すふたりを、ちらちらと見ている私。気になるなら自分も行けばいいのに、そこまでの勇気はない。
やがて、佳澄が戻ってくる。すぐに私は「どうだった?」と尋ねた。
「若松くん、男子バレー部に入りたいんだって! 前の学校でもバレー部だったみたい」
「そうなんだ……」
「何だか強そうだし、頼りになりそう!」
同じバレー部で佳澄が嬉しそうにしているのが、羨ましかった。きっと話も合うんだろう。まるで少女漫画みたいに思えて、私はぼんやりと黒板の上の方を見ていた。
放課後、リュックを背負って部活に行こうとしていると、若松くんが私のところまで来てくれた。
「君と同じクラスになれるなんて」
「あ……ほんとだね」
少し照れたような仕草をしながら彼が言う。
「えっと……竹宮さんだっけ」
「うん、竹宮萌々香。よろしくね」
すると若松くんはぱっと笑顔を見せる。
「よろしく、竹宮さん」
名前を呼ばれただけなのに、胸がじんわりあたたかくなる。
今なら――話せるかも。
「佳澄から聞いたんだけど、若松くんはバレー部に入るの?」
「うん、そのつもり。今日もこのあと見に行くんだ」
私たちは教室を出て一緒に歩き出す。
「竹宮さんはさ、いつからフルート吹いてるの?」
「中学に入ってからだよ」
「そうなんだ。俺、楽器の中でフルートが一番好きなんだよ」
それを聞いて少し心臓の音が速くなった。自分の担当している楽器を褒めてもらえるの、嬉しいかも。
「どうしてフルートが好きなの?」
「それは……」
さっきまで楽しそうにしていたのに、何故か彼の顔色が変わった。
「フルートって、優しい音するだろ? なんか、守りたくなるっていうか」
春休みもフルートを見て少し寂しそうな表情をしていた若松くん。その時と似たような雰囲気で話す彼のことが、ちょっとだけ気になってきた。
「私はね、綺麗な音っていうのと、おしゃれに見えるところが好きだよ。最初は音がうまく出なかったけど、上手に吹けるようになった時は嬉しかった」
そう言うと若松くんも小さく笑った。
気づけば体育館に到着していた。
「じゃあまた明日な!」
彼は手を振って体育館に入って行った。その背中を見つめつつ、私も部室に向かう。
※※※
翌日。
「萌々香! 聞いてー!」
佳澄が勢いよく机に手をついて、私の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「昨日さ、若松くんがバレー部に来たんだけどさ……すんごいの! もうアタック決めまくっててびっくり」
やっぱりそうなんだ。
彼がアタックを決める絵を想像してみる……かっこよさそうだな。
「背も高いし、映えるだろうね」
「それそれ! もう隣のコートで女子がみんな見てたから!」
そういうわけで、あっという間に若松くんはバレー部の人気者となった。放課後に別の部活の子たちが見に行くぐらいだ。
「私も見てみたいな」とふいに声に出す。
「萌々香もおいでよ! 歓迎する! ついでに女子バレーに転部しない?」
「いや……それはいいよ」
そして4月の下旬ごろ、私は吹奏楽部の友だちと一緒に体育館に足を運んだ。少し暑くなってきて、もう初夏の匂いがする。
中に入ると、奥のコートに若松くんがいた。
「わぁーバレー部でも背が高いね! 素敵!」
興奮する友だちの隣で私も「そうだね」と言う。
シューズが床をきる音、ボールの連続した弾む音がリズムみたいに響く。
「はいっ、ナイスカット!」
「まだ落とすな!」
ネットの向こうでは彼のジャンプする影がふわっと浮いて、その瞬間だけ時間が伸びたよう。
――ドン、とスパイクが床に打ちつけられる。
痛そうなのに、それを誇りにしている顔。
汗がきらりと光って、窓から差す光と混じり合う。
「次、レシーブ入るぞ」
呼吸を整える時だけ、空気がすっと静まる。
でもすぐに、また音が駆けだす。
バレーって、ひとりじゃ続かないスポーツなんだな。
ボールが床に落ちるまでの一瞬、みんなの目が同じ場所を見る。それだけで、ちょっと胸が騒ぐ。
その時、ふっと若松くんと目が合った。
ほんの1秒だけ、世界が静かになった気がした。
彼はこちらを見て……微笑んでくれた。
息を飲んだ。
背中は遠くに見えるのに、息づかいは近くに感じるような気がする。
「萌々香、そろそろ行こっか」
「うん」
私たちは体育館を出て部活に向かった。
まだ若松くんのスパイクの音が、耳の奥で響いている。
どうしてなのかわからないけど、さっきよりもフルートを頑張りたいと思えるようになった。




