1. 初恋と出会い
「ごめん。君はいい子なんだけど、そういう意味で好きじゃない」
中1の3学期の終わりごろ。
憧れていたクラスの男の子にこう言われて、私の初恋は幕を閉じた。春がもうすぐやって来るというのに、私の胸の中の雪は、まだ溶けずに残ったままだ。
彼と一緒にいれば、可愛いと言ってもらえて、デートに連れて行ってもらえて、守ってもらえて……素敵な毎日が送れると思ったのに。
現実って……意地悪だ。
男の子と付き合うっていうの、やってみたかった。
手を繋いだり、ぎゅっと抱きしめてもらったり、色々楽しいことをしたかったのに。
私はうつむいて中庭から離れる。
不思議と涙は出てこなかった。
※※※
「ただいま」
部活を終えて私は帰宅した。
「それ、もうちょっとフォント太めにしたほうがいいんじゃないか?」
奥の部屋から聞こえてきたのは、お父さんの声。
「うーん……それだと、主張が強すぎるかも」
お母さんはコーヒー片手に、パソコンの画面とにらめっこしていた。
うちの両親は、ふたりでデザイン事務所をしている。自宅の一室を改装した仕事部屋で、いつも真剣に何かと向き合ってる。
もともとはお母さんが先に独立して、お父さんは別の大きな会社で働いていたらしい。でも、お母さんの仕事がどんどん増えてひとりじゃ大変になった時、お父さんが営業とか事務まわりを引き受けるようになって、気づけば“ふたりの事務所”になっていたそうだ。
お父さんはスーツを着るとカッコいいのに、お母さんの描いたラフを見て「天才だ……」とか小声で呟くの、たまに聞こえてるからね。
お母さんはっていうと「それ、前にも言ったでしょ?」って返しながらも、ちょっとだけ嬉しそうな顔してるの。
そんなふたりを見てると、なんだかくすぐったいような、不思議な気持ちになる。
――こんなに仲良しな両親って、他にもいるのかな。
「おかえり、萌々香」
お母さんが仕事部屋から出て来てくれた。
「夕飯の支度、するね」
「うん」
ハンバーグのタネが、フライパンの上でジュウと音を立てながら香ばしく染まっていく。
「お、萌々香。おかえり」
お父さんも来てくれる。
「この色、どう思う?」
手元の資料には、春らしいパステルカラーが並ぶ。
「素敵。こういう色癒される」
「だろ?」
お父さんはニッと笑い、お母さんのところへ行く。
「このカラーで決めよう。ターゲットは10代女子だし、萌々香の感性を信じていいと思うんだ」
「そうね。じゃあ夕食後にまとめよっか」
お父さんとお母さんは、仕事でもこんなふうに息が合ってて……だからなのかな。
私も――好きな人ができたら、この2人みたいになりたいって思っている。
いつかあんなふうに笑える日が来るのかな。
そう思う気持ちはあるのに、今の私からは少し遠く見えた。
もちろん親の前では、恋愛なんて興味がないふりをしている。
お父さんに一途に愛されているお母さんは、いつも笑顔を絶やさない。たまに喧嘩するけど、ふたりは大体ずっと一緒にいる。
「腹減ったー」
2階からドタバタと駆け降りてくるのは、弟の結翔。私と3つ歳が離れている小学生。よくふざけているけど、根は優しいんだよね。
「今日は結翔の好きなハンバーグだよ」
「よっしゃー! テンション上がる!」
ダイニングに4人が集まり「いただきます」と言って晩ごはんを食べる。
「結翔、そういえば実力テスト返ってきた?」
「げっ……あ……うん」
「ふふ、あとで見せてもらうわよ?」
「はぁ……やってらんね」
結翔はサッカーばかりで成績は下降気味だけど、女子たちにはかっこいいって言われて人気があるらしい。告白されたことも人づてに聞いた。まだ本人は興味がないみたいだけど。
こういうのって女の子の方が、ませているんだろうな。きっと私が好きだった人も、恋愛に関心がないだけなのかも。
そう思っていたのに――
※※※
中1の3学期が終わり、春休みに入った。少し寒さがましになって、陽射しの明るさに春の始まりを感じる。
何かが始まる予感がしたけれど……私が待っていたのは驚くべき事実だった。
吹奏楽部のパート練習中にふと窓の外を見ると――私の初恋の人が、女子と手を繋いで歩いていたのだ。
「あれって……」
その女子は同じクラスだった人。
「なんだ……ちゃんと恋愛に興味あったんだ」
心にぽっかり穴があいた気分だった。あの女子はこれからデートで色んなところに連れて行ってもらったり、好きだよって言ってもらえたり……するんだろうな。
春が来たのは、あの子のほうだったんだ。
どうして私じゃなかったんだろう。
髪の毛も伸ばしたし、女の子らしくしたつもりだったのに。
フルートを持ったまま、無機質に並ぶ音符を眺めていると……何かが込み上げてきそうだった。
「ごめん、個人練習……してくる」
私は廊下に飛び出し、階段を降りて中庭の方に向かう。
やけに日当たりが良い中庭。隅のほうに譜面台を置いて、息を吐く。
「あれ……?」
気づけば一粒の涙が頬を伝っていた。
振られた直後は泣かなかったのに、今になって……。
「いいなぁ……あの子……」
青すぎる空に向かって呟いたけど、虚しくかき消されるような気がした。まるで学校でひとりぼっちになったみたい。
「もういいや、練習しよ」
私はフルートを構えてそっと吹く。4月の入学式で演奏する曲。新生活の始まりを祝う曲なのに、どこか切なく聞こえるメロディ。
すると風が優しく頬を撫でて、涙を乾かしていくように思えた。
同時に、誰かの視線を感じる。
フルートから唇を離して振り向く。
春の陽射しを背に、背の高いひとりの男子が立っていた。風の中で髪が揺れて、静かな影が落ちている。
「綺麗なフルートの音だな」
その声は、春のあたたかさみたいに胸に染みた。
「う……うん。ありがとう」
彼の表情は穏やかだったけれど、どこか寂しそうにも見えた。
不思議な人だな……そういう印象だった。
だから彼との出会いが私を変えるなんて、この時は思いもしなかった。
※※※
中2の始業式。
ぽかぽかした陽気。桜の花びらが風に乗って、ゆっくり散り始めていた。
「萌々香! やったー同じクラス!」
「佳澄! 良かった嬉しい!」
私の親友、蓮池佳澄は女子バレー部で活発な女の子。今年も同じクラスでホッとした。
一緒に教室に入って席につく。
そして担任の先生と一緒に入って来たのは――春休みに中庭で会ったあの彼だった。
「え……」
何かが動き出す――そんな予感が、胸の奥でそっと囁いた。




