第6話ー白昼の夜ー
ノア視点です。
昔の空は、もっと音があった気がする。
父が笑うと、空気が少し震えて、
母の笑い声がそれに重なった。
二人が話す声はいつもやさしくて、
僕はその間を走り回っていた。
「そんなに走ると転ぶよ」
針を持ったまま、母が笑う。
父はそれを見て、
「転んでも立ち上がるのがノアの特技だろ」
と言って、僕の髪をぐしゃぐしゃにした。
あの頃、家の中は
色と音でいっぱいだった。
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父がいなくなった日のことを、
僕はうまく思い出せない。
ただ、母の針が落ちる音だけがはっきり覚えている。
その夜から母は何日も泣いていた。
朝も夜も、針を持つ手が震えていたのを覚えている。
でも、ある日を境に、
ふっと泣きやんだ。
まるで、泣くことをやめると決めたみたいに。
それから、母は笑うようになった。
まるで、何もなかったように。
それから、母はあまり泣かなくなった。
泣くことが悪いことみたいに、
静かな家が当たり前になっていった。
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少しずつ、世界の音が減っていった。
ある日、友達とけんかをした。
原因はもう覚えていない。
ほんの些細なことだったと思う。
気づけば、服の裾をつかみ合って、
土の匂いがした。
そのとき、誰かが僕を突き放した。
驚いて尻もちをついた僕は、
下からみんなの顔を見上げた。
どの顔も、笑っていなかった。
その無言のまなざしが怖くて、
思わず「ごめん」と言ってしまった。
何に対して謝ったのか、
自分でも分からなかった。
でも、謝っても許してもらえなかった。
さっきまで笑っていたのに、
気づけば、みんなの顔が冷たくなっていた。
次の日、いつものように笑ってみた。
でも、誰も笑い返してくれなかった。
理由は分からなかった。
その“分からなさ”だけが、胸の中にずっと残った。
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その日、僕は答えを求めて母に相談した。
母は糸をほどきながら言った。
「大丈夫よ。
いい子にしていればまた仲良くできるわ。
怒ったり泣いたりしたら、
みんな困ってしまうでしょう?」
その言葉に、僕はうなずいた。
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みんなに合わせて笑って、
みんなに合わせて悲しい顔をしていたら、
もう、誰にも避けられることはなかった。
母の言う通りだった。
静かにしていれば、世界は穏やかに見えた。
でも、その穏やかさの中で、
自分の声だけが少しずつ遠ざかっていった。
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母が微笑むたび、
胸の奥で何かが小さく固まっていくような気がした。
それでも、母はやさしかった。
やさしいまま、僕の世界を静かにしていった。
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その静けさが、“愛”だと信じていた。
✴︎リオルの独り言✴︎(修正版)
透視鏡のレンズを通すと、
人の心は静かな光になる。
赤でも青でもなく、
その人だけの音を帯びた光。
けれど、ときどき思う。
光を“視る”ということは、
同時に、その脆さに触れることなのだと。
心は、どんな色でも均一ではいられない。
だからこそ、美しく、あたたかい。
私は、光を壊さぬように、
その呼吸だけを整えていく。
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✴︎用語解説✴︎
【No.4】透視鏡
調律士が人の内に流れるエモリアを視るための道具。
金縁のガラス製で、
レンズ越しに感情の層と色の響きを読み取る。
光は常に揺らぎ、完全に留まることはない。
調律士はその微かな揺らぎを感じ取り、
心が壊れぬよう、音と色の均衡を整える。




