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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第40話ー沈黙の敬意ー

エモリアの光が夜空へ溶けきったあと、

広場には、音がなかった。


風車は回っている。

花はまだ宙を舞っている。

川の水面も、確かに揺れている。


けれど――

人の声だけが、存在しなかった。


誰もが息を潜め、

まるで「次に発する言葉」を

どこかに置き忘れてしまったように立ち尽くしている。


祈りの座の上で、

レディウスは膝に手をついたまま、動けずにいた。


喉が焼けるように熱い。

胸の奥が、じん、と痺れている。


(……終わった……?)


歌い終えたという実感は、

まだ形を成していなかった。


ただ、

さっきまで街を覆っていた“重さ”が消えたことだけは、

はっきりとわかる。


息を吸うと、肺の奥まで空気が届く。

胸が、ちゃんと上下する。


それが――

こんなにも楽なことだったなんて。


風が抜けた。


祈りの座の上を通り過ぎた風が、

レディウスの帽子の縁をすくい上げる。


ふわり、と。


伏せていた髪が露わになった。


白金。

淡い金。

光の角度によっては、宝石のように透き通る色。


その一瞬、

還雲祭の夜と同じ光が、確かにそこにあった。


広場の誰かが、息を呑む。


声は上がらない。

名も呼ばれない。


けれど――

視線が、揃った。


最初は戸惑いだった。

次に、確信が混じる。


「似ている」

「同じだ」

「……あの方と」


言葉にされる前に、

理解だけが、静かに広がっていく。


あの祈り。

あの蒼の道。

あの、胸の奥を撫でるような静けさ。


それは――

王族の祈りだった。


誰かが、ゆっくりと膝を折った。


それは敬礼でも、服従でもない。

ただ、自然な動きだった。


その背を見て、また一人、

さらにもう一人。


祈りの座を中心に、

人々の姿勢が、少しずつ低くなっていく。


音はない。

合図もない。


それでも、

街は同じ理解に辿り着いていた。


レディウスは、そのことに気づかない。


帽子がずれたことにも、

視線が集まっていることにも、

誰かが膝を折ったことにも。


ただ、

自分の内側に残る“静けさ”に戸惑っていた。


(……僕は……

 ちゃんと祈れたのか……?)


祈ったという感覚よりも、

「何かが抜け落ちた」感覚のほうが強い。


重荷だったはずのものが、

どこかへ行ってしまった。


それが正しいのか、

取り返しのつかないことなのか――

まだ判断がつかない。


少し離れた場所で、

リオルは何も言わず、その背を見ていた。


声をかけない。

支えに行かない。


今はまだ、

彼自身が“自分の祈りの重さ”を

確かめる時間だから。


風車の回転音が、一定のリズムを刻む。


キィ……

キィ……


その音が、街の鼓動のように聞こえた。


カラン……

カラン……


広場に並べられていた空の瓶が、

最後に一度だけ、澄んだ封音を返す。


まるで、


――祈りは、還った

――道は、ひらかれた


そう告げるように。


夜空にはもう、蒼の光はない。

けれど街は、確かに呼吸していた。


そして同時に、

この街は知ってしまった。


祈りの継承者が、

ここにいるということを。


それが、

本人の意思とは無関係に。


「レディウス様、お疲れ様でした。」


リオルの声は低く、夜気に溶けるように落ちた。

労いであり、確認であり、

そして――名を戻す呼びかけだった。


その名を聞いた瞬間、

レディウスの肩が、ほんのわずかに揺れる。


「……やめてよ、リオル。」


声は掠れていた。


「その呼び方……

 今は、まだ……」


リオルは一歩も近づかない。

否定もしない。

ただ、そのまま静かに言った。


「承知しています。

 ですが……街は、もう知ってしまいました。」


レディウスは顔を上げ、

初めて広場を見渡す。


そこでようやく、気づく。


人々は声を発していない。

誰も動いていない。


けれど――

全員が、頭を垂れていた。


深く、静かに。

祈りの座に向かってではなく、

“祈りを終えた存在”に向かって。


それは命令ではなかった。

誰かが合図したわけでもない。


蒼の道を見届け、

街が再び呼吸したことを

身体で理解した、その結果だった。


王族だと理解したからではない。

祈りが“王族の祈りだった”と

知ってしまったから。


「……違う。」


レディウスは小さく呟く。


「僕は……

 王族として立ったわけじゃない……」


リオルは否定しない。


「ええ。

 あなたは“そうであろう”として歌ったわけではありません。」


少しだけ間を置いて、続ける。


「ですが祈りは、

 立場ではなく“根”を映します。」


風車が一定の音を刻む。

街の鼓動のように。


誰かが、さらに深く頭を垂れた。

それにつられて、また一人。


音もなく、

敬意だけが、ゆっくりと広がっていく。


レディウスはその光景を前に、

何も言えなかった。


胸の奥で、

封じていた名が、静かに重みを持つ。


――レディウス。

――祈りを継ぐ者。


リオルは、それ以上言葉を重ねない。


今はまだ、

彼自身がその重さを受け取る時間だから。


夜風が、そっと帽子の縁を揺らした。


垂れた頭の向こうで、

白金の髪が、淡く光を返す。


街は、もう疑っていなかった。


祈りは還り、

継承者は――ここにいる。


本人の意思とは、関係なく。

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