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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第38話ー光の座標ー

ルベルの街の中央にそびえる

〈クリスタルツリー〉は、

夕刻の光を受けて淡く揺らめいていた。

まるで街が忘れかけた“呼吸”を、

ひとりで思い出そうとしているかのように。


ツリーの枝に吊るされた瓶飾りは、

どれも音を失ったまま揺れず、

空気の薄い広場の真ん中で静かに立ちつくしている。


リオルは封環をかざし、

もう何人目かわからない暴走者の胸へ影を添えた。


濁った色が吸い寄せられ、

空の瓶へ落ちていく。

封じた瓶は、

黒い濁りを内側でゆっくり静めながら、

淡く、かすかに光る。


アウルは荒い息を吐きながら言う。


「……これほどの暴走が連続するなんて……」


ノアは震えた声で質問する。


「リオルさん……街は……治ったんじゃないの?」


リオルは静かに首を横に振った。


「いいえ。今のは……“止血”にすぎません。」


空中に浮かぶ瓶の列を見上げながら、

その声は微かに痛みを含んでいた。


「街の“祈り”が戻らなければ、

 すぐにまた別の箇所で暴走が起きます。」


アウルは息を呑む。


「……つまり、根本は……」


「街が呼吸していません。

 エモリアの“流れ”が……途切れたままです。」


その瞬間だった。


――しかし。


その直後、別の通りから悲鳴が上がる。


「やだ……! 助けて……!!」


「また……!?」

ノアが振り返る。


アウルが地図を握り締め、声を震わせる。

「広場だけでなく……街全体で発生している……!」


リオルは息を浅くした。

一度に十数人を調律した影響が、腕に重く残る。

指先がほんの少し震え、

封環を握る力がかすかに弱くなる。


(……急がなくては。

 この街はもう、限界の縁にある……)


そのとき。


レヴィがひとりの暴走者のもとへ駆け寄った。

その背は震えていたが、迷いはなかった。


「リオル!僕もやる!」


リオルは表情を上げた。

レヴィの手は震えてはいたが、

確かに“聴く手”になっていた。


レヴィは自分の封環をかざす。

人に向けて使うのは、どれほどぶりだろう。


胸の奥で、消えかけた祈りの光が

かすかに疼き始める。


(僕にも……できる……!

 逃げてばかりだったけど……

 この街を…失いたくない!)


「レヴィ!」

ノアが声をあげる。


暴走者の色が黒く裂ける。

レヴィは一歩前に踏み込む。

呼吸を合わせ、揺らぎを掬いあげるように――


その瞬間。


リオルが腕を掴んだ。


「――レヴィは下がってください。」


「……え?」


空気が、嘘のように静まった。


レヴィは掴まれた手を見下ろし、

言葉を失ったように震えた声を漏らす。


「どうして……僕は、できる……!

 僕にも調律は――」


「あたはには別の役割があります。」

リオルの声は柔らかいのに、絶対だった。


レヴィの呼吸が止まる。


「あなたは……“ここではない場所”で

 この街を救わなければなりません。」


「……どういう……ことだよ……!」


リオルは暴走者の胸元へ影の指を添えつつ、

レヴィの瞳をまっすぐに見た。


優しく、けれど誤魔化さず。


「レディウス様。

 あなたには……“王族”としての祈りがあります。」


レヴィの心臓が大きく跳ねた。


(……レディウス……

 僕が……もう二度と使わないと決めた名前だ……)


暴走者の黒が霧のようにほどけていき、

瓶へ吸い込まれる。


リオルは続けた。


「街を整える調律なら、私ができます。」

「暴走した色を抑えることもできます。」

「でも――」


広場の中央で、

〈クリスタルツリー〉がかすかに光の粒を震わせた。


まるで“呼ばれている”ように。


「この街の“呼吸”を戻す方法は、

 調律ではありません。」


レヴィの喉が固くなる。


「……そんなの……僕には……!」


「できます。」


リオルははっきりと言った。


「この街には祈りが欠けています。

 そして祈りを行えるのは――

 王家の血を継ぐ者だけ。」


レヴィの足が揺れた。


「僕は……逃げたんだ……

 祈りを……王族の名を……

 全部背負うのが怖くて……!」


「逃げてもいいのです。」


リオルはそっと手を離し、

その手を包むように両手で支えた。


「でも今だけは、必要なんです。

 あなたの声が。」


レヴィの胸が大きく上下する。


アリシアの、あの澄んだ歌声がよみがえる。

白金の髪が風に揺れ、

祈りの歌が街中を優しく包んだ夜。


(……できるわけない……

 姉上のように……祈れるわけない……

 僕なんかが……)


「祈りのうたは覚えていますね?」


静かに尋ねられたその一言に、

レヴィの全身が震えた。


「あれは……僕には歌えない……

 僕が祈ったって――街は救えない……!」


リオルの指がレヴィの手をぎゅっと包む。


「あなたの声なら――届きます。」


「…………」


レヴィは肩を震わせてうつむいた。


その時。


カラン……


〈クリスタルツリー〉の瓶飾りが

風もないのに一つだけ揺れた。


まるで、

“祈りの続きを待っている”

と言わんばかりに。


リオルはそっと囁いた。


「レディウス様。

 調律は……私がやります。」


街のあちこちで再び悲鳴が上がる。

黒の影が広がっていく。


リオルの髪が光を受けて

銀にも群青にも見えながら揺れた。


「あなたの役目は――

 ここではありません。」


レヴィは唇を噛んだ。


叫びたかった。

逃げたかった。

だけど、胸の奥で何かが静かに灯る。


(……僕が……祈る……?)


リオルはゆっくりと言った。


「――街のためにお祈りください。」


レヴィの瞳が揺れた。


「“街の声を聴ける”あなたにしか、

 この街の声は……救えません。」


そして。


レヴィは初めてクリスタルツリーを

真正面から見上げた。


風のない空で、

ひとつだけ光の粒がふるりと震える。


街の声だ。

街の呼吸だ。

街が忘れてしまった祈りの欠片だ。


胸の奥で、

封じたはずの名が

静かに疼いた。


――レディウス。

――祈りを継ぐ名。


レヴィは小さく息を吸い、

震える指で胸に手を置いた。


「……リオル。

 僕は……何をすればいい……?」


リオルは微笑む。


「……レディウス様。

 祈りの歌は“光の道標”です。

 街の祈りの声を――あなたの祈りで、

 どうか導いてください。」


そして。


レヴィはそっと瞼を閉じた。


広場の音が消え、

風が止まり、

遠くで瓶がひとつだけ鳴る。


カラン……


その響きは、

祈りがめざめる前の

最初の“合図”だった。


✴︎リオルの独り言✴︎


祈りというものは、

誰かの声であり、誰かの願いであり、

そして——誰かの“在り方”そのものだ。


調律師が扱う色は、

人の感情の揺らぎを“聴く”ためのものだけれど、

祈りは違う。


祈りは“導く”。


傷ついた心を静めるのではなく、

弱った街を奮い立たせるのでもなく、

ただ——道を照らしていく。


今日、レディウス様と共に

クリスタルツリーの下に立ったとき、

私ははじめて思い知ったのだ。


どれほど調律を重ねても、

どれほど暴走を止めても、

“街の呼吸”そのものには届かない瞬間がある、と。


祈りの欠けた街は、

色の巡りを忘れてしまう。


空へ帰るはずの粒は迷子になり、

人の胸は重く沈み、

言葉も、笑顔も、風に乗らなくなる。


その“迷い”を照らせるのは、

調律師ではない。


王族の祈りだ。

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