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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第37話ー少年の記憶ー

レヴィの回想です。

王宮の祈りの塔が、夜の空へ金の脈を伸ばしていた。


あの光を見ると、胸が少しだけ苦しくなる。


――僕は誰も救えない。

救える位置にいたはずなのに、

いつも……逃げてばかりだ。


ミーナが倒れたとき、

その言葉は今まででいちばん重く響いた。


あの子の揺れる肩。

呼んでも戻らない意識。

細くなる呼吸。


それらが、王宮での“あの日”を思い出させた。


あの日、僕は――救えなかった。

そして逃げた。

王宮からも、祈りの務めからも、

“王族の器”という名前からも。


でも逃げた先で待っていたのは、

結局、自分自身の影だけだった。


 


幼少期の僕の世界は、光で満ちていた。


アリシア姉上の髪は、朝の光を浴びるたび

白金とも、淡い金とも、時に宝石のようにも見えた。


その隣に座るリオルは、

柔らかなストレートの髪が黒にも銀にも群青にも変わった。

塔の壁の光を吸い込み、別の色として返すみたいに。


見た目は違うのに、

どこかアリシア姉上と似ている雰囲気があった。

静かで、凛として、どこか“遠い光”のようで。


僕はそんな二人に囲まれて、

いつも安心していた。


 


「レディウス。今日も祈りを忘れていたでしょう?」


白金の髪が光を拾い、

金にも、ダイヤモンドにも揺れる。


その髪に、国の祈りが宿ると言われている人――

アリシア・セレスティア女王。

僕の姉上だ。


鈴を転がしたような声でたしなめられると、

胸がひどくむずがゆくなる。


「……姉上、祈りは毎日やってるよ。

 ただ、今日は……少し考え事をしてて」


「“少し”じゃありませんね。

 わたしが塔の上から見たとき、あなた――書庫にいましたよ?」


「っ……」


姉上は隠しごとができない相手だ。


アリシア姉上はくすっと笑う。


「いいのですよ。気が向かなかったのでしょう?」


怒られない――

それがなぜか、余計に胸が痛かった。


 


その後ろから、静かな足音が近づく。


「見つかってしまいましたね、レディウスさま。」


リオルだ。声の奥に柔らかな笑みがあった。


光の加減で黒とも銀とも群青ともつかない髪が、

なめらかに揺れている。

光を吸い込みながら色を変え、

姉上の白金とは正反対なのに、

なぜか同じ“澄んだ線”を感じさせた。


二人は並ぶと、不思議なほど絵になる。

血は繋がっていないのに、

どこか“遠い記憶の同じ光”を共有しているように見えた。


「レディウスさまがいなくなると、侍従たちが困りますから。

 次は、もっと分かりにくい場所を教えましょうか?」


「……からかわないでよ……」


アリシア姉上が微笑む。


「リオル。手助けしてはいけませんよ。」


「申し訳ありません。つい。」


二人とも、僕を“怒らない”。


それが嬉しくて、悲しくて、くすぐったかった。


 


祈りの合間、

僕らはいつも一緒に勉強した。


アリシア姉上は飲み込みが早く、

教師より分かりやすく教えてくれた。


リオルは理解が深く、

誰より穏やかに説明してくれた。


僕はいつも二人の少し後ろを歩いていた。

でも、置いていかれたことは一度もない。


 


「レディウス、この部分はどう読めばいいですか?」


アリシア姉上が優しい声で問いかける。


「……わかんない。」


「では一緒に読みましょう。ゆっくりで大丈夫。」


リオルは横からさらりと補足する。


「これは“音で覚える”祈りです。

 私が読んでみますので、レディウスさまは聴いていてください。」


リオルの声は静かで、

風の揺らぎのようだった。


アリシアが小さくハミングを重ね、

三つの声がやがて一つの柔らかい音になる。


この時間が、好きだった。

祈りの意味も、未来のことも考えずにいられた。


 


宮廷の人々はよく言った。

「アリシア陛下は光の柱、レディウス殿下は“耳”だ」と。


姉上と違い非真面目な僕には、

祈りの才だけはあると言われていた。


でもそれは“祈りを集める力”ではなく――

人の揺らぎの微細な欠片を聴く力。


姉上の金の祈りよりも強く、

宮廷の誰よりも繊細に感じ取れてしまう。


だからこそ、怖かったのだ。


触れれば壊れてしまいそうな

誰かの痛みが、

いつも耳の奥に届くから。


 


そんなある日、

廊下で貴族たちの話を聞いてしまった。


「アリシア陛下より、レディウス殿下の方が

 エモリアの扱いに優れているそうだ。」


「祈りより“聴く力”が強い。

 王にふさわしいのは……」


胸がぎゅっと縮んだ。


王……?

僕が?


そんなの、考えたこともなかった。


ただ怖くて、

塔の裏の階段に逃げ込んだ。


しゃがみ込んだ僕を――

やっぱりリオルは見つけた。


「……ここにいたんですね。」


「……ほっといてよ。」


リオルは叱らない。

責めない。

ただ、僕の近くに座った。


しばらく沈黙が続き、

耐えきれず、僕から口を開いた。


「僕は……王には向いてないよ。

 姉上みたいに祈れないし……

 リオルみたいに色も読めないし……

 すぐ逃げるし……

 僕は……弱いんだよ。」


リオルはすぐ否定しない。

ただ少し間を置いて――


「レディウスさまには、才能があります。」


「……うそ。」


「祈りの声を繊細に聞き取れるのは、

 努力で補えるものではありません。」


子どもでもわかるように、

本当にゆっくり丁寧に言ってくれた。


それだけで胸がほどけた。


「……レディウスさま、また泣きそうな顔をしています。」


「泣いてないよ。」


 


夜、僕はアリシアの部屋へ行った。


「姉上……僕、姉上が王になるべきだと思うんだ。」


アリシアは窓辺で月を見ていた。

光が髪に落ちて、まるで星みたいに揺れていた。


「レディウス。急にどうしたの?」


「貴族の一部で僕を王に推薦する動きがある。

 でも僕は王は向いてない。」


「どうしてそう思うの?」


「僕はいつも祈りから逃げるから……

 祈りが苦しくて……

 人の色を聴くと胸がざわざわして……

 僕は……怖くなるんだ。」


アリシアは近づき、僕の手を包む。


「怖くなるというのは、

 人の色に誠実に向き合っている証です。」


「……でも逃げるよ?」


「逃げてもいいのです。」


「え?」


「祈りを捧げる方法はひとつではありません。

 あなたが“あなたのやり方”を選ぶのなら、

 わたしはそれを誇りに思います。」


姉上はいつも、

僕が思っているよりずっと優しかった。


だから僕は、正直に言えた。


「……学院に行きたい。」


アリシアは、ほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。


「レディウス。

 あなたの道は、あなた自身が決めるのです。

 王宮は、“帰る場所”であれば充分です。」


泣きそうになった。


 



数年後、王宮を離れる決意をした。


王位継承の声が僕へ向けられたとき、

胸の奥にあったのは誇りではなく、

ただ“逃げたい”という衝動だった。


その夜、裏庭でリオルに言った。


「……お願いがあるんだ。」


「はい?」


「学院では……僕のこと、レヴィって呼んでほしい。」


リオルは目を細めた。


「その名前を……選んだのですね。」


「うん。

 王族の名前を背負ってると、僕は……

 また逃げてしまう気がするから。

 “レディウス”は……重すぎる。」


リオルは少しだけ笑った。


「では、学院ではレヴィとお呼びします。」


「ありがとう。」


「ただしひとつだけ、条件を。」


「条件?」


「あなたが自分の祈りを取り戻す日が来たら――

 そのときだけ、“レディウスさま”とお呼びしてもいいですか?」


胸が痛む。

見透かされている。

逃げている自分のすべてを。


「……そんな日が来るのかな。」


リオルは、迷いなく微笑んだ。


「来ますよ。

 あなたの祈りは、まだ終わっていませんから。」


レディウスから逃げ、

レヴィとして生きてきた。


誰も救えず、

誰の祈りも支えられないまま、

ただ目の前の影を恐れていた。


 


――でも今、目の前で、

ミーナの指がふるりと動いた。


胸の奥で、

ずっと眠っていた名がゆっくり開くように疼いた。


(……逃げたままじゃ、だめだ。)


(姉上、リオル……

 みんな僕に“祈りの力”がまだ残ってると思ってる。)


(なら……)


僕は震える声で言った。


「……もう逃げない。

 リオル、僕に……街の“祈り”を聴かせて。」


その言葉に、

遠くの光彩路でちいさく瓶が鳴った。


カラン……


まるで、

レディウスとしての祈りが

ほんの少しだけ戻ってきたように。

✴︎リオルの独り言✴︎


レヴィ――いいえ、レディウスさま。


あの方の祈りは、誰より静かで、誰より深い。

それゆえに、触れた揺らぎの“痛み”に飲まれてしまうことがある。


今日、ミーナの指がわずかに動いたとき、

その痛みから逃げ続けていた人の中に、

確かにひと筋の光が戻った。

……あの方の祈りは、まだ終わっていない。


✴︎用語解説✴︎


【No.36】祈りのいのりのうた

王族が代々受け継ぐ“祈りの型”であり、

街や人々のエモリアを空へ導くための旋律。

歌と言っても声量を求められるものではなく、

“色の呼吸を整えるための音の流れ”の総称。


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