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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第31話ー手紙が示す道ー

旅支度を終え、ミレル工房を後にした三人は、

エルネアの街道へと静かに足を踏み出した。


振り返っても故郷の街並みはもう見えず、

ただ朝靄がゆっくりと溶けながら、

三人の影を長く引き伸ばしていく。


道は三つに分かれていた。


ひとつは王都へ戻る広い道。

ひとつは南の市場の街へ続く賑やかな街道。

そしてもうひとつ――

丘を越えて西の町へ伸びる、細い一本道。


アウルが地図を広げ、慎重に方角を確かめる。


「……向かうのは、この隣町で間違いありませんね?」


リオルは答えず、衣の内側から

ノアが届けた、あの封筒をそっと取り出した。


白い紙が朝の光を反射して、

微かな金の粒を連れてくる。


ノアがすぐに反応して駆け寄る。


「あっ、その手紙……!」


アウルが横目でノアを見る。


「ノア。渡した人について、

 他に覚えていることは?」


「うーん……変な帽子で、声が優しいお兄さんでした。

 あ、目だけすっごく光ってました!」


「目が光る……?」

アウルは眉を寄せるが、


リオルはその一言にだけ、ほんの一瞬苦笑した。


「……らしい特徴ですね。」


封筒から取り出した紙には、

整った筆跡で、短い依頼文が記されていた。


 “診てほしい人がいる。”

 “あなたでなければならない。”


そしてあの署名。


リオルは指先で静かにそこをなぞる。


(……彼が私を呼ぶということは、

 きっと“普通の依頼”ではありませんね。)


言葉の選び方、文字の癖、余白の取り方。

すべてが、その人物を指し示していた。


アウルがそっと尋ねる。


「差出人は……やはり調律師の方なんですよね?」


「ええ。昔の学友です。」


リオルは紙を丁寧に折り直し、懐へしまう。


「場所はルベルの街。

 “そこに来てほしい”とありました。」


アウルは地図を見下ろし、

指で小さく印のついた街を示した。


「エルネアの西にある、小さな街ですね。

 封音塔の数値が揺れている地域でもあります。」


ノアはわくわくとした顔で続ける。


「ねぇリオルさん、その人ってどんな人?」


リオルは少し目を伏せ、小さく笑った。


「……変な帽子は、昔からの癖なんです。」


「やっぱり!あの人だ!」 


ノアが嬉しそうに笑い、

アウルは肩を落とす。


「本物の調律師って……

 どうして皆そんなに“癖”が強いのでしょう。」


リオルは歩きながら静かに言った。


「癖ではありません。

 “自分の音”に忠実なだけですよ。」


その言葉は、

どこか彼自身に向けられた言葉のようでもあった。


朝の風が三人の間を抜けていく。


リオルは空を見上げる。


「――向かいましょう。

 彼が“私でなければならない”と言った理由を、

 確かめるためにも。」


三人の影が細い道へと伸び、

ルベルの街へ向かって歩みを重ねていった。


遠くの丘の向こうで、

十の塔のひとつが、微かに音を鳴らした気がした。


丘を越える道は、思った以上に長かった。

朝靄はすっかり晴れ、代わりに午前のひかりが

三人の影を柔らかく伸ばしていく。


エルネアの街が遠ざかるほど、

道の両脇には野花の代わりに

“瓶飾り”が吊るされていた。

透明な瓶の中には何も入っていないが、

光の角度で微かに七色が差す。


アウルがその一本を見つめながら言う。


「……人通りが減っていますね。」


「え?」

ノアが首を傾げる。


「本来、この街道は旅人や商人が多いのですが……

 今は静かすぎる。少し、嫌な感じがします。」


リオルは足を止め、風の音を聴くように目を閉じた。


「……響きが薄いですね。」


「薄い?」


「街の祈り……エモリアの流れです。

 本来、封音塔に少しずつ向かう“色の粒”が

 道に漂っているのですが……」


袖の先で風がかすかに光を散らす。


「…………ほとんど流れていません。」


ノアはその言葉の意味がわからず、

ただ心臓がざわつくのを感じた。


(どうしてだろ……胸が、すこし重い……)


――街の空気はすでに傾き始めていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


坂道を登りきると、視界が一気に開けた。


そこに広がっていたのは――

木造の屋根と白壁が並ぶ、こじんまりとした街。

だが色彩がどこか鈍い。


風は吹いているのに、

洗濯物の布も、屋根の旗も弱々しく揺れている。


アウルは眉を寄せる。


「……ルベルの街は、

 もっと賑やかなはずなのですが。」


ノアは一歩前に出る。

胸がざわつき、耳の奥がちり、

と鳴ったような気がした。


その瞬間、リオルがふっと息を呑む。


(……今の)


ノアは気づいていない。

だがリオルだけは、確かに感じ取っていた。


――音の揺らぎ。

――まだ形にも名前にもならない“感応”。


きっと本人はまだ知らない。


街門へ近づくほど、光の色が変わっていった。

埃っぽくも、暗くもない。

ただ――明らかに“どこか欠けている”。


ノアは首をかしげる。


「……なんか、変な感じがします。」


アウルは驚く。


「ノアも、感じるんですか?」


「え……わからないけど、

 胸のあたりが“きゅ”ってするというか……

 空気が片方だけ冷たいっていうか……」


リオルは静かにノアを見た。


(……やはり、あなたは“聴ける側”の子なんですね。)


だが言葉にはしない。


ノア自身が気づくまで、

何も告げるべきではないと思った。


そのとき――


カラン……と、街の奥から瓶の音がした。

風の音に混じるほど小さな音。

それは、どこか頼りなく、縋るような響きだった。


アウルが顔を上げる。


「……瓶の音?」


「風……だけではありませんね。」


リオルの声は低く落ち、

空気がさらに冷たく感じられた。


ノアは胸を押さえた。

理由はわからない。

けれど、さっきまでの“きゅ”という違和感が、


――すぅ……っと吸い込まれるように深く沈んだ。


(……呼ばれてる?)


そんな気がした。

自分の知らない場所から、誰かがそっと袖を引いてくるような――

そんな感覚。


リオルは街の奥へ視線を向ける。


「……この音は……。」


「何の音なんです?」


アウルの問いに、

リオルはゆっくり歩き出しながら答えた。


「“誰かの心が、まだ帰り道を探している音”です。」


ノアは一瞬、息を止めた。


(帰り道……)


リオルの歩幅は変わらず静か。

アウルは地図を握りしめる。

その後ろで、ノアだけが一瞬立ち止まり、

胸のざわめきに触れるように手を置いた。


(……僕でも……聞こえたのかな)


だが、その答えを知るのはまだ早い。

風は弱く、街の音は薄い。

けれど――


その静けさの奥で、確かに“何か”が鳴いていた。


リオルは振り返らずに言った。


「行きましょう。

 ――この街で、何が起きているのか確かめに。」


ノアはその背中を追い、

アウルは眉をひそめながらついていく。


三人の影が街門へ吸い込まれるように伸びていく。


ルベルの街はまだ沈黙していた。

けれど、その沈黙は

“静けさ”ではなく――


“声を失った音” のようだった。


そして、三人はまだ知らない。


その沈黙の奥で、

リオル宛てに手紙を送った男が、

“かすかな光”を守るように座っていることを。


街の空気がわずかに震えた。

✴︎リオルの独り言✴︎

手紙というものは不思議です。

紙に書かれた言葉は、ただの線の集まりのようでいて、

書いた人の“色”がかすかに残ります。

怒りや悲しみほど強いものではなく、

ほんの残り香のような、

触れなければ消えてしまうほど繊細な響き。


それでも――

その微かな色を辿る術を持つ人たちがいます。


〈郵便士〉と呼ばれる、

街と街の間を歩く人々です。


彼らは調律師のように色を測ることはできませんが、

封筒の重さ、紙の温度、

指先に残った“気配”を読み取り、

届けるべき場所へと運ぶ。


だから、住所が少し曖昧でも、

名前がかすれていても、

手紙は不思議と辿り着きます。


想いは、道を知っているのかもしれません。


ノアが届けてくれた手紙も、

封を開ける前から

差出人の癖と色が薄く滲んでいました。


あれほど分かりやすい“呼びかけ”は、久しぶりです。

……まったく、あの人らしい。


手紙は、祈りに似ています。

触れた瞬間、静かに心へ落ちる。

それがたとえ短い言葉でも、

人を旅へと動かすのです。



✴︎用語解説✴︎


【No.31】郵便士ゆうびんし


この国で手紙を運ぶ専門職。

調律師のように色を測定する技能はないが、

手紙に残る“ごく弱いエモリアの痕跡”を読み取る独自の感覚を持つ。


・紙の温度

・封に触れた指の跡

・微かな香り

・筆跡の癖


などから“届け先の方向”を直感的に感じ取るため、

住所が曖昧でも届くことが多い。

人のエモリアを診ることなできないが、

日常の「想いを届ける」役目として

人々に深く信頼されている。

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