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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第26話ー光の導きー

王宮には、静かな朝が訪れていた。

女王アリシアはまだ深い眠りの中にいる。

金の奔流が鎮まってから、三日が経っていた。


〈祈祷の間〉には、やわらかな光が漂っていた。

封音石は低く共鳴し、空映晶の波紋は穏やか。

けれど、その静けさの奥では、まだどこかに“残響”が眠っている。


あの暴走のあと、空気の粒子ひとつに至るまで、

祈りの金の余韻が染み込んでしまったのだ。


壁際に並ぶ瓶は百を超え、

どれも金の粒を封じて静かに脈動している。

一つひとつが、小さな太陽のように淡く光り、

部屋全体をやさしく照らしていた。


神官たちはこの高貴な色のエモリアの扱いに

頭を悩ませていた。


扱いを誤れば、再び暴走を招くのではないか?

と言う不安はあるものの、捨てることもできない。

この光は、女王の祈りそのものだった。


リオルは瓶の列の前に立ち、

掌に触れず、ただ封音の響きを聴いていた。

道具を通さずとも、その波は彼の胸に届く。


(……この金のエモリア。

 黒の沈殿を解く手がかりになるかもしれない。)


思考の粒が静かに形をとる。

彼はゆっくりと振り向き、

傍らのアウルに声をかけた。


「アウルさん。

 この金のエモリアが入った瓶を――

 一瓶だけ、いただけませんか。」


その言葉に、アウルは小さく息をのんだ。

視線が、瓶の列へと揺れる。


この光は陛下の祈りの欠片。

触れることさえ畏れ多い“女王の化身”だ。

それを他者の手に渡すなど、考えたこともなかった。


「……何のためにですか?」


アウルの声は低く、

慎重さと戸惑いが入り混じっていた。


リオルは少しだけ目を伏せ、

瓶に映る金の光を見つめながら答えた。


「説明したいので、場所を移動しても?

 この金のエモリアが、

 黒の沈殿の解決の糸口になるかもしれません。

 それにあたり、

 用意していただきたいものがあります。」


リオルの声音は静かだった。

けれど、その奥には確かな意志の熱がある。

金の粒がその言葉に呼応するように、

一瞬だけ揺れた。


「……何を用意すれば?」


「封音塔それぞれの計測記録。

 過去10年分をいただけますか。」


アウルは迷いの表情を浮かべた。

それでも、リオルの瞳の奥に宿る光を見て、

わずかに息を吐く。


「……わかりました。すぐに手配を。」


近くの神官に指示を出すと、

アウルは姿勢を正し、静かに言った。


「一度、応接の間でお話を伺いましょう。」


祈祷の間を包んでいた金の光が、

扉の閉まる音とともに静かに揺らめいた。


まるで、まだ誰も知らない真実が、

その奥で目を覚まそうとしているかのように――。


――


応接の間では、朝の光がやさしく差し込んでいた。

若い神官が茶を運び、

テーブルへ置いていくたび香が鼻に届く。


「改めて、

 陛下をお救いいただきありがとうございます。」 


アウルは深く頭を下げた。


「この褒賞は、陛下が目覚めてから正式に――」


「職務を全うしただけです。」


リオルは淡く微笑み、

ティーカップを指先で持ち上げる。


「褒賞は、陛下の祈りの瓶をひとつ。

 それだけで充分です。」


アウルは思わず笑みをこぼす。


「……まったく、あなたという人は。」


どこまでも人間味のない様子に、

本当に人と話しているのかさえ曖昧に思えた。


そのとき、扉が叩かれた。


「入りなさい。」


アウルが短く返すと、神官が数冊の厚い記録束を抱えて入ってきた。


「過去十年分の観測記録をお持ちしました。」 


「ありがとうございます。」


リオルは丁寧に受け取り、

一口しか飲んでいない紅茶を

そっとテーブルに戻した。


ページを開くと、

古い封音塔の記録がぎっしりと並んでいる。

封音計の数値や、響きの波形と色の遷移が

記されていた。


「時間がかかるので、席を外しても構いませんよ。」


静かな声でリオルが言う。


アウルは首を横に振った。


「説明してくださるのでは?」


リオルは視線を紙面に落としたまま答える。


「ええ。

 まだ仮説にすぎませんが――」


指先が一枚の表をなぞる。


「女王陛下の祈りの暴走も、黒の沈殿も。

 根は同じところにあるかもしれません。」


アウルが息を詰める。


「……空が、祈りを受け取ってくれなく

 なっただけではないってことですか?」


リオルは小さく頷く。


「ええ。

 空は拒否したわけではないと思います。

 ただ、本来なら調和して還るはずの祈りが、

 強すぎる色に引き寄せられてしまい

 空は受け取れなくなってしまっているの

 かもしれません。」


リオルはページを閉じ、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には光ではなく、“静けさ”が映っている。


「人々のエモリアの偏り。

 どの感情も、本来は必要な色です。

 けれど――

 どれかが過ぎれば、他の色が歪む。

 黒も、悲も、嫉も、愛も。

 均衡が崩れれば、

 それはもう本来の色ではなくなります。」 


「本来の色……………。」


アウルの沈黙を受けて、

リオルは机の上に置かれた金の瓶へ視線を落とした。

中では、光がゆっくりと呼吸している。


「黒のエモリアが暴走すると、

 他の色を侵食します。

 一度染まってしまえば、

 どんな薬やリュメルでも届きにくい。

 ……ですが、この金のエモリアなら、

 他の色を“導く道”を作れるかもしれません。」


アウルが眉を寄せる。


「導く道……?」


リオルは瓶を両手で包み込むように持ち上げた。


「金は、祈りの光――

 空と心をつなぐ媒介です。

 本来は女王陛下だけが扱える色ですが、

 暴走の際に封じられたこの光は、

 いまだけ“地上に残された橋”として

 機能するかもしれない。」


瓶の中の光が、

言葉に呼応するようにかすかに瞬いた。


「金そのものが黒を癒すわけではありません。

 ただ、黒に閉ざされた心の奥へ、

 他の色――

 嬉や信、尊や恋、悲などの黒以外のエモリアを

 もう一度届かせることができるかもしれない。」


アウルは息を呑み、

その光を見つめながら静かに言った。


「……つまり、陛下の祈りはまた、

 この国を照すと?」


リオルはほんの少しだけ微笑んだ。


「ええ。けれど、それを確かめるには――

 この国の“色の偏り”を、

 直接見て歩くしかありません。」


遠くで封音塔の鐘が鳴り、

その余韻がゆっくりと消えていく。


リオルはゆっくりと椅子から立ち上がり、

金の瓶を胸の前に抱いた。

その光は、呼吸のたびに淡く脈を打っている。


「……ですから、私は一度、調律所に戻ります。」


「調律所に?」


アウルの瞳に一瞬、警戒と不安が宿る。


リオルは頷いた。


「記録だけでは、見えない色があります。

 封音塔に届く前の、街の声――

 人々の色の流れを確かめたいんです。」


アウルは腕を組み、静かに考え込んだ。


「確かに……観測院では、

 塔の上からしか測れません。

 地上の“感情の循環”を調べるなら、

 あなたの力が必要ですね。」


リオルはその言葉に小さく笑った。


「私の力なんて、大したものじゃありません。

 この目で、そして耳で、

 世界の色を“直接確かめたい”だけなんです。

 直接確かめれば見えてくる真実もあるでしょう。」


アウルは少しだけ目を細めた。


「……あなたがそう言うなら、間違いないのでしょう。

 ただ、黒の影響で治安が

 悪くなっている地域もあります。

 危険な場所も多い。護衛をつけます。」


「必要ありません。」


リオルの声はやわらかいが、揺るぎがなかった。


「黒に触れるには、静けさがいる。

 音を立てすぎると、色が逃げてしまうんです。」


アウルは短く息をつき、諦めるように笑った。


「……やはり、あなたは不思議な人だ。」


窓の外では、夜明けの光が王宮の壁を照らしていた。

十の封音塔から放たれる色が、

ガラスの外壁に屈折し、

七色の揺らめきとなって祈祷の間を染めている。


リオルはその光の中で、そっと金の瓶を掲げた。


「なので、

 この瓶を――研究に使わせてください。」


「研究……?」


「はい。」


リオルの声は穏やかだったが、

どこかに冷たい決意の気配が混じっていた。


「この光が、

 黒の沈黙を溶かす鍵になるかもしれません。」


アウルは迷いながらも頷き、

深く頭を下げて瓶を託した。


その瞬間、部屋の空気がかすかに変わった。

瓶の中の光が、

まるで“見送るように”ゆるやかに瞬いたのだ。


リオルはそれを抱きかかえるようにして立ち上がる。


「準備が整い次第、王都を発ちます。

 調律所に寄ったあと、

 この国の“色の流れ”を共に見に行きましょう。」


アウルの瞳が驚きに見開かれた。


「……私もついて行ってもいいのですか?」


リオルはふっと微笑む。


「陛下を守りたいのでしょう?」


その言葉に、アウルは息を飲み、

やがて静かに頷いた。


窓の外で風が吹いた。

十の塔の光が交差し、

その中心で、ひとすじの金の光が空へと昇っていく。


アウルはその光を見上げ、

胸の奥で小さく息をついた。


「……この光が、再び空に届く日が来るでしょうか。」


リオルは答えず、

ただ瓶を抱きしめるように腕に収めた。

光は、呼吸のように彼の胸の奥で脈を打っている。


「――ええ。きっと。」


短くそう告げると、

リオルは静かに踵を返した。


扉が開くと、

朝の光が彼の黒衣の裾を照らす。

それはまるで、

新しい旅路の始まりを示すようだった。


✴︎リオルの独り言✴︎

色は、ただの光ではない。

人の心が動くたび、世界のどこかで“音”が生まれる。

けれど、近ごろその音が――歪んで聴こえる。

嬉が早く、悲が遅く、尊がかすれ、

そして黒だけが、深く沈んでいく。


どの感情も、本来は悪ではない。

怒りも嫉妬も悲しみも、

嬉や愛、信と同じく生きるための色だ。


だが、偏りが生まれれば、調和は崩れる。

空が祈りを受け取れなくなるのも、

人々が心を見失うのも、きっとそこから始まる。


✴︎用語解説✴︎

【No.26】エモリアの偏り


人々の感情〈エモリア〉の流れが不均衡になり、

特定の色が過剰に強まったり、弱まったりする現象。

どの色も本来は必要だが、

偏ることで他の感情を侵食し、

世界の理〈ことわり〉の循環を乱す。


偏りが長く続くと、

空が祈りを受け取れなくなり、

封音塔の響きが鈍る。

“黒の沈殿”や“祈りの暴走”の根本原因とされる。

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