第24話ー金の奔流ー
王宮の最奥、〈祈祷の間〉。
そこは、時間の概念が溶けた空だった。
朝でも夜でもない。
ただ、金の光だけが呼吸を繰り返している。
封音石の共鳴が低く響き、
空映晶の水面がゆるやかに脈動していた。
その中心に、女王アリシアが立っていた。
まぶたを閉じ、光の中で祈りを編んでいる。
祈祷の間の扉が、音もなく開いた。
内側からこぼれる金の光が、
まるで霧のように外の空気を押し返す。
アウルは深く一礼し、
声を落として告げた。
「――女王陛下。
調律士リオル様をお連れしました。」
しかし、返答はなかった。
ただ金の光だけが、静かに揺れている。
アウルはもう一歩進み、
祈祷の間の中央に立つ女王を見上げた。
アリシアの姿は、まるで光そのものだった。
その輪郭はかすかに揺らぎ、
人というより“祈りの器”のように見える。
「……陛下?」
呼びかけても、返るのは封音石の低い共鳴だけ。
女王のまぶたは閉じられ、
両手は空映晶の上にかざされたまま。
金の光が指先から絶えず流れ出し、
波紋のように床へ広がっていく。
その光景に、アウルの背筋がわずかに強張る。
「……様子がおかしい。」
彼の声が震えたそのとき、
リオルが静かに前へ進んだ。
視線を光の中心に向け、
その呼吸をひとつ確かめる。
十の塔から流れ込む色たちは、
いつもなら柔らかく調和するはずだった。
だが今日は、どの響きも
ひとつの光に飲み込まれている。
金――それだけが、すべてを染めていた。
リオルは、空気の密度が変わったのを感じた。
祈りが、あまりにも“重い”。
光が昇らず、地上で滞っている。
「……祈りが、留まっている。」
その小さな声に、アウルが振り向く。
リオルは空映晶に手をかざし、
その光の流れを確かめるように目を細めた。
「金の光は、人々のエモリアを空へ運ぶ祈り。
けれど今は、その導きの糸が途切れています。
十の塔の響きが、この場所で止まっている。」
アウルの表情が揺れた。
「……どういうことです?」
「祈りが空へ還らず、
この部屋の中で循環しているんです。
本来の“道”を見失っている。」
次の瞬間、空映晶が軋んだ。
光が爆ぜ、封音石が悲鳴を上げる。
祈祷の間じゅうに金の奔流が駆け巡った。
アウルはとっさに腕で顔を覆う。
「陛下っ!一度、祈りをおやめください!!」
だが、祈りは止まらない。
女王の指先から絶えず金の粒があふれ、
空映晶がまるで“心臓”のように打ち始めた。
リオルは光の中へ一歩踏み出し、
低くアウルに告げた。
「……アウルさん、神官たちに伝えてください。
できるだけ多くの瓶を――すぐに、です。」
アウルははっとして頷き、
振り返って声を張り上げた。
「瓶を!
できる限り多く持ってきなさない!
急げ!」
神官たちが駆け、
透明な瓶を次々と運び込む。
それらは祈祷の間に足を踏み入れた途端、
まるで呼吸するようにふわりと浮かび上がった。
リオルは封環を掲げた。
銀の輪が宙に浮かび、
静かな震えとともに光を帯びる。
その瞬間、金の奔流が輪に吸い寄せられた。
封環を通った光は細い糸のように分かれ、
部屋中に散った瓶へと導かれていく。
瓶たちは光を受けてゆっくりと回転し、
一つひとつが灯のように輝いた。
まるで祈祷の間全体が、
金色のランタンで満たされていくようだった。
金の粒が輪を通り抜けるたび、
小さく澄んだ封音が響いた。
それは悲鳴ではなく、安堵の息のように優しい。
やがて、奔流は穏やかになり、
瓶の中で金の粒が静かに漂いはじめた。
――部屋中が、金の灯で埋め尽くされる。
それは夜空に星が生まれる瞬間のようで、
光の粒が瓶の中で小さく瞬きながら呼吸していた。
リオルは封環を下ろし、
光の余韻の中で静かに祈るように呟く。
「……どうか――休んでください。」
金の光がゆるやかに沈んでいき、
女王の身体を包み込む。
光が瓶に収まると、祈祷の間に静寂が満ちた。
残されたのは、ゆるやかに漂う金の粉だけ。
それはまるで、
空が静かに息を整えているかのようだった。
リオルはそっとその肩を抱いた。
頬をかすめる光は温かく、
指先で触れるたびに溶けていく。
やがて光が静まり、
空映晶の波紋が止まった。
祈祷の間を満たしていた金の奔流は消え、
そこに残ったのは――ただ、静けさ。
リオルの腕の中で、女王がゆっくりと倒れ込む。
その表情には、深い安らぎが宿っていた。
アウルが駆け寄り、膝をつく。
「陛下……!」
リオルは首を振り、囁く。
「命は無事です。
ただ、祈りの光が強すぎた。
しばらくは、眠りにつかれるでしょう。」
封音石の光がわずかに明滅し、
天井の影がゆっくりと呼吸を取り戻していく。
リオルは空映晶を見た。
金の光の底、
遠くにかすかに10色のエモリアが揺れている。
それは、空がまだ深く眠っている証。
封環が最後にひと音だけ鳴る。
並んだ瓶の中で、金の粒が微かに瞬き、
祈りの余熱のように、
やわらかな光を放ち続けていた。
✴︎リオルの独り言✴︎
エモリアは、生きている。
静かに脈を打ち、感情の波に呼応しながら、
人の心と世界の間をめぐっている。
けれど、ときにその流れは歪む。
強すぎる祈り、過ぎた願い、抑えきれぬ想い――
どんなに美しい光でも、
行き場を失えば、炎のように暴れだす。
“暴走”とは、色が壊れることではない。
心が世界の理を追い越してしまうことだ。
だからこそ、調律士はその速さをゆるめる。
光を消すのではなく、
再び“呼吸”を取り戻すために。
⸻
✴︎用語解説✴︎
【No.24】エモリアの暴走
人の感情〈エモリア〉が、
理の均衡を超えて膨張した状態。
強すぎる祈りや怒り、悲しみ、願望などによって、
形を保てなくなり、
周囲のエモリアを巻き込んで拡散する。
色の暴走は「エモリアの渦」と呼ばれ、
放置すれば空の理そのものを乱す危険がある。
調律士は暴走する前にエモリアを静め、
少しずつ世界の呼吸へ戻す役目を担う。




