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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第22話-光を運ぶ人-

馬車の車輪が、

光彩路を静かに刻んでいた。


虹色の石畳は朝の光を受けて、

ゆるやかに呼吸するように輝いている。


ひとつひとつのレンガには

古い封音の紋が刻まれ、

踏むたびに鈴のような音が微かに鳴った。


その音は風に溶け、

波紋のように地平へ広がっていく。


道の両脇には露店が並び、

色とりどりの花が朝の光を受けてひらいていた。


青は静けさ、橙は喜び、赤は愛情――

花びらの色にも、人々は感情の名を重ねている。

花屋の少女が花束を抱え、旅立つ馬車に手を振った。

その腕の中で、小さな白い花が風にほどける。

まるで空の息が、街の中を渡っていくようだった。


この道は“光の道しるべ”と呼ばれている。

旅立つ者の足音を祝福するように、

光彩路は通るたびに音を変える。

人々はその音を「空の子守唄」と呼び、

今日もどこかでその旋律を口ずさんでいる。


アウルは窓辺に視線を落とし、

掌に乗せた封音計を見つめていた。

針はかすかに震えているが、

一定のリズムを保たない。

小刻みに揺れ、また止まり、

まるで空が言葉を選びかねているようだった。


「……封音が落ち着きません。」


低くつぶやく声が、馬車の静寂を破る。


向かいに座るリオルは、

窓の外に目を向けたまま、穏やかに答えた。


「乱れているのではなく

 ――息を潜めているだけです。

 空も、人も、深呼吸の前には静かになります。」


アウルは眉をひそめた。


「空は理そのものです。

 止まることも、ためらうこともない。

 陛下の祈りが途絶えれば、

 この国の循環は壊れる。」


「理も息をしていますよ。」


リオルの声は柔らかく、それでいて芯があった。


「祈りも呼吸です。吸い続ければ苦しくなる。

 光が強すぎると、影が壊れてしまう。」


アウルの拳が膝の上で強く握られる。

胸の奥で、焦りがかすかに疼いた。


――陛下の祈りが止まったら、空はどうなる。


還雲祭の夜、アウルは祈祷の間にいた。

女王アリシアの背が光に包まれる光景を、

今も忘れられない。


その光は尊く、美しかった。

けれど、同時に痛々しかった。


祈りが長く続くほど、

彼女の輪郭が淡くなっていく。

その姿を見てから、

アウルは祈りを“希望”ではなく

“責務”と呼ぶようになった。


「……陛下の祈りを“疲れ”などと呼ぶのか。」


アウルの声に硬さが混じる。


リオルはわずかに微笑んだ。


「祈りは、美しいものです。

 けれど、誰かのために灯し続ければ、

 自分の声が聞こえなくなる。

 私は、それがいちばん怖いんです。」


車輪が揺れ、馬が嘶いた。

ふと、遠くから子どもの声が風に乗って届く。


「お母さん、見て。お空の端が黒いよ。」


アウルは反射的に顔を上げた。

東の空の端、雲の縁に墨のような影が滲んでいた。

封音計の針が一瞬震え、鈍い音を刻む。

そして、またゆるやかに揺れに戻る。


「……黒の沈殿、ですね。」


アウルが低く言う。


リオルは外を見つめたまま、静かに頷いた。


「はい。でも、息をしています。

 空は生きています。」


「……針が止まることも?」


アウルが問う。


「黒が支配を強めると、

 空の音が聞こえなくなるんです。

 封音計では測れませんが、

 風の流れや光の粒の揺らぎが変わる。

 でも、それは死ではありません。

 ただ、世界が“息を潜めている”だけです。」


沈黙が二人のあいだに落ちた。

車輪の音が淡く響き、

封音の余韻が空へ流れていく。

光彩路を渡る鈴の音が、風に溶けて遠のいた。


アウルは窓の外を見つめ、


「……あなたの言葉は、静かすぎて怖い。」


とつぶやく。


「まるで、世界の終わりを

 穏やかに語っているようだ。」


リオルはわずかに笑みを浮かべた。


「終わりではないですよ。」


馬車が丘を越える。

霧の向こう、王都の外壁が姿を現した。

白金の表面が光を屈折させ、

十色の光を空へ散らす。

アウルはその光を見つめ、

手の中の封音計を静かに閉じた。


「……どうか、陛下の祈りが届きますように。」


リオルは空を見上げた。


「空は、まだ呼吸しています。

 聞こえなくても、きっと。」


その声は光彩路の封音と重なりながら、

ゆっくりと王都の光の中に溶けていった。

✴︎リオルの独り言✴︎


封音計は、音しか測れない。

色も比率も、数字にはならない。


けれど、鳴らない音ほど、深い意味を持つ。

針が揺れるのは、空が息をしている証。

けれど、動かなくなったとき――

それは、黒が世界を飲み込んだ合図だ。


世界は、声を失っても、まだ生きている。

だから私は、わずかな揺らぎの中に

“呼吸の余韻”を探す。

それが、調律士の仕事だから。



✴︎用語解説✴︎


【No.22】封音計ふうおんけい


空や地上の“響き”を観測するための計器。

封音石を中心に構成され、

周囲の封音(空の呼吸の音)を針の揺れとして記録する。


その名のとおり“音”しか測れず、

エモリアの色や比率を数値化することはできない。


針が穏やかに揺れているときは、

空と地上の循環が安定している状態。

一方、「黒の沈殿」が発生すると、

封音が不安定になり、針が乱れる。


そして“黒”が支配を強めると、

封音そのものが消え、針の揺れも止まる。

この現象を観測院では

「空の沈黙」と呼び、

最も深刻な徴候として記録している。

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