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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第17話ー沈む街の呼吸ー

アウル視点です。

朝の光はまだ眠たげだった。


観測院を出たアウルは、

封音計を胸に抱き、王都の外へ歩き出す。


空の数値を測るだけでは届かない音が、

地上にはある――そう思ったからだ。

靴裏が石畳をかすめるたび、

乾いた音が小さく返る。

風は薄く、空は息をひそめていた。



通りは、昼の光を受けながらも

どこか冷めていた。

家々の軒には、

古い瓶飾りがいくつかそのまま残されている。

色あせた紐に吊るされた瓶が、

風に揺れて小さく鳴った。


カラン、と乾いた音。

季節が変わろうとしているのに、街の空気だけが取り残されているようだった。


焼き菓子の匂いが漂う露店の前で、

主婦たちの声がさざめいた。


「瓶屋のレイラちゃん、まだ起きないって」


「黒のエモリアの影響らしいわよ。

 あの子、優しい子なのに」


「祈りが届かないのかしらね……」


アウルは足を止め、そっと空を仰ぐ。

昼の光はわずかに濁り、

封音計の針が一度だけ震えた。

(……静かすぎる)


角を曲がると、

果物を並べる商人と若い荷運びが話していた。


「レネスの妹さん、まだ眠ってるらしい」


「黒が濃いんだってさ。

 けどリオル様んとこに運ばれたら助かるって噂だ」


「助かるかもな。

 でもあの人のやり方は普通じゃねぇ。」


アウルは無意識に立ち止まった。


「リオル?」


と口にすると、若者がこちらを振り返る。


「よそ者かい? あの人のこと知らねぇのか」


「観測院の者で、調律士について知りたい。」


「なら、教えとくよ。」


男は声を落とした。


「リオル様は“エモリアを見る”んだ。

 胸に輪っかを当てるだけで、

 どの色が濃いか、どれだけ余分か――

 1パーセントの狂いもなく取り出せるって話だ。」


「本当か?」


「さあな。でも調律のあと、

みんな顔つきが変わる。

 心が軽くなるんだとさ。」


言葉の端に、

信頼と不安がないまぜになっていた。



通りを抜けると、

パン屋の軒先から粉の香りが漂ってきた。

店主の女性が、粉まみれの手を拭いながら言う。


「不思議な人よ、リオル様は。

 まるで人間味がないの。

 なびく黒髪は、ときどき銀にも群青にも見えて、

 薄い光のベールをまとっているようにも見えるの。

 でもね、あの方が通ると、

 店の空気が少し澄むのよ。」


「瓶屋の兄は?」


「あぁ、レネス君のこと?

 あの子は仕事をしながら妹さんのお見舞いまで、

 本当によくやってるわ。

 まっすぐで優しい子よ。」


井戸端では老人が陽に透けた瓶を指で弾いた。


「昔は風が吹けば、

 もっとよう鳴ったもんだ。

 いまは音が薄い。

 ……女王様の祈りは、まだ空に届いているのかねぇ。

 祭りの光はもう“遠い灯”のようだ。」


(遠い灯――)

アウルはその言葉に胸を突かれた。

女王アリシアの祈りは確かに続いている。

眠ることもなく、己の身を削りながら、

それでも世界の呼吸を絶やさぬように

祈り続けている。


それを知らない人々が、

“遠い灯”と呼ぶ現実が、ただ悔しかった。

拳が自然と強く握られる。

(陛下の祈りは、今も息づいている――

 届かないのではなく、

 届ける場所が遠すぎるだけだ)


風が通り過ぎ、瓶がかすかに鳴った。



子どもたちの落書きが石畳に残っていた。

雲、瓶、人の顔。

指でなぞると、粉はすぐに風で散った。

笑い声は出るが、長く続かない。

日常はある。けれど、どこかで一拍遅れている。


「なあ…」


荷車を押す少年が立ち止まり、

アウルに疑問をぶつけた。


「黒って、うつるの?」


「うつらないよ」


アウルは即座に答え、柔らかく微笑んだ。


「怖さは、うつることがある。

 でもね、怖さも色だ。

 誰かに話せば、少しずつ薄まる。」


少年は少し考えてから、小さくうなずいた。


「……そっか」



坂道の先に、白い屋根の建物が見えた。

その窓辺に並ぶ瓶が、淡く光っている。

風もないのに、ひとつだけ、瓶が微かに揺れた。


アウルは封音計を胸に抱きしめた。

針が小さく脈を打つ。


そう呟いて、彼は静かに坂を登りはじめた。


✴︎リオルの独り言✴︎


観測院の人々は、空の声を聴く守人だ。

彼らは封音を測り、記録し、

時にその沈黙の奥へ足を踏み入れていく。


机に向かう学者であり、

祈りの境界を護る騎士でもある。


彼らが残す記録は、数字ではなく“証”だ。

空がどんな日も呼吸を続けていたこと、

人々の祈りが決して途切れなかったこと――

それを、封音計の震えを記録に刻む。


私たち調律士が心の音を整えるように、

彼らは空の音を守っている。

理を記す者と、感情を調える者。

どちらの沈黙にも、祈りが宿っている。



✴︎用語解説✴︎


【No.17】観測院かんそくいん


王宮直属の封音観測機関。

空と地上を結ぶ〈封音〉の流れを封音計で測定し、

その揺らぎを記録・解析する学術組織。


しかし同時に、

観測院は王国を守護する実働部隊でもある。


異変や封音の乱れが確認された地域へは、

観測官たちが自ら赴き、

調査・鎮静・保護の任にあたる。


そのため、院の上層部には〈封音騎士団〉が存在し、

彼らは祈りと理を守る“聖域の守人”として王に仕える。


アウルはその一人。

封音を読む鋭い感覚と、

女王への深い忠誠心を併せ持ち、

現在は地上調査官として

リオルのもとへ派遣されている。

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