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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第16話ー黒の影ー

ご覧頂きありがとうございます。

朝の光が、薄く調律室を照らしていた。

窓辺に吊るされた瓶飾りが、

かすかに揺れる。


リオルは封音の器具を並べ、

いつもより慎重に手を動かしていた。

黒のエモリアに触れるとき、

音はよく“遅れる”。

その遅れが、

心の奥にある沈黙の深さを教えてくれる。


扉を叩く音。

二度。静かな合図。


「……リオルさん、瓶屋のレネスです。」


声に続いて、ゆっくりと扉が開いた。


レネスの腕には、

薄布に包まれた少女が抱きかかえられていた。


その身体は驚くほど軽く、息づかいは浅い。

まるで壊れものを抱くように、

レネスは慎重に歩を進めていた。


「妹のレイラです。

 ……喋らないんです。息も浅くて。

 今朝はもう、自分で立つのも難しくて。」


リオルは頷き、

静かに指を伸ばした。

「こちらへ。横に寝かせてあげてください。」


レネスがそっとレイラを寝台に降ろす。

彼女の髪は淡い栗色で、

光を吸うたびに灰の影を帯びていた。

瞼の下に、うっすらと青い色が滲んでいる。


リオルは透視鏡を取り出し、

レイラの胸のあたりを静かに覗きこんだ。

光の層の中に、黒い靄がゆっくりと滞留している。


「……やはり、黒が多い。」


レネスが息をのむ。

リオルの瞳に、数値が淡く浮かんだ。

紅百二十、青百五十、灰百四十、白百三十――

そして、黒が二百を超えていた。


「黒は沈黙の色です。

 この数では、呼吸も音も止まりやすくなります。」


透視鏡を外したリオルは、

掌に銀の輪――封環をのせた。

それを胸の上にそっとかざすと、

低い封音が、調律室の空気を震わせる。


音が返るまでに、一拍の“空白”。

そこから、墨を溶かしたような黒がふわりと浮かび上がる。


その雲は淡く震え、

ゆっくりと瓶の中へ吸い込まれていった。

光と混ざりながら形を変え、

静かな影として底に沈む。


レイラの肩がわずかに上下し、

息がひとつ深くなった。

閉じていた瞳の下に、微かな色が戻る。


リオルは静かに告げた。

「……きょうは黒を十だけ取り出しました。

 残りは、時間をかけて薄めていきましょう。」


レネスは瓶の中で揺れる黒を見つめたまま言った。


「……全部取り出せないわけじゃないんですよね。

 だったら、

 どうして残しておく必要があるんですか?」


声は穏やかだったが、

その奥に焦りが混ざっていた。


リオルは少しだけ目を伏せ、

瓶を光にかざした。


「できなくはありませんが、

 一度に抜ける上限は各色十です。

 それ以上は器が混乱してしまう。

 黒はすぐに消さなきゃいけないと

 思われがちですが、

 同時に“想いの痕”でもある。

 一気に消せば、他の色まで崩れてしまう。

 だから、少しずつ薄めて、

 他の色と混ざるようにしてあげるんです。」


レネスは、黙って瓶を見つめた。

瓶の中で、黒が淡く光に溶けていく。


リオルは棚から数本の瓶を選び出した。

白と橙、そして黒をやわらげる淡光をほんの少し。

それらを調合皿に落とし、

指先でゆっくりと混ぜ合わせる。


淡い光は金平糖のように形をとり、

粒の中心で微かな封音が響いた。


「……黒が強すぎて、

 “嬉”や“静”の色が奥に押し込まれています。

 失われたわけではなく、

 ただ光が届かなくなっているだけです。

 このリュメルで、

 眠っている色を呼び戻してあげましょう。」


リオルは小さく息を整え、

結晶をひとつ持ち上げた。

「少し、体を起こしてあげてください。」


レネスがそっと妹の背を支える。

リオルは慎重に金平糖の粒を指先でつまみ、

レイラの唇へと運んだ。


「……ゆっくりで大丈夫。舌の上で溶けます。」


粒が触れると、淡い光が胸の奥でふわりと灯り、

その呼吸がほんの少しだけ深くなった。


リオルは瓶の蓋を閉じ、封蝋を押す。


「これで今日はここまで。

 次の調律で、もう少し黒を抜きましょう。」


少し間を置いて、静かに続けた。


「……しばらく、妹さんをここに

 預けてもらってもいいでしょうか?

 黒は落ち着いてきていますが、

 波が戻ることもある。」


レネスは一瞬ためらい、

それでも頷いた。


「……お願いします。」


リオルは穏やかに微笑んだ。


「大丈夫。ここなら瓶飾りの音も聞こえます。」


瓶飾りが一度だけ鳴り、

音が空に吸い込まれていった。


レネスはその音を黙って聞いていた。


✴︎リオルの独り言✴︎


封環は、音で心をひらく道具だ。

けれど、無理にこじ開けるものではない。


私はいつも、患者の胸の上に輪をかざすとき、

耳ではなく、指先で“音の震え”を聴いている。


強く鳴らせば、どんな心も割れる。

けれど、ほんの少し響かせるだけで、

閉じ込められた感情は、自分から外へ出ようとする。


音は命の呼吸だ。

封環は、ただそれを手伝うだけの輪。

ほんとうに開くのは、

その人自身の“心の音”なのだ。


✴︎用語解説✴︎


【No.16】封環ふうかん


調律士が感情〈エモリア〉を身体から抽出するために用いる銀の輪。

心臓の鼓動と共鳴し、封音を発して余剰の色を瓶へ導く。


封環の響きは使用者によって異なり、

調律士の呼吸や心の在り方がそのまま音色となる。

正確な調律を行えるのは、長年の修練で

“静かな心”を保てる者だけ。


中でも、リオルのみがエモリアから

色の比率を数値として読み取ることができる。

これは血筋による特異な感覚であり、

「調律士の家系に宿る空の加護」と呼ばれている。


一度に取り出せるのは各色につき

十までと定められており、

強く響かせすぎると、

器(心)が混乱を起こす危険がある。

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