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Emoria-雲を空に返す夜に  作者: ume.


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第11話ー橙を拾う道ー

「あまい。」

その言葉が、朝の空気に溶けた。


リオルは少しだけ笑った。

それは、音を立てない笑みだった。


「……家まで送ります。

 道は覚えていますか?」


ノアは小さく首を振った。


リオルはうなずき、

静かに歩き出す。


並んで歩く足音が、

石畳の上でかすかに重なった。


街はまだ、夜明けの名残を抱いている。

瓶屋の前を通ると、

屋根から大小さまざまな瓶が吊るされていた。

光を受けて、丸いもの、細いもの、

花のつぼみのような形をしたもの――

どれも中に、エモリアを模したビーズやガラス細工が入っている。


本物のエモリアを所有できるのは、

調律士の資格を持つ者だけ。

けれど人々は、その儚い光に憧れて、

こうして“飾り”として街に残しているのだ。


瓶のひとつに、橙のガラス玉が揺れた。

朝の光を受けて、まるで笑い声のようにきらめく。


ノアは立ち止まり、その瓶を見上げる。


「これ……きれい。」


「“嬉”の色ですね。」

「嬉……?」


「笑うとき、胸の奥に灯る橙の色です。」


ノアはその言葉を繰り返すように、

小さく口の中でつぶやいた。

その音が、どこか懐かしく胸に響いた。


通りの先から、パンの焼ける香りが流れてくる。

甘くて香ばしい匂いが風に混ざり、

ノアの足が自然とそちらへ向いた。


リオルは笑みを深めた。


「行きましょう。」


小さなパン屋の前で足を止める。

店主が笑顔で丸いパンを差し出した。

ノアはひと口かじり、目を細める。


舌の上でひろがるあたたかさに、

胸の奥で橙の光がやわらかく滲んだ。


パンを抱えたまま、

ノアはゆっくりと通りを歩いていた。

まだ湯気の残る香りが、掌にほのかに移っている。


そのとき、石畳の上を何かが転がった。

透明な球が太陽の光を受け、

ころころと音を立ててノアの足元で止まる。


「あ……!」


小さな声がして、

通りの向こうから子どもが駆けてきた。

息を切らしながら、ノアを見上げる。


ノアはしゃがみ込み、

球――ビー玉を拾い上げた。

手の中で、橙と青の光がゆらめいている。


「……これ?」


「うん、それ!」


ノアがビー玉を差し出すと、

子どもはぱっと笑った。


「ありがとう!」


その笑顔は、

朝の光よりもまぶしかった。


ノアの胸の奥で、

小さな灯がともる。

焼きたてのパンのぬくもりと、

その笑顔が重なって、

橙の色がふわりと広がった。


リオルはすぐそばで、

ただ静かにその様子を見ていた。

言葉はなくても、

風がふたりのあいだをやわらかく通り抜けていった。


陽はすでに傾きはじめていた。

街の屋根が金色に染まり、

風に混ざる焼き菓子の甘い匂いが

どこか懐かしく胸をくすぐった。


ノアは歩きながら、

さっきの子どもの笑顔を何度も思い出していた。

そのたびに、胸の奥で橙の灯が小さく瞬いた。


「……あの色、きれいだったね。」


ふいにノアがつぶやくと、

リオルは少しだけうなずいた。


「ええ。

 あなたの中でも、

 同じ色が灯っていました。」


ノアは言葉の意味を

すぐには理解できなかったけれど、

なぜか心が少しだけあたたかくなった。


通りを抜けると、

前方に小さな灯りが見えた。

古い家の窓から、

かすかに白い光がこぼれている。


リオルは足を止めた。

風が衣の裾を揺らす。


「……ここです。」


ノアも立ち止まり、

家を見上げた。

夕暮れの光が、

ゆっくりと白に溶けていく。


掌の中には、

もうビー玉はない。

けれど、あの時見た橙と青の光が、

まだ指先の奥で淡く揺れていた。


それは――

たしかに拾い上げた“色”のぬくもりだった。


✴︎リオルの独り言✴︎


うれは、光に似ている。

それは誰かが与えるものではなく、

ふとした拍子に胸の奥で“ともる”ものだ。


笑顔を向けられた瞬間、

風に混じる香り、

掌のぬくもり――

そのどれもが、

生きていることを確かめるための小さな灯。


それは、世界が呼吸をしている証だから。

灯るたび、私は思う。

――今日も、この世界はまだあたたかい。



✴︎用語解説✴︎


【No.11】うれ(橙のエモリア)


他者とのふれあいや、

日常の中の小さな喜びから生まれる色。

体温にもっとも近く、

笑顔や声、光、香り――

あらゆる“生きる感覚”に宿る。


過剰な嬉は欲望や慢心を呼び、

欠けた嬉は感情の鈍化を招く。


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