西洋の中世ヨーロッパ、まだ世界におとぎ話のようなお姫様がいた頃のお話。王国のはずれの小さな田舎には、シュシュという一人の少女がいました。
彼女は清廉で、村の誰からも好かれるような朗らかさと暖かい心を持った少女でした。郡を抜くような聡明さや、運動神経は持ち得ませんでしたが、代わりに誰もが振り返る麗しい容姿を、齢8歳にして手にしていました。
「シュシュ、リンゴを持っていきな」
「シュシュ、なにか困り事はないかい?」
「シュシュはきっと、いいお嫁さんになるね」
皆が口を揃えてそう言うので、シュシュ本人も、きっと自分は愛されるために生まれてきたのだと、信じて疑いませんでした。
そんな自身が欺瞞へと変わったのは、15歳の夏の頃。蝉の声がひときわ耳をつんざき、被っていたお母さん自作の麦わら帽子が風に攫われて、彼女にとってはたいそうついていない日でした。
「ああ、なんて暑いのかしら。溶けてしまいそう」
飛んでいってしまった麦わら帽子を探しに、森の中へ入りながら、彼女はそう不満を述べました。随分奥へと進んでしまったためか、日も暮れるというのに山中で迷い込んでしまいました。でも、不安はありません。だって彼女は愛されているから。きっとすぐに、村の誰かや、隣人のジャンが助けに来てくれるはずです。
比較的見晴らしのいい場所、崖上におおきな木を見つけると、その根元に腰を下ろします。彼女は、頬杖をついて、まったりと迎えを待つことにしました。
「ああっ、虫がいる!汚い、こっちに来ないでよ!」
5分、10分、15分。
「すごくジメジメしていて気持ちが悪い…」
30分、1時間、2時間。
いくら待っても、誰も助けに来てくれません。
日はとうに沈み、あたりは真っ暗です。
「どうして?どうして、助けに来ないの?」
やっと不安が襲いかかり、目に涙を浮かべてしまいます。どうして?こんなにも綺麗で愛らしくて、実際愛されているはずなのに!どうして誰も探しに来てないの!
「もういい!自分で帰ってみせるもの!」
でも、シュシュはこんな所で挫けるような子じゃありません。きっとみんな、私が居ないことに気付いていないだけ。気づき出したら、きっと大慌てで捜索が始まるのです。
力強く立ち上がり、歩き出そうとしたその時でした。視界が不明瞭なため、根元に足をひっかけて、盛大に転んでしまったのです。見晴らしがいい崖上から、転がり落ちるように崖下へと落ちていきます。
「あっ、きゃあっ、うぐっ、ぎっ」
急斜になった崖に体を何度も打ち付けて、その度、ぐちゃり、ぼきぼき、と、骨がひしゃげる音がしました。自分の口から出たとは到底思えない汚くて不細工な声が耳に残ります。
「ゔ、ああああああーっ…!」
崖下まで落ちたようですが、そんなことに気付けるはずありません。全身に稲妻が走るような痛みを感じて、ただただ叫ぶことしかできません。到底動くこともできません。
どれくらい叫んだでしょう。声を枯らして、動かずに、じっとしていることが一番痛みを感じないと、気付くことが出来たころでしょうか。当たりが真っ暗で、彼女を探しに来る声も、松明の明かりひとつない孤独な空間に一人ぼっちになったと気づいた頃でしょうか。
じっと空虚を見つめていると、さく、さく、と草をかきわける足音が聞こえてきたのです。
ああ、やっと私を迎えに来てくれたのね。遅いじゃない。ひとしきり文句を言ってあげるんだから。