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僕の知らない君③

アルバイト終了時間となり彩夏は帰り支度をしていた。これから自宅に帰れるというのに、心は陰り憂鬱な気分になっていった。

「では、お先に失礼します」

 エアコンが効いた店内から出ると、湿気を帯びたモアっと纏わりつくような重苦しい外気に包まれた。夜だというのに日中とさほど変わらない熱風のような暑さと、湿度が不快でならない。

 駅に向かう途中、歩きながらコンパクトにまとめた髪を一度解く。さらりと弾むように髪が広がる。先程まできつくまとめられていた髪だということを感じさせない程、真っすぐで艶のある美しい髪だ。

 彩夏は手櫛で髪を一つまとめに縛り直す。その髪は歩く度に弾み、馬の尻尾のように跳ね上がっている。

「おつかれさま」

 突然声をかけられ、彩夏は目を丸くした。そこには深彗がいたからだ。

「どうしたの?こんな時間に、こんなところで……そういえば、家こっちだったよね」

「君を待っていた」

 深彗はあたたかな眼差しで彩夏を見つめながらそう答えた。

「え――?」 

 彼の唐突な発言に彩夏は言葉を失った。

「家まで送るよ。さあ行こう」

 そう言うと深彗は彩夏の隣を並んで歩き始めた。

 それがあたかも当たり前のように、極自然に振舞う深彗に彩夏の思考は混乱する。

 今まで家族にだってされたことはなかった。

「どうして?どうしてそんなことまでしてくれるの?」

「どうしてだろう……僕はただ、君の傍にいたいだけ……それじゃダメかな?」

「……」 

 深彗の連発される突拍子もない発言に、彩夏はどう返答していいのか分からなくなり押し黙ってしまった。

 暫く二人の間に沈黙が続いたが、深彗によって破られた。

「彩夏、君は人気者だね」

 先程から深彗の耳を疑いたくなるような発言に振り回され、彩夏の思考は混乱の二文字しかなかった。

「何を根拠に……」

「君は皆に注目されている」

「それは、あな……」

 と言いかけて彩夏は話すのを止めた。あなたのせいで私までも注目されてしまって迷惑だと。そして、あなたは私のことを何も知らないからそんなことが言えるのだ、と言いたかった。

 再び二人は沈黙したまま歩いていた。


「あら?彩夏ちゃんじゃない?」

 突然声を掛けられ顔をあげると、大きなトートバッグを肩にかけた女性がいた。その女性は彩夏の母勝代の妹、彩夏からしたら叔母の智子ともこだった。

 彩夏のアルバイト先のすぐそばに家族と暮らす叔母は買い物帰りのようだ。

「叔母さん、こんばんは」

「まぁ、しばらく会わないうちに随分と綺麗になったわね。見違えるほどよ。姉さんに似なくてよかったわね。ていうか、あなた家族の誰にも似てないわね」

 叔母は前のめりに彩夏の顔をじっと凝視するため、思わず顔を後ろに引く。

「こんな時間にこんなところで何しているの?」

「アルバイトの帰りです」

「彩夏ちゃんどうしてアルバイトなんてしているの?進学校なのに大変じゃない。お小遣い足りないの?」

「……そういうわけはありませんが……」

「もしかして、姉さんからお小遣い貰えてないんじゃないの?」

「!」

 図星なため慌てふためいた。傍に深彗がいる今、言って欲しくない言葉だった。

「姉さんは厳しい人だから、彩夏ちゃんも大変ね。辛い目に合ってない?」

「……」

「あの人は昔から変わらない。頭が良くて何でもそつなくこなす姉さんは口も立つから幼い頃から両親と言い争ってばかりでね、関係がぎくしゃくしていたのよ。そんなだから大学へ進学したかったみたいだけど断念したのよね」

「母が大学に?」

「そうよ。代わりに勉強苦手な私が大学に行かせてもらえることになった時は、姉さん相当落ち込んでいるようだったけど。今は嫁ぎ先の事業で成功しているようだからこだわりもなくなったでしょうけど」

 物心ついたころから母と心通わせ会話した記憶がない彩夏。叔母を通して初めて母の闇を知ることになった。意外な真実を知った彩夏は複雑な胸中であった。

「彩夏ちゃん、立ち話でこんな時間になっちゃったから自宅まで車で送っていこうか?」

 彩夏は携帯端末で時間を確認すると、少し離れた場所にいる深彗に視線を送った。

 智子はその様子から深彗の存在に気づき、深彗の顔を見てにっこりと微笑んだ。

「綺麗な男の子ね。ひょっとして彼氏?」

 彩夏は目を丸くして、ブンブンと顔を左右に大きく振った。

「ち、違います!ただのクラスメイトです!」

「そう?彩夏ちゃんを見つめる眼差しが優しいわね……ふふふ……」

 彩夏は電車の時間が気になり叔母の話など耳に入らない。

「叔母さん、電車乗り遅れてしまうからもう行きますね。さようなら」

 彩夏と深彗は速足で駅に向かって歩き出した。

 智子は笑顔で二人を見送った。



 電車に乗り込んだ二人は横並びに肩を並べて吊革につかまった。

 彩夏は、先程の叔母の言葉を思い出していた。

『大学へ進学したかったみたいだけど断念したのよね』

 あれほど彩夏の大学進学を拒む母は、実は大学に進学することを夢見ていた。自分が大学に行けなかったから、その腹いせだろうか。兄たちは黙っていても進学は保証されていた。では、私は?夢見ることすら許されない。

 こんな自分にだって夢はある。というか、今となってはあったという表現の方が相応しいのかもしれない。

 彩夏が夢を思い描けば描くほど残酷な現実の世界に打ちのめされ遠退いていく夢。いつしか夢とは、どんなに強く願っても、どんなに努力しようとも永遠に叶うことのない理想と定義されていった。

 ――私は一体何のために生まれて生きたのだろうか。

 今の彩夏は夢も希望も抱けず、あるのは失望と虚無感だけだった。

 彩夏は「ふぅ」と短く息をついた。

 ふと車窓に目を向けると、無言のままガタンゴトンと揺れる電車に身を委ねる二人の姿がくっきりと映し出されていた。

 深彗は彩夏の頭一個分以上背が高い。出会ったばかりの二人がこうして電車で肩を並べて乗っていることに不思議な感覚を覚えた。

 ――何だろうこの感じ……なんて表現したらいいのだろう

 車窓越しに深彗と目が合った。深彗は柔らかな眼差しで彩夏を見つめていた。彩夏はガラスに映る深彗をただ漠然と見つめた。

 結局、押しに弱い彩夏は深彗に自宅まで送られることになった。

「家ここなの。深彗君、送ってくれてありがとう」

 彩夏は深彗に深々と頭を下げた。

「おやすみ、彩夏」

 深彗は彩夏が家の中に入るのを確認するとどこかに帰っていった。

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