君と僕との物語⑤
――プッ……プッ……プッ……プッ……
規則正しい電子音は一定のリズムを刻む。モニターに表示される基線は、その形を変えることなく直線と波形を繰り返し描いている。
ポタッと落ちる点滴の滴は、その度に窓から差し込む陽光に乱反射し煌めきを放つ。
美しく澄んだ瞳は長い睫毛に覆われ、青白く整った美しい顔立ちは、人形の如く微動だにせずただそこに横たわっている。
その手をとるとあたたかい。互いの指を絡めるように繋ぎとめると、祈るように額に押し当てた。
シーツの上には、ポタリ、ポタリと銀色の雨が降り注ぐ。
「目を覚ますんだ……彩夏……」
「彩夏……?」
――自分の名を呼ぶ懐かしい声
「彩夏……どこ?」
――なんて優しい声音。私を探しているの?
「どこだ? どこにいる? 隠れていないで出ておいで」
――ふふふ。かくれんぼしているみたい
「見つけた!」
『深彗君、どうしてここがわかったの?』
「僕は君がどこにいても見つけ出すことができる」
――そうだった。あなたはいつだって私を見つけ出してくれる……
「彩夏、そんなところで何しているの? 早く出ておいで」
『うん……でもね……』
「彩夏、僕たちが初めて出会った時のことを覚えてる?」
『銀杏地蔵で深彗君を痴漢と間違えて蹴飛ばしたっけ……』
「そうだった、あれはあれで酷かった……君との出会いはいつだって衝撃的だ……」
『酷いことして、ごめんなさい……』
「彩夏……銀杏地蔵の昔話……覚えてる?」
『深彗君が創作した、あの悲しい物語でしょ』
「……あれは……とても、とても悲しい……君と僕との物語……」
『えっ? どういうこと?』
「君は忘れてしまったんだね。信じられないかもしれないけれど、僕は何度も何度も生まれ変わり、君に寄り添ってきた」
『では、あの夢は……本当だったのね……』
「夢?」
『うん……雪降る寒い夜の夢。凍える私を猫があたためてくれたの』
「……でも、君を救うことはできなかった……」
『ううん、そんなことないよ。ちっとも寂しくなんかなかったもの……』
「今から六百年前の豪雨の日……。濁流の中、僕は君と出会った。僕は、君がいたから生きながらえることができたんだ……君の命と引き換えに……」
君との初めての出会いは……辛い別れでもあった。
その後、僕は何度も何度も輪廻転生し、君のもとへやってきた。
君が寒さで凍えている時、僕は君を温めた。
君が悲しみに打ちひしがれている時、僕は君に寄り添った。
君が食料に困り飢えてしまいそうな時、僕は食べ物を運んだ。
君が一人ぼっちでこの世を去る時は、君が寂しくないように最期を看取った。
君は、何度生まれ変わっても悲しみの中にいた。
だから、僕は君の幸せを心から願った。
君を幸せにしてあげたい……そう願ったんだ。
いつしか僕は、君に恋をした。
実らない恋だとわかっていた。永遠に叶うことのない願いだということも。
それでも僕は、君を想い続けた。
君のことが好きだったから。君だけをずっと見つめてきた。
君の幸せを願って。抱えきれない程の愛を。精一杯の愛を。その全てを惜しむことなく君に奉げた。
僕には、願いが一つだけあった。
幸せそうな君の笑顔を見てみたい……ただ、それだけでよかった……。
『深彗君……あなたは長い間私を助けてくれていたんだね。今までありがとう……無償の愛を与え続けてくれて本当にありがとう。私、なぜもっと早くに気づかなかったんだろう……でも、もう遅いよね……』
「遅くなんかない。僕は君を迎えにきたんだ。さあ一緒に帰ろう……」
『ダメ、私には居場所がないの。私は母に愛されていない……そんな私は、誰からも愛される価値がないの。私がいなくなったって、悲しんでくれる人なんかいない』
「彩夏……思い出してごらん。いつも君を見守っている人達のことを……。君のおばあちゃんだって、クラスメイトの本田由実さんや、村田佳奈さんだって皆君の味方だよ。そしてこの僕も……。君のまわりには、こんなにも君を愛している人達がいる。君は一人じゃない……それを忘れないで」
『ずっとそうだった……。これまでもずっと、ずっと独りぼっちだった。愛されないのは自分が悪いの。愛されたければ言いなりになるしかないの。そうするしかなかった。生きるために……でも、ここに居ればもう苦しむことはないから……』
「可哀想に……あまりにも辛い出来事がトラウマになってしまったに違いない。君は、潜在意識の中で自身に暗示をかけてしまっている。人は自己イメージの範囲内で生きていこうとするから、君自身が思っているイメージのままにとどまろうと潜在意識が認識してしまうんだ」
「彩夏……未来のなりたい自分を想像してみて。それはきっと実現すると。未来の自分はこうありたいと、強く、強く願うんだ。まずは自分を信じる勇気を持って、その一歩を踏み出してごらん」
『なりたい自分? こんな私でも夢を抱いてもいいの?』
「いいんだよ……君は幸せになるために生まれてきたのだから……」
『私、幸せになれるの?』
「なれるよ。まずは、自身にかけた呪縛を解くんだ。心を開放してごらん。そしたら君は、新しい自分に生まれ変わることだってできるんだ」
『でも怖い……また傷つくことが……だから、もういいの……これでいい』
「彩夏、よく聞いて。僕は君のことが好きだ。君が僕のことをこんなにも思っていてくれたことが、本当に嬉しかった。僕は君に出会えて幸せだよ。これからもずっと君を守るから……傍でずっと笑顔を見ていたいんだ。だからお願いだ、彩夏……」
深彗の両手が彩夏に向かってさし伸ばされる。
「さあ、勇気を出して……奇跡を起こそう」
彩夏は、暗い海の底から深彗の声のする方を見上げると、恐る恐る手を伸ばしジャンプするように一歩を踏み出した。
彩夏は、暗い海底からゆっくりと浮上する。深彗は、彩夏の手を掴み引き寄せぎゅっと抱きしめた。
二人は、互いにきつく抱き合い溢れる涙は輝く虹の泡となって二人の進むべき道を照らしていた。
「彩夏……ありがとう……もう二度と君を離さない!」
『深彗君……』
「ん、んっ……」
彩夏は、突如目も開けられない程の眩しい光に包まれた。
遠くから小鳥のさえずりと、聞きなれない電子音が聞こえてくる。
とても長い夢を見ているようだった。
目を開けると、見たこともない真っ白な天井が視界に広がった。
「ここは……?」
よく見ると、身体からコード類やチューブのようなものがいくつもつけられていた。
起き上がろうとしても体に力が入らず思うように動けない。
なんとか起き上がろうと奮闘しているところに、白衣を来た女性と目が合った。
女性は、目をまん丸に見開き口をパクパクさせながら酷く慌てた様子で声を上げた。
「だ、誰か、来てー! 早く! 家族に連絡を!」
「深彗君はどこ? どこにいるの?」
深彗は、どこにも見当たらなかった。




