君と僕との物語③
――プッ……プッ……プッ……プッ……プッ……
心電図モニターが規則正しい一定のリズムを刻む。
「先生、この子は今どんな状態でしょうか……」
「事故で受傷した部位は回復しつつあります。レントゲン、CT、 MRI、心電図、脳波、血液検査等できる限りの検査をした結果、これといった異常は見られませんでした」
「そうですか、ではよくなりますよね。それと、この子は今薬で眠っているのですよね」
「否、そのような薬は一切使用していません」
「え? どういうことですか? もう二か月もこの状態ですよ!? 先生、この子はいつ目を覚ますのでしょうか」
「……それなのですが、よくわからないのです」
「それは、どういうことですか?」
「患者は、今植物状態とも言えますが、植物状態に至る要因をこれまでの経過を追って探りましたが、分かりませんでした。先程述べたように、新たな検査結果からもこれ程までの昏睡状態に陥るような異常な所見は全く持って見当たりませんでした」
「じゃあ、この子は……」
「患者は既に覚醒していてもおかしくないということです」
「では、この子はどうして目を覚まさないのでしょうか……」
「それなのです……これは、あくまでも私一個人の憶測にしか過ぎないのですが……患者自身の潜在意識の中で、ある種の心理が作用し覚醒を妨げているのではないかと。何か思い当たる点はありませんか。場合によっては、このまま目覚めない可能性もあります。これにおいては、精神科に依頼しましたので後日担当医から説明があるでしょう」
「そんな事って……」
「――か……彩夏……」
朦朧とする意識の中、自分の名を呼ぶ優しい声音。
薄っすらと目を開けると、視界には澄んだ夜空に星が瞬いているのが見えた。
彩夏は起き上がろうとするが、全身に激痛が走って思うように身動きが取れない。
冷たいアスファルトの上に視線を移すと、その先に横たわる深彗の姿があった。
深彗は真っすぐに彩夏を見つめていた。
「彩夏……」
深彗は、アスファルトの上を這うように少しずつ彩夏の方に移動しているようにも見えた。
「深彗、く、ん……」
浅い呼吸の彩夏は、か細い声で返答するのがやっとだった。
彩夏は薄れ行く意識の中で、深彗が自分を庇い共にトラックに跳ね上げられたことを思い出した。
「ダメ、だ、よ……深彗、君……動いちゃ、ダメ……」
深彗のその姿を見て、彩夏も痛みを堪えて地面を少しずつ這いながら移動する。
「彩夏……ごめん……」
深彗の手が彩夏に向かって伸ばされるが、その手は彼女に届かない。
彩夏も痛みをこらえて手を伸ばすが深彗の手を掴むことができなかった。
歯を食いしばりながら体を捩ように地を這い、互いの指先が触れると深彗は、彩夏の手を強く握りしめた。
深彗の陽だまりのようなぬくもりが彩夏に伝わってくる……。
「彩夏……守ってあげられなくてごめん……」
深彗の悲しげな表情に、彩夏は、そんなことはないと大きくかぶりを振ってみせた。
「……深彗、くん……謝ら、ないで……わ、るいのは、私、ごめん、なさい……」
ミィを失った絶望感と、深彗に怪我を負わせてしまった罪悪感が、彩夏の繊細な心に重くのしかかり深淵のような深い悲しみにのみこまれていった。
「彩夏……これ、覚えているか……」
深彗は、ポケットからあるものを取り出すと彩夏の目の前で見せた。
「そ、れって……」
彩夏は、あまりの驚きに夢でも見ているかのように感じられた。
繊細な音色が耳の鼓膜を伝って心の奥底まで響いてくるようだった。
――リーン、シャララーン……
それは、彩夏がミィの首輪につけた鈴だった。
「そうだよ、君が、ミィにつけた鈴だよ……」
「どう、して、ハァ……そ、れを……深彗が……ハァ……」
彩夏は、ミィの首輪にそっと触れると潤んだ瞳から温かな滴が零れ落ちていった。
「実は……」深彗がそう言いかけたその時だった。
「ゲホッ! ゴホッ!」
彩夏は、深紅の薔薇のような血を吐き真白なシャツを赤く染めた。
「えっ……? 彩夏? 彩夏――!!」
悲鳴にも似た深彗の悲痛な叫びは、瞬く夜空に吸い込まれていった。
愛する人が自分の名前を呼ぶ声は、薄れゆく意識の中で遠く遥か彼方に霞んで消えていった。
ここは……どこ? 深彗君?
そこは暗く冷たい海の中
彩夏は手繰寄せるように手を伸ばしその温かな手を探した
深彗君……どこ? どこにいるの?
そこは、深い、深い海の中
どこまでも、どこまでも、果てしなく沈んでいく
ああ このままずっと永遠に 独りぼっちの私……
でも、これでいい……これで……いいんだ……
そこは暗く冷たい海の底
彩夏はただ一人 その瞳をゆっくり閉じた




