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胸騒ぎ

 携帯端末を手にした深彗は、大きなため息をついた。

 いつもならば、すぐに返信メールが届くのだが、今日にいたっては既読すらつかず送信メールは増えていくばかり。

 深彗は、彩夏の身に何か起きたのではないかと懸念し部屋を飛び出した。



 その頃、彩夏は、行く当てもなくただひたすら幹線道路沿いを彷徨い歩いた。

 心の支柱を引っこ抜かれた彩夏は、心にぽっかりと大きな穴を抱えたまま生きる意味すら分からなくなり、最早どうでもよくなっていた。

 暫く歩くと大きな鳥居が見えてきた。行き場のない彩夏は、神社駐車場の縁石に腰を下ろし地面を見つめぼんやりとした。

 着の身着のまま家を飛び出したため、身につけていた物は学制服のスカートとシャツとベストだけ。  

 真冬の夜中ともなると気温が急激に下がり、薄着の彩夏はぶるりとその身を震わせた。

 吐く息が白い。彩夏は、膝を抱えその場にうずくまると「はぁ」とかじかむその手に息を吹きかけた。思い出したかのようにポケットから携帯を取り出すと、日付が間もなく変わる頃だった。

 メールを確認すると、深彗からのメールが何通も届き不在着信も何件かあった。

「……」

 躊躇いながらも、コールする彩夏。

「彩夏か!? 何があった? 今どこにいる? 無事か?」

 深彗の性急な声音から、彩夏の異変を察知し心配してくれているのだと思った。

 そんな深彗に彩夏の胸がぎゅっと締め付けられる。

 ――最後に深彗君の声が聞けてよかった……

「深彗君、返事が遅くなってごめんね……」

『どうした? 彩夏……? 泣いているのか? 今どこにいる!?』

 ――ああ、深彗君はどうしていつも私にこんなにも優しくしてくれるの?

「私、いつも深彗君に助けて貰ってばかりだなって……」

『そんなことないよ』

 ――幼き頃からどんなに望んでも得ることができなかったもの……あなたは私に与えてくれた……

「深彗君……今までありがとう……」

『急にどうしたの?』

 ――終わりにしたい……もう……終わりにしよう……

「ねぇ、深彗君……人ってさ、死んだら心はどうなっちゃうのかな……」

『彩夏?』

 ――心も死んでしまうのかな……

『何馬鹿なこと言っているんだ!?』

「ごめん、なんとなくそう思っただけ。今言ったこと全部忘れて……いつもの冗談だから……」

 ――私、何のために生まれてきたんだろう…… 

『今どこだ? 今すぐ迎えに行くから、場所を教えるんだ!』

「……」

 ――最後にもう一度だけ深彗君に会いたい……

『彩夏!』

 ――でも、会ったらきっと気持ちがブレてしまうから……いいの、これでいいの……

『一体、何を考えているだ!?』

 ――さよなら……深彗君……

『黙っていないで答えろ! 彩夏!!』

 こんな深彗は初めてだった。

『……なぜ何も答えないんだ!? 頼むから、返事をしてくれ……』

「深彗、君……?」

『……何でも一人で抱え込もうとするな……君は一人じゃない。僕から離れようとするな……』

 彩夏には、深彗が泣いているように聞こえた。

「……」

『君を守ると……約束しただろ……?』

 ――彼をこれ以上悲しませるわけにはいかない……

「……今、――神社の駐車場にいる……」

 喉がしまって声が裏返る。

『彩夏、今からそっちに迎えに行くから、電話を切るな』

「……うん……待ってる……ありがとう……深彗君……」 

 ――あなたはいつだって私に……惜しむことなく無償の愛を与えてくれる……

 彩夏の凍てついた心がじんわりとあたためられ溶けていくようだった。 

 ――ああ、この感じ……なんだろう……以前にも、こんなことがあったような……これって既視感デジャビュ

 ふと、脳裏にいつか見た夢の光景が思い出された。

「ねえ、深彗君……」

『どうした?』

「前にね、見た夢の話をしてもいい?」

『うん、どんな夢?』

「それはね、今夜みたいな冬の寒空の夢……」



『ごめんなさい、いい子にします、だから許してください……どうか、どうか……』 

 師走のある夜。

 歳にして三、四歳のまだ幼き女の子は、突如冬の寒空の下に放り出された。

 身に着けているのは薄い着物一枚。ヒヤリと冷たい地面から起き上がると、ザクリと音がした。

 女の子は、ぶるりとその小さな身体を震わせた。

 外は先程までとは違う、あたり一面白銀の世界に様変わりしていた。

 女の子は凍える身体を抱えながら夜空を見上げた。

 冷たい闇の空から、真っ白な雪の華が音もなくふわふわと舞い落ちてくる。

 その様はなんとも美しく、この状況下であっても女の子は心躍らせた。

 ――なんてきれい……

 女の子は掌にひとひらの雪を受け止め眺めた。雪は、すぐに溶け水滴と化した。

 女の子はその儚さに寂しさを覚えた。

 今宵、どうしてこんな酷い仕打ちを受けなければならないのか、幼い女の子には全く理解できなかった。

 女の子にできることはただ一つ。ただひたすら『ごめんなさいどうか許してください……』許しを乞うことだけだった。

 あたりは闇にのまれ、音のない世界に女の子は恐怖を覚えた。

 女の子は泣きながら家の周りを裸足で歩き、かじかむその小さな手で扉や壁を叩き続けた。

 だが、女の子の声は家の中の者に聞き届けられることはなかった。

 家の中からは温かな光が漏れ、女の子の兄妹たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 ――お母さん……

 少女は再び玄関を叩きながら訴えた。

『お母さん、いい子にするから、中に入れて……』

 そう泣きながら何度も訴え続けたが、誰も出てきてはくれなかった。

 それでも女の子は必死に扉を叩き続けた。

 かじかんだ女の子のモミジのような両の手から、とうとう血が滲み出てきた。

 その血は真っ白な雪を赤く染めていった。

 無情にも美しい雪の花弁は、女の子の頭や肩に舞い落ち、溶けることなく後から後から降り積もっていく。

 体の小さな幼い女の子には雪の寒さは身に応え、急速に体温を奪われていく。

 女の子は『はぁ、はぁ』と息を吹きかけ、そのかじかんだ両の手を温めた。

 だが、身体はガタガタと震えがとまらず、歯はカチカチと音をたてた。

 いつしか声も涙も出せなくなり、立っていることすら辛くなった。

 家の玄関前にしゃがみ込み呆然とすることしかできなかった。

 女の子は真っ暗な闇の中に一人ぼっちで、寒さに耐えながら孤独と戦った。


 そこへどこからともなく現れた一匹の白猫が、女の子にすり寄ってきた。

『お前も一人なの? 寒いでしょ。私が温めてあげる』

 女の子はそう言うと猫を抱きかかえた。

 その柔らかでふわふわで心地よい小さな命は、女の子の心と身体をあたため安らぎを与えた。

『猫ちゃん、こうしていると、あったかいね……』

 女の子は満面の笑みで猫に微笑んだ。

 猫は 凍える女の子に抱きかかえられながらゴロゴロと喉を鳴らした。

『どう? 猫ちゃん、あったかくなった?』

 女の子は自分のことよりも猫の心配をする。

 猫は女の子を見上げると応えるように『にゃ~ん』と鳴いた。

 女の子は 慈しむような眼差しで猫を見つめると、かじかむその小さな手で猫の頭をそっと撫でた。

『猫ちゃん、もう少ししたら家の中に入れるから、それまで辛抱してね』

 女の子は、家の扉が開かれることを信じて、寒さに耐え忍びながらひたすらじっと待ち続けた。

 雪は後から後から絶え間なく降り積もり、女の子はすっぽりと雪に包まれていった。

『なんだか、すごく……眠くなってきた……猫ちゃん、おやすみ……』

 女の子はそう言うと深い眠りに落ちていった。

 猫は何度も何度も、女の子の冷たい頬に顔をすりすりと擦りつけるが、女の子はもう二度と目を覚まさすことはなかった。


『お母さん……』

『なあに?』

『あのね……手を繋いでもいい?』

『なあに?どうしたの、この子ったら急に……ほら……』

 母親は女の子に手を差し伸べた。

 女の子は嬉しそうに差し出されたその手をじっと見つめそして握った。

 その手は確かにあたたかかった。

『お母さん……』

 それは、叶うことのない儚い夢だった。




「その夢はね、何度思い出しても鮮明で胸が苦しくなるくらい切なくて、悲しい夢だった……」

『……可哀想に、そんな悲しい夢を見たんだね……』

「うん……」

『彩夏、近くまで来たからもう直ぐ会えるよ。待ってて……』

「うん」


 深彗を待ちながら物思いに耽る彩夏の目の前に、一匹の親猫とその後を追う五匹の子猫が現れた。

 子猫たちは親猫の後をちょろちょろとついてまわり可愛らしい。

 暫く様子を見ていると、その親猫は無謀にも、五匹の子猫を連れて道路を横断しようとしていた。

 胸騒ぎを覚えた。ここは、夜中と言ってもまだ交通量の多い幹線道路だ。彩夏は、その猫の親子から目が離せなかった。

 嫌な予感は的中するものだ。先走る車のヘッドライトの明かりが眩しく感じたその瞬間、親猫が突如道路へ飛び出した。その後を少し遅れて子猫たちが追いかける。

「ダメー! 行ってはダメー! 死んじゃう!」

 彩夏は、悲鳴を上げた。運転手は、猫の親子が横断していることに気づいていないのか、トラックは速度を落とすことはなかった。

 ――このままでは子猫たちが轢かれてしまう!

 焦燥感に駆られた彩夏は、咄嗟に道路に飛び出しトラックに向かって両手を広げると制止を試みた。

 ――お願い! 早く気づいて! すぐに止まって!!

 彩夏は、祈りながらその場に立ちはだかった。猫たちに目を遣ると、まだ渡りきれていない子猫が視界に入った。

 ――お願い! 早く! 早くー!!

 トラックは、彩夏に気づくと空気を切り裂くような激しいクラクションと急ブレーキ音を響かせながらこちらに迫ってきた。

 ――ああ、もうダメ……! 間に合わない……! 深彗君……! 

 彩夏は肩を竦め、目をきつく瞑ると死を覚悟した。


「彩夏ー!!」

 自分を呼ぶ声がした。

 刹那、彩夏は衝撃音と共に身体がふわりと宙に舞う感覚を覚えた。









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