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君への想い ①


 トントン――、トントントン――、トントントントン――

 文化祭も近づき、各々担当する物の製作など準備にあたっていた。


「水星~ちょっとそっち持っていてくれないか~」

「これでいいか?」

 深彗は、クラスの男子たちと大掛かりな展示物の製作をしていた。

 トントントン――ガチーン――!

「痛って~!」

「お前は大工になれないな。大八だ! なあ、水星も言ってやれよ~」

 わちゃわちゃと騒々しい男子たち。その様子を見て女子たちが笑っている。今、クラスの皆が文化祭に向けて盛り上がっていた。

 珍しく髪を一つにまとめた彩夏は、クラスのイベント案内ポスターを黙々と描いている。久しぶりに絵を描く彩夏は、楽しくてつい夢中になっていた。

「お~彩夏~意外!? 絵、上手いじゃん」 

 由実の言葉に関心を寄せたクラスメイトたちは、彩夏に注目し集まりだした。

「葉月、お前こんな才能があったのか?」

「凄い上手!」

「簡単に描けちゃうなんて凄いね!」

「色使いが綺麗……」

 彩夏は、普段会話することのなかったクラスメイト達から称賛の声が上がり、動揺を隠せない。

「葉月さんは凄いんだよ! 昔から絵が上手で、いつも選ばれていたんだよ! 絵画展で大きな賞をとったこともあるんだから!」

 普段率先して人と会話をしない村田さんは、やや興奮気味に彩夏のことを得意気に話す。

 それを聞いたクラスメイト達から、どよめきと歓声があがった。

 彩夏は、皆に注目され頬を深紅の薔薇のように染めながら首を横に振ってははにかむ。

 それは、深彗がこれまでに見たことのない光景だった。

 そんな彩夏を、もっと見ていたいと思った深彗は、誰にも気づかれないよう離れたところから静かに見つめた。

 深彗は、彩夏への愛おしさが込みあげ胸がいっぱいになっていくのを感じた。




 放課後、二人はいつものように生徒用玄関を出た。

「深彗君に見せたいものがあるの。ちょっといいかな」

 校内のオープンスペースに深彗を誘った彩夏は、向き合うように腰かけた。

 彩夏は、バックから丸い筒状の物をとり出し深彗に渡した。

「これは、何?」

「この前、深彗君が私の絵が見たいって言ってくれたから……持ってきたの」

「ひょっとして、賞をとったという絵?」

「うん……」

 彩夏が恥ずかしそうに頬を桃色に染めた。

「そこに書かれている物はね、私の宝物なの。私にとって永遠の片思いの相手……」

『永遠の片思いの相手』深彗は、その言葉に強く反応した。彩夏は、告白された現場に深彗がいたことを知らなかった。

 ――この中に……彩夏の想い人が描かれているということか?

 深彗は、筒のふたを開けると中から絵をそっと取り出した。丸まった紙を手にした時、緊張感に包まれた。彼は、ゆっくりとその絵を開いていった。

 その絵を見た深彗は、息を呑み突として涙する。

 そこに描かれていたものは……。

 真っ青な紺碧の空に、天高く抱き上げられ目を丸くする一匹の真白な子猫と、満面の笑みを浮かべたセーラー服姿の彩夏が描かれていた。

 深彗には、聖母マリアが幼児キリストを抱きかかえた慈愛に満ちた絵のように感じられた。

 その猫の瞳は、宝石のようなアクアマリンブルーとペリドットグリーンのオッドアイ。猫の白い毛並みと目が覚めるような空の蒼とのコントラストが美しく、神々しいまでに神秘的だった。首には濃いブルーに白い鈴の首輪が。

 ――作品名「運命の出会い」葉月彩夏――

 深彗の涙は、後から後から絶え間なく溢れ出し、止めることはできなかった。

「深彗君、急にどうしたの? どうしてそんなに泣くの?」

 彩夏は、突如涙を流す深彗を見て、困惑の色を浮かべた。

「だって、君が……こんなにも幸せそうな顔をして……笑っているから……」

 深彗は、震える声でそう言った。

「うん……幸せだった……」

 彩夏は、頷きながらそう答えた。

「ひょっとして……この真白な子猫が、君の永遠の片思いの相手?」

「おかしいでしょ……猫が片思いだなんて……。この子は私の理想の彼氏像。でも、もう会えないの……ある日突然、いなくなってしまったから……」

 彩夏の笑い顔が、泣いて見えるのは気のせい?

「私のことが嫌いになっちゃったのかな……きっとどこかの家で幸せに暮らしている、そう信じているの」

「……うん、そうだね……」深彗は泣きながら答えた。 

「この猫の名前は? きれいな首輪だね」

「猫の名前はミィ。この首輪には私のお気に入りの鈴をつけたの。その音色は、幾重にも音が重なってとても美しい音色を響かせるの。その鈴の音を聞くだけで『ミィが来た』って直ぐにわかるくらい」

「そうだね……その猫は、君と一緒に過ごすことができて、とても幸せだったと思うよ」

「……だと、いいな……」

 彩夏が、寂しげに答えた。


 ややあって、彩夏が一点を見つめながらぽつりぽつりと語り始めた。

「深彗君……私、私ね……小学生の時、修学旅行での出来事をきっかけに人と壁をつくるようになったの。同級生からいじめに遭ったわけでも、嫌われたわけでもないけれど、その出来事がトラウマとなって人の目が怖くなった……。中学に入学すると、私の元々茶色い地毛が染めてると判断され、校則違反として問題となって。母は髪色のことで学校に連絡してくれていなかったと後から知った。悪目立ちしてしまった私は、教師からも悪のレッテルを張られ冷たい目で見られた。先輩たちに呼び出され、罵られもした。すべて自分が悪いんだけれど……」


 彩夏は、俯き「ふぅ」と大きな深呼吸をひとつする。膝に置かれた手を、ぎゅっと握り絞め、再び語り始めた。

「それからね……私、家庭環境に恵まれていないの。父はお酒を飲むと暴言を吐き暴力を振るう人で、私は幼い頃から虐待されてきた。息が出来なくなるほど殴られることもあって、いっそのこと死んで楽になりたいと思ったこともある。母は、兄たちを溺愛していて昔から私のことを忌み嫌った。そんな私は、母と手を繋いだ記憶もなければ、お風呂に入ることも、一緒に寝た記憶も、抱きしめられた記憶すらなく、母の温もりを知らずに育った。私は、これまで母からの酷い仕打ちに耐えながら生きてきた。それでも、いつか母が私のことを愛してくれるかもしれないと、どこかで期待していた私は、母の言いなりに生きてきた。私生活を隠そうとすると、嘘をつかなければならないこともあって。私の家庭環境を知られたら、皆から変な目で見られるのではないか。皆離れていってしまうのではないか。そう思っただけでも怖かった。あの時のように、傷つくことが怖かった。だから、自分の心が傷つかないように、私は嘘という防護服を身に纏い、自ら壁を作り孤高に生きてきた。だから友達なんていないの。本音を言える友達なんて誰一人いなかった。心配してくれる人もいないから、私なんていなくなっても誰も悲しむ人はいない。でも、本当は……ずっと、ずっと寂しかった……。誰かに分かってもらいたかった。母に愛されたかった……」


 彩夏は、瞳を潤ませながら高い空を見上げた。涙が零れないようにしているのだと、そう思った。

 深彗は、そんな彩夏の気持ちに寄り添うように見守った。


「そんな時、ミィと出会ったの。ミィは私の心を癒してくれた、かけがえのない存在だった。でも、ミィがいなくなり心の支えを失ってしまった。それから、また独りぼっちで孤独な日々が始まったの。私は夢も希望も失い、ただあるのは失望の毎日だった。そんな時、深彗君に出会って……。これが……深彗君が知りたかった本当の私……。なんか笑えるでしょ……」


 彩夏は、なぜか笑っていた。深彗は、泣き笑いする彼女を見ているのが辛かった。

 これまでに、どれ程辛い思いを抱えて一人ぼっちで過ごしてきたのだろうか。

 そう考えただけでもやるせない思いに呑み込まれ、深彗の胸が苦しくなった。

「……笑えない……」

 深彗は、彩夏を見つめながらボロボロと涙を流していた。

「深彗君がそんなに泣くから……私が泣けないじゃない……」

 彩夏は、深彗がこんなにも泣き虫だったことに驚いた。

「うん……ごめん……彩夏……本当にごめん……悪いのは僕なんだ……ごめん……」

 深彗は、ひたすら彩夏に謝った。

「深彗君が悪いわけじゃないのに……そんなに謝らないで……」

「……ごめん、彩夏……」

「深彗君、私の話を聞いてくれてありがとう」

「僕は……君に出会うために生まれてきたんだと思う。君を守るために……」

 深彗は、彩夏を真っすぐ見つめながらそう言った。

 その言葉に、彩夏の空っぽだった心にポッと灯がともり、胸がポカポカと温かくなっていくのを感じた。彩夏は、瞳をゆらゆらと揺らつかせながら、深彗を見つめた。

 その瞳は、橙色に染まる夕暮れの海のように、柔らかな日の光をきらきらと反射して美しかった。



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