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僕の知らない君⑤

 彩夏は、車窓から流れゆく景色を眺めながら平常心を取り戻すことでいっぱいだった。

 バスは、停留所を過ぎる度に乗車する人が増えていき、空いている席はなくなった。

 そこへ足に障害がある三十代男性が乗車してきた。

 彼は、バスのステップを上がるのも一苦労な様子で、乗車するまでに時間を要していた。

 男性は迷うことなく乗車してすぐの位置に立ち、手すりに掴まった。

 入口の席に座る若い女性が席を譲るが、その男性はなぜか断っていた。   

 バスが発車すると、その男性の身体が大きく揺れているように見えた。足に踏ん張りがきかないからだろう。今にも転倒しそうで、彩夏は見ていて冷や冷やした。

 彩夏は、男性がなぜ譲られた席に座らなかったのか、そんなことを考えていた。

「あの……深彗君、ちょっとだけ席を外してもいい?」

 深彗は、彩夏の申し出に繋いでいた手を離す。

 彩夏は、突然立ち上がり走行中のバスの中を前方に向かって歩き始めた。

 深彗は、両替でもするのだろうと思って見ていると、彩夏は、足の不自由な男性のすぐ横に立ったままだ。

「?」

 深彗は、彩夏のとった謎の行動の意味を次の瞬間目の当たりにする。

 バスは突然の急ブレーキがかかり、車内は大きく前に揺れ動いた。

 脚力の弱い男性は、その場に踏みとどまることができず、手すりから手が離れ慣性の法則により前に勢いよく放り出された。

 それを見ていた深彗は、思わず立ち上がるが、後部と前方では間に合うはずもない。

 刹那、彩夏は咄嗟に男性の腕をつかみ転倒を防いだ。

 これは、危険を事前に予測し行動に移したから最悪な事態を回避することができたのであろう。

 男性は、乗車して間もなく下車した。その際、男性は彩夏を見て何度も頭を下げた。

 彩夏は、恥ずかしそうに首を横に振っていた。

 それは、よく見ていなければ誰にも気づかれることのない一瞬の出来事だった。

 そんなことを、何気なく行動に移しやってのける彩夏の勇敢で心根の優しい一面に触れた瞬間でもあった。

 深彗はそんな彩夏にますます惹かれていった。


 随分と乗車した気がする。ここが目的地なのだろうか。

 彩夏はバスを下車した。そこは、この街唯一のショッピングモールだった。

「彩夏、ここが目的の場所なの?」

「そう」

 彩夏は、相変わらず素っ気ない態度で答える。そんな塩対応にもへこたれることなく、深彗は破顔した。

 彩夏は、そんな深彗に気を留めることなく先を歩き、本屋に吸い込まれるように入っていった。

 ある専門書のコーナーで足を止めた彩夏は、いろいろな本を手にとり何度も開いては閉じ購入する本を吟味しているようだ。

 深彗は、そんな真剣な彩夏の横顔を微笑ましくずっと見つめていた。

 暫くして、一冊の厚みある本を手にした彩夏は、満足げな表情で大きく頷いた。選んだ本を大事そうに抱えレジに向かう彩夏は、とても嬉しそうに見えた。

 深彗は、先に書店の外で待っていると会計を済ませた彩夏が足早に戻ってきた。

「深彗君は本見なくていいの?」

「うん、今日のところはいいよ」

「ねえ、せっかく来たから洋服屋さんも見て行っていい?」

 彩夏の声のトーンがいつになく明るく感じた。

「僕は構わないよ」

 彩夏は子供のように嬉しそうに微笑むと弾むように歩き出した。学校では見たことのない一面を垣間見た気がした。それから二人は、いろいろな店舗を見て回った。

 

 とある雑貨屋で、こっそり馬のお面を頭から被った深彗は、彩夏に声を掛けられると振り返る。

 彩夏は、目を丸くして驚き声を出して笑った。

 そんな楽しそうに笑う彩夏を見て、深彗も嬉しかった。

 彩夏は「私も!」と言って馬のお面を被り振り返ると、深彗の姿がどこにも見えない。

「深彗君?」

 彩夏は、一人だけと分かると恥ずかしさに頬が燃えるように熱くなるのを感じた。慌ててお面を外しその場から去ろうした時「彩夏!」と背後から声を掛けられた。 

 一言文句を言ってやろうと振り返った彩夏は「ごめん、君の反応が見たくてつい……」と真剣な口調で謝る深彗を見て怒りを忘れ思わず吹き出してしまった。

 ひょっとこのお面を被ったままモジモジと謝罪する深彗のシュールさにやられ、彩夏はお腹を抱えてケラケラと笑った。

「笑っている君は素敵だね」

 深彗は、突拍子もないことを口にするから、彩夏は返す言葉が出てこない。

「彩夏……僕たち、デートしているみたいだね!」

 何気ないひと言が、彩夏の胸の鼓動を跳ね上げる。

 深彗にとって、これといった意味のないことかも知れない。けれど、何気ない彼の言動は彩夏の心臓に悪い。

 海外生活に慣れた深彗は、このような対応は日常茶飯事なのだろう。ただでさえ誤解を招くというのに、日本の女子たちが喜びそうなセリフをさらりと言ってのけ、思いがけない行動を起こすのだ。

 ――学校の深彗ファンが、彼のこれまでの奇抜な言動を目の当りにしたらきっと卒倒するに違いない。

 彩夏は想像しただけでも可笑しくなってきて、思わず口角をあげ「ふふふっ」と小さく笑った。 

 その瞬間を見逃さなった深彗は「あ!今、何か思って笑ったな!」と声を上げた。

「笑ってない!」と彩夏は否定するけれど、彼女は確かに笑ったのだ。

 深彗は気づいた。自分は、彩夏の笑顔が見たかったのだと。

 幸せそうに微笑む彼女をもっと見てみたいと思う自分がそこにいた。

 

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