3.春の味覚
今日も教室では恐々とした雰囲気で授業が進む。他の生徒が感じている不安と私が感じている不安は別物で、これまでは意識せずとも私の存在など空気だったのに今では存在を消すのに必死である。存在を消すというのはまったくもって目立たないということ。隣の席の子とは授業に必要最低限な会話をして、先生に指名されれば角が立たないように不安気なふりをして回答する。こうして推薦生徒の模範の様な学校生活を終えて一日の本番を迎える。
いつも通り速足で下駄箱から校門まで。そして前には学ランが、、いなかった。どうやら昨日本来の駅より前に降りたのは手違いではなかったらしい。いつもと帰るタイミングをずらしていることが明確な拒絶を示しているように感じられる。考えてみれば当然のことで、今、サッカーボールを持っていない私と彼が話す理由などない。そんなことを考えていた最中背後からアップテンポな足音が聞こえた。
「待っててくれてもいいじゃん」
確実に私に向けられているだろうその言葉に感動すら覚えた。
「今日は基本的なことをやろうぜ」
相変わらず陽斗くんはこちらの返しを待たずに話し続ける。
「青春に基本なんてあるの?」
至極全うな疑問が口から出た。そもそも青春の基本なんて部活としか思えなかった。
「青春の基本は友達とラーメンだろ」
どうやら私の考えは間違っていたようだ。そのあと陽斗くんはラーメンを熱く語り、私になぜ昨日あの駅で降りたのか聞かせる隙を与えなかった。そんなことを考えながら遠くで聞こえた彼の質問に「みそ」とだけ答えて歩いた。
駅に着きホームのベンチに腰掛ける。陽斗くんの話はいつの間にか一年生の頃の話に切り替わっていた。文化祭、体育祭、遠足、きっと陽斗くんが頭に浮かべているそれらのワンシーンに私の姿はないのだろう。電車が到着しベンチから立ち上がって乗り込む後ろ姿を見て、改めて今自分が彼と帰っていることに違和感を覚えた。
四人掛けの席に二人で座り一息ついた。心なしか電車の中では会話が弾みにくい。二人は各々のスマホに目を落とした。
「どこのラーメンに行くの?」
私はふと浮かんだ疑問を口に出した。こちらとしては当然の疑問だったが、彼は一瞬怪訝な表情をした。
「二ノ町駅のラーメン屋。さっき言ったけどな。」
あきれたような表情でそう言う彼はと再びスマホに目を落とした。どうやら先ほどのラーメントークの中で今日行くお店は発表されていたようだ。しかし、話を聞いていなかったことを謝罪する余裕は私になかった。なぜなら、二ノ町駅といえば普段私が下りている駅の一つ先の駅で、そうなると当然私の持っている定期で改札を通ることはできない。そして切符を買っていない私はその事実を彼に伝えなければいけなかった。
「ごめん。僕の定期じゃそこまで行けないや。」
すると彼は不思議そうな顔をした。
「いや俺の定期もそこまではいけないよ?」
「え?」
思わず聞き返してしまった。そのあと彼は私に簡単に説明した。どうやら説明によると二ノ町駅は無人駅で改札がないので降りる際に切符が必要ないらしい。そしてこれは近辺の高校生にとって常識的なことらしいのだ。
「実は一昨日食べ行こうと思ったらさ、その日はたまたま駅員がいて引き返したんだよ」
不満そうな顔でそう語る彼を見て、私が感じたのは昨日彼があの駅で降りたのは私を避けるためではなかったことがわかったことへの安心感と、今から人生初の犯罪を犯すということ、普通に駅員がいる可能性があることへの不安感だった。
募る不安を置き去りにするように電車は颯爽と進みあっさりと駅に着き、私の犯罪童貞もあっさり失われた。ただ歩いて駅を去るだけなのだから当然といえるだろう。ラーメン屋は歩いて数分のところにあり、店近くの旗には殴り書きで家系と書かれていた。家系とは名ばかりで運動部男たち御用達の外系ラーメン屋らしい。要するに家系男子の私が行くはずのない圧の強い店だった。陽斗くんは物怖じした私に気づくはずもなく店のドアを開けた。
流行りのJPOPで騒がしい店内で陽斗くんと全く同じ手順で全く同じ食券を買った。店員が回収する際に好み聞かれ陽斗くんが答え終わると同時に「同じで」といった。
「別に合わせなくてもいいのに」
彼のその一言に特に返答はしなかった。
しばらく他愛もない会話が続いたあと
「そういえばさ、、、」
彼が何か話に本腰を入れようとしたとき、ちょうど私たちの麵固め、油少なめのラーメンが届いた。
「いただきますか」
「そうだね」
彼が何を言おうとしていたのか気になりはしたものの目の前のラーメンの誘惑に勝てず麺をすすった。
はっきり言って期待を裏切られることはなく、見た目通りの豚骨醤油味だった。
「どう?」
ラーメンとのファーストコンタクトを終えた私に彼は真顔で問いかけた。
「おいしいね」
「よかったよかった」
きっと彼にとってこれは今まで何度も苦楽を共にした仲間と口にしてきた思い出のラーメンで、食べるたびに数々の思い出がよみがえるのだろう。そんな青春がトッピングされていない私にとってこのラーメンはただの豚骨醤油ラーメンなのだ。そして彼がそれに気づくことはきっとない。
麺を食べ終えると彼は席を立ち無料のライスよそって帰ってきた。
「これ無料だから一杯くらい食っとけば?スープをかけるとうまいぜ」
おなかはいっぱいだったがそんなことを言われてしまったのでライスを少しよそって食べた。
「そういえばさっき何か言おうとしてなかった?」
ふと思い出したので聞いてみた。
「あー。バタフライ効果って信じる?」
もう少し真剣な話だと思っていたので拍子抜けで一瞬会話に間ができてしまった。
「バタフライ効果?」
「そう。ちっちゃな出来事が大きな出来事に起因するってやつ」
説明を聞けばなんとなく聞いたことがある気がしなくもなかった。
「信じるも何もさ。物事の基本ってそれなんじゃない?」
小さなサッカーボールからこうしてラーメンにたどり着いた私が言うのだから間違いない。
「あー。そっか」
彼はなんだか残念そうにそう言って、二人は残りのスープを飲み干した。
心地よい満腹感の中で店を出て心地よい風を受けて駅に向かって歩いた。
「なんかやりたいことないの?」
きっとこれからこの質問は何度もされることになるのだろう。そしてそのたびに
「わからないな」
と答えて彼を困らせてしまうなだった。青春を知らない私が何をすれば青春を感じられるかを知らないのは当然といえば当然なのだ。彼は少し考えた後
「まぁ、とりあえず今日は解散だな。お前も少しは考えとけよ」
と言って少し歩くスピードを上げた。
二ノ町駅に着き、来た時とは違う方向の電車に乗り、いつもの駅のホームから彼に手を振って家に帰った。その時私は人生で二度目の犯罪を犯したことになっていたが、犯罪を犯した意識はなく罪悪感を感じることもなかった。ホームから電車にいる友達に手を振る自分への違和感があまりに大きすぎたようだ。