アンタの見立て
お目に留めて頂きありがとうござだす
5月中旬
道路に落ちた桜の花びらもすっかりと無くなり、街路樹が青々とした葉を茂らせる。
暖かい太陽の日差しが降り注ぎ、その光に照らされて、花々がより鮮やかに輝く季節。
それとは対照的に、通り過ぎる人々の表情はどんよりと暗い。
大型連休明けの出社は、ほとんどの会社員にとってとても悲しい出来事だ。
自分はそんな人々を横目に見ながら、リコとヒナに呼び出され、その目的地の前にいた。
自分の目の前には "詠春拳 王道場" と書かれた看板が掲げられていて、最近付け替えられたのか綺麗に磨かれているのか分からないが、道場の建物より新しく見える。
どうやら道場の横には母屋があり、そちらとは別の入り口になっていて、目の前の道場側にある扉にもインターホンがついている。
もうすぐ約束の時間なのに、2人はまだ来ない。
いつも、約束の時間より前に来ている2人にしては珍しい。
ここが住宅街のど真ん中ということもあり、ご近所さんに "あの人、入門しようかどうしようか迷ってるのかしら?" 的な目で見られているようで居心地が悪い。
何かあったのかと、スマートフォンを取り出しRainを確認すると、ちょうど通知が来た所だった。
屋上同盟のRainグループにリコから。遅刻遅刻と書かれ、アニメ調の黒猫がメザシを咥えて走っている動くスタンプが送られて来ていて、すぐにヒナが 「先に入っときなさい、話はしてあるから。」と文字で送ってくる。
そのメッセージを見て、慌てて返信する。
自分 「ちょっと待て!先にって……ここに来たの初めてなんだぞ!それにリコもヒナも2人とも遅れる!?もしかして一緒にいるのか。」
すぐに返事が来る。
ヒナ 「一緒にいるとかいないとか関係ないでしょ」
リコ 「その辺り住宅街だから道場前で待ってたらジロジロ変な目で見られるよ」
そんなことよりだ!この際、人目はどうでも良かった。
自分 「あとどれぐらいで着くんだよ」
またもすぐ返信が来る。
ヒナ 「逆に聞くけど、後どれぐらいだったら待てるのよ?」
自分 「10分とか20分なら待つから早く来てくれ」
ヒナ 「うーん……それじゃー、そっちに行くのに30分以上かかるから先に入ってなさい」
リコ GOGOGO!と書かれたクロネコが5匹部屋に突入する写真のスタンプ。
自分 「それじゃーってなんだよ!それじゃーって!明らかにこっちの都合を聞いて調整しただろ」
ヒナ もう黙れ。と筆で描かれた黒猫が睨みをきかせているスタンプが送られてきて。
リコ 話は終わった。と黒猫がテーブルに肘をつき肉球を合わせてメガネを光らせているパロディー系スタンプが送られてくる。
「コイツらなんで黒猫のスタンプばっかり持ってんだよ!」
どうしても気になった事が、つい声に出てしまう。ご近所に聞かれたのではと口を抑えるが、出てしまった声は元には戻らない。
本当に1人で入らなければならないのだろうか?いや考えるまでもない、何故ならここには自分1人しかいないからだ。
おじさんというだけで世間の目には怪しく映るのに、これ以上この門の前で右往左往していては通報されかねない。
自分は意を決してインターホンを押す。
インターホンからは軽快な音が流れ、すぐに相手の声が聞こえてくる。
「はい、どなたでしょうか?」
声の第一印象は "優しそう" である。格闘をしている人は横柄な態度で喋るイメージがあったのでその点は拍子抜けであった。
「あのー、日向さんからお話し伺っていると思うのですが…」
と、そこまで言うと。「あぁーはいはい聞いてますよ。門を開けるので入って来てください」
そう言うと、門の辺りからウィーンとモーター音が鳴り、ロックがガチャリと外れる音がする。
観音開きの古めかしい門にもかかわらず、遠隔操作でロックが外れる扉?と驚きながら、両扉の片方を開けて中に入る。
扉はギギギと少し重い音を立てて開き、その向こうには道場が正面にあり、道場から母屋に伸びる通路が見える。外から見るより、かなり広々としていることがわかる。
道場からは小さな池のある庭が見え、その奥には縁側がある。道場と中庭の間には、昔は壁でもあったのか、そのような名残が残っていた。
そして今から向かう道場の方からは、カッカッカッ!っと木を鈍く打ち鳴らした様な音が不規則に聞こえてくる。
自分は庭を横目に、道場の扉へと向かう。この扉の向こうの相手としばらく2人で過ごさなければならないと思うと気が重い。
しかし誰もが嫌なことを全て避けて通ることなど出来ないのだ。
自分は意を決して道場の扉を開ける。
「し…しつれいしまーす」
引き戸を開けると玄関の様なスペースがあり、その横には靴箱が、靴は脱いで道場に上がる様だ。
道場内は板張りで玄関より一段高くなっていて薄暗く、縦格子から入る光の中に埃がキラキラと反射して光る。
奥には、木の支柱から上部に3本、下部に1本太い枝が飛び出した様な器具…木人樁が備え付けられていて、その内の一体に向かって、何かを確認する様に手足を様々な形で打ち付けている男がいる。
カッカッ!と大きな音を立てたかと思うと、木人樁の前で息を大きく吐きながら静かに構え直して、その構えを解いてコチラに向き直った。
「おや、お客さんですか」
…おや、お客さんですか?そう言った人物は、小さい丸メガネをかけた細目で細身の男だ。髪は長く背中の辺りでまとめている。
「はっはい、おはようございます」
とりあえず挨拶をして頭を下げるが、お客さんですか…とは?先ほどインターホンから出てくれたのは彼ではないのか?対応してくれた声には似ているが、たとえばインターホンは母屋につながっていて…と頭を下げつつチラリと見えた靴箱のすぐそばには受信機らしきものがある。
先ほど男が向き合っていた木人樁は道場の奥側にあり、この男は入って来てくださいと言って、すぐに木人樁を打ちつけに行った?
何か違和感を感じる、しかしどうして初対面の男がこんな事をするのか理由までは分からない。
「どうぞ、お上がりください。靴をそこで脱いで、そちらにあるカンフーシューズをお履き下さい。サイズは26〜28までなら、そこに並んでいますので」
コレもおかしくないか?スリッパみたいな感じでカンフーシューズを並べて置いておくものか?しかもご丁寧にサイズもバラバラに…何か嫌な予感しかしない。
「はぁ…どうも」
と言って、いつものサイズの靴を選ぶ。履き心地から、それが新品である事がわかる。
履き慣れない靴に気を取られてふと前を向くと、男は目の前にいて、手を出している。握手のサインのようだ。
「初めまして、私は王 悠と申します」
相手の手を取り、こちらも名乗ろうとすると矢継ぎ早に先に向こうが喋り始める。
「あなたは2人に "おじさん" と呼ばれているそうですね、お話は伺っております…」
あの2人は一体どんな事を話してるんだ?と思いながら、ハハハと乾いた笑いを浮かべる。自分同様この人も2人に振り回されていたりするのだろうか?
握手した手を離すと、王さんはざぶんとんを敷いている場所を手で示し「お座りください」と丁寧に案内してくれた。
「それにしても3月までの彼女達は悲惨な状態でして…」
急に話が変わったのでしどろもどろになるが、リコとヒナの話なのか、続きに興味があった。
「高校に進学したあたりから2人はどんどん元気がなくなりましてね。なんとかしてあげられないか?と思っていたんですが…」
王さんは言葉を少し溜めて。
「4月初旬頃からですかね?2人が道場に来ると以前より少し明るくなっていたんですよ」
4月初旬、それは2人の自殺を自分が阻止した頃だ。
「はぁ…良かったじゃ無いですか」
当たり障りのない返事を返した。
「それから、急に2人からおじさんがおじさんが…と、あなたの事を話すようになりましてね」
リコとヒナは自分にシフ…王さんの事を話すように、王さんにも何気ない会話の流れで自分の話をしていたのだろう。
「自分もあなたの事を2人から聞いていました」
そう言うと、にっこり笑った様な細目のまま。「本当ですか、それは嬉しい」と言ったが、何故か少しも嬉しそうではなかった。そして少し黙りこくる。
どうしたのかと、王さんの顔を覗き込もうとすると、細目が僅かに開き、コチラをじっと見つめている。
「しかしね、おかしくありませんか?」
声のトーンも先ほどまでの明るさとは打って変わって、明らかに低くなった。おかしい?どういう事だ、と思っていると。
「急に明るくなった2人、急に知らないおじさんの話、しかも彼女たちに聞いてもあなたとの出会いはどうも濁した様な嘘くさいことしか言わないのです」
王さんは再び視線を外し縦格子から差す光を見つめる。なんだか静かな怒りを帯びた様な気配を感じる。
「あの2人は私の1番2番弟子になるんです。小学校の時から知っていて、私は結婚はしているのですが、まだ子供には恵まれなくてね。あの2人は言わば娘の様に可愛がっているんです」
何を言いたいのか分からず「はい」と言うに止める。
「そんな娘の様な2人が、急に素知らぬおじさんの話、そして元気になった謎の原因……私の立場なら、怪しいと感じると思いませんか?」
そう言ってこちらに再び目線を戻す、もう朗らかに笑ってもいない。
「一つだけ教えていただけませんか?」
王さんは座ったまま身を乗り出し、自分の目の前に顔を持ってくる。そして静かに。
「彼女達とはどの様にして出会いましたか?」
王さんのその静かな威圧感に気圧される。話さなければどうなってしまうのかと考えてしまうような圧。
しかし話すわけにはいかない。自殺しようと屋上に行ったら自殺しようとしていた2人がいて思い留まってもらいました。これは自分の為にも、2人のためにも他人から他人へ話す事ではない。ただ一言。
「言えません」
自分の不器用さが嫌になる。こんな場面で上手に立ち回る人間など五万といるだろう。少なくとも、もう少しマシな言い訳を言えるのではないだろうか。自分にはそれが出来ない。
王さんは、その言葉を聞き顔を背け、肩が僅かに震えている。わかる、これは怒りに震えているのだ。大人のくせに煮え切らない自分に。そして彼は震えを抑え口を開いた。
「そうですか、分かりました。では何も言わなくて良いでしょう。しかし、それでは私は納得できません。だから一つだけお願いを聞いてもらえませんか?」
何がなんでも聞き出されるのでは?と身構えていたので、こうもあっさりと引き下がってくれるとは……しかしお願いとは?自分はゴクリと生唾を飲み込む。
「なー簡単な事です。私と手合わせをお願いします」
格闘技の師範代と未経験者の立ち合い、それは一方的な展開を意味する…それが王さんからの提案だった。
提案と言いつつ有無を言わせない迫力を感じる。ここで2人がやり合ってどうなるのか、その意味がわからない。
「手合わせと言っても、私は蹴ったり殴ったりはしません。ただあなたから攻撃して欲しいのです。私も武術家、拳と拳で語り合いたいのです」
拳と拳で…自分の人生で、そんな言葉を実際に聞くことがあるとは思いもよらなかった。そしてそれが本当の意図かすらも怪しい。武術家同士なら拳の会話が成り立つのもわからなくはないが、自分はドシロート、この拳で何が語れると言うのか。
嫌でも相手を納得させる為には、受けなければならないのか?あの2人が遅れて来た事をこんなに呪わしく思うとは、インターホンを押した時は思いもよらなかった。
「さぁ立って下さい、なにか格闘技はしたことがありますか?」
そう言われながら半ば無理やり立ち上がらせられ、王さんが目の前に一定の距離を置いて構える。
「本当に…本当にやるんですか?格闘技経験なんて体育で柔道ぐらいしかしたことがなくて」
蹴らない殴らないと言われているが、やはり人に拳を向けることは躊躇われる。
「なるほど柔道。でしたら…いいですか、貴方の拳は絶対に私には当たりません。せめて思いっきり打ち込んで来て下さい」
その言葉を聞き少しムッとして相手を見る。王さんは少し内股になり体の正面を自分の方に向けている、そして両手を軽く前に出して右手は喉の辺り、左腕はお腹の辺りで手のひらを縦にし上下に構えている。隙がないかどうかは分からないが、殴りかかるなら前に出した手が邪魔には見える。
「構え方だって知らない」
そう言うと王さんは「構えなんてどうでもいいです。貴方は何かを守りたい時、構えがわからないから殴りかかれないと思いですか?」と言われてしまう。
「それでも…」
何と言われようと自分に出来る気がしない。自分に理由がないからである。
「…分かりました」
そう言い王さんが構えを解く。
「それではやはり話してくれますか?2人との出会い方を…他人であるあなたにお願いしているのは、大人同士の話が出来ると思ったからです。もし教えてくれないのであれば、やはりまた2人に聞かなければなりませんかねぇ。あなたが私に殴りかかる。それが1番平和的な案のつもりだったんですが」
そう言う王さんを見てゾッとする。そのセリフだけで2人に暴力をも辞さない方法を取ると暗に言っているような迫力をたたえていたからだ。
「ちょっちょっと待ってくれ」
慌ててそう言うが、まだ相手に殴りかかる覚悟ができたわけではない。
「はい?なんでしょう」
王さんは実にとぼけた返しをする。2人への暴力を暗に匂わせているにも関わらずこの態度だ。
先ほどの、絶対に当たらない発言もそうだが、この人が自分は好きではないとハッキリと分かった。物事を他人に選ばせる様に見せて、その実、真綿で首を絞める様に外堀を埋め受けざるを得ない状況を作る。
あの2人もあの2人だ。何故こんな蛇のような男を師事しているのか。
どんどんと心の底から怒りが湧いてくる。
「分かりました。貴方の提案を受けます!」
半ばやけになり提案を受け入れる。そして昔見たボクシング漫画の受け売りで相手に向かって身体を斜めに、右手が前で鼻より少し高く構え、左手は口元に構える。
相手はそれを見て「サウスポーですか、面白い」といって、再び先ほどの構えをとる。
自分のこのスタイルはサウスポーなのか、そう言われて初めて知る。お箸を持つのは右、ボールを投げるのは左。自分の利き腕は役割によって変わる。自然に出た構えがそれなら、自分にはそちらが合っていると言うことだろう。
しかし構えて対峙してみるとよりわかる。それは殴ることへの抵抗感だ。
殴られたくないから殴りたくない。今までそう思っていたが、人を傷つけるかもしれない行為自体が本当は恐ろしいのだと気がつく。
いくら腹がたった相手でも、暴力は自分の選択肢ではないと感じてしまう。
「どうしました?やるんじゃないんですか?」
相手は縦に向けた手のひらを仰向けにして指先だけを上下に動かし、早く来いと挑発する。こちらは、どの手で向かうかも決めあぐねているのに。
右の手を軽く前に出す?小手先のジャブもどきが効果があるのか?
それならば、左右を連続で繰り出す右ジャブ左ストレートのコンビネーションか?
そもそもそのコンビネーションは成立するのか?どこを狙えばいい?
拳を一旦強く握り、そして力を抜き相手を見据える。
相手も雰囲気が変わった事を感じ取ったのか、腰をもう一段落として待ち構える。
どうなっても知らないからな!と言う気持ちで思いっきり左足で地面を蹴る、それに連動して腰と肩が回転しその動きが二の腕から肘、拳の先へ伝わる。
真っ直ぐただただ真っ直ぐ絞り込まれ振り抜かれた拳は相手の顔面に目掛けて一直線に到達……
しなかった。
何が起こったのかは正確には分からない。ただ自分の拳は逸れて、同時に自分の顔面に相手の左の拳が当たりそうになっていた。
「あっ、受け身をとって下さい」
そう言われると同時に、自分の顔面に当たりそうな拳は軌道を変え、軽く自分の胸を押す。
先ほどまで前重心だった体が押されて後ろへよろける。右足を引いてバランスを保とうとすると、足が後ろに下がらない。ゆっくりと後ろに倒れる最中に足元を確認すると、そこには相手に踏みつけられた自分の足があった。
咄嗟に後頭部を打たないよう顎を引き背中を丸め、地面に衝突する瞬間右手で地面を叩くようにする。
バチーンと言う大きな音が道場に鳴り響き、自分は、ひさしぶりの受け身が思ったより上手に取れたことに驚いた。
打ちつけた手は少し痛いがダメージはないがすぐには立ち上がれない。
「ちょっと話が違いませんか!足を踏みつけて…攻撃しないって言っていませんでした?」
そう抗議すると。
「蹴ったり殴ったりしないと言いました。実際どちらもしていません」
とそっぽを向いて頬を掻きながら答えた。
自分はのそりと立ち上がりながら。
「いやそれでも話が…」
と言いかけた時に、ドタバタと外からの入り口とは違う、おそらく母屋と繋がっている出入り口の方から大きな足音が聞こえる。
何か?と思いそちらに顔ごと視線を移すと、扉がガラガラと勢いよく開き、怒った表情をした女性が現れた。
よく見るとその後ろにリコとヒナも控えている。
「悠くん!」
そう大きな声を出すと、ずかずか道場を横切り、王さんの所へ一直線に歩く。
それを見て王さんは「はっはい!すいませんすいません」と女性に平謝りする。一体何が…
「謝る相手が違うでしょ!」
もう一度大きな声を出して、頭を下げる王さんの頭頂部を鷲掴み、こちら側へ王さんを向き直らせて、そのまま後頭部を掴む。
「本当に、すいませんでした!」
と女性がいい、王さんの頭をぐいっと押して、彼女も同時に頭を下げた。
自分は何のことかわからず、まして初めて会った人に頭を下げられる意味を把握できずにいると。
「どっどういう…」
そこまで言うと、女性が矢継ぎ早に話始める。
「手を出さないと言っておきながら、悠くんが興奮してしまいつい手を…あまつさえ足も出してしまったこと、本当に!申し訳ありませんでしたぁ!」
頭を下げたまま女性がそう言い、王さんの頭をさらに深く押し込んだ。やっと理由に合点がいく。が、どうしてその事を知って…。
「おじさん大丈夫だった?怪我ない?」
リコが少し心配そうに自分のほうに駆け寄る。あまりの状況に呆気に取られ「あ…ああ」と返事を返す
「上手に受け身取れてたから大丈夫でしょ」
ヒナがつまらなさそうにそう言いながら、木人樁の方に近づき、そのでっぱった腕に取り付けられたスマートフォンをバリバリと剥がしていた。
なるほど、どうやらあのスマートフォンのカメラから、こちらの状況は逐一確認されていた様だ。
「いや、こちらも怪我も無かったですしいいんですけど…」
そう言って遅刻すると言っていたリコとヒナの方をチラリと見て。
「この状況を説明してもらえたらぁ…」
どうやら一連の出来事は、王さんの画策らしい。
リコとヒナは王さんが道場を継いでから初めての門下生という事、娘の様に思っている事等は本当らしい。
そして、その2人が男を連れてくると言い出し。どうしても30分だけ男同士で話をさせてくれないか、と王さんが懇願したそうだ。
妻である稲穂さんは、王さんの集中すると周りが見えなくなる事を懸念し断固反対していたそうだが、リコとヒナが面白そうと言い出し、監視下と言う条件でこの対面が実現したようだ。
「で、どうだったの?」
説明を聞いていると、みんなの目の前にはお茶が運ばれてくる。お茶を配り終えた稲穂さんが王さんに話しかけた。
「思った以上に不器用な人…他人を騙そうとか陥れようと言った事とは無縁の人物。そして………まっすぐな人だと感じました。良い人かどうかは分かりませんが」
そう言って目の前にあるお茶をズズズとすする。
「ふーん、じゃー良かったんじゃないの」
稲穂さんはそう言って同じくお茶をすする。
「はい」
王さんはつまらなさそうに湯呑みを目の前に置いた。
「おじさん…あっおじさんは失礼か、じゃーオジ君でいいよね、2人からそう聞いてるから、それで慣れちゃって」
稲穂さんは、さも当たり前のように自分をおじさんと呼ぶ。
リコとヒナはお互いの腕を絡ませてぐるぐる回す訓練?のような事をしている。
「2人は中学まで同じ学校だったんだけど、高校で別々になってね。だからか分からないけど、そこから2人ともどんどんどんどん沈んでいく…そう沈んでいってる様に見えたの。道場で一緒にいる時は明るく見えるんだけど、悠くんも稽古で何か感じてたみたいで」
リコは木人樁に向かって手足を打ちつけ、ヒナがそれを後ろから見守り、たまにちょっかいをかけて笑い合っている。
「それでこないだの3月の末。2人が道場にきてね。いつも通り鍛錬するんだけど、リコちゃんもヒナちゃんもポロポロポロポロ泣き出しちゃって、ほんとどん底って感じ。どうしたの?って聞いても分からないって………」
稲穂さんの方をチラリと見ると、少し寂しそうに視線で湯呑みの水面を眺めクルクル回した。
「そんな事ってあるよね。自分の中で整理できてなくて感情だけが溢れ出すときって」
そう言って湯呑みから視線を上げ遠くを見てため息をついた。
「はがゆかったな、何もしてあげられない自分達が。その点オジ君は上手い事やったみたいね」
稲穂さんは木人樁の辺りでキャッキャと騒いでいる2人を見る。
「自分も同じです。彼女たちに何かをしてあげる事なんて…ただ」
自分も2人の方に視線を移してあの時の屋上を思い出す。
「多分、タイミングがよかったんです」
その言葉を聞くと、稲穂さんは呆気にとられたような顔を一瞬して、直ぐにあっはっはと豪快に笑う。
「不器用で真っ直ぐ。今回の見立て当たってんじゃないの?」
そう言いながら王さんの肩を豪快にはたき立ち上がった。
「私はこれから仕事で行かなきゃ」
「仕事?」
今日は休みでは無かったのか?とふと疑問に思い、そう口走ってしまう。
「そっ、だって私も気になるじゃん、2人がどんなおじさん連れてくるんだろうって。半休もらいました」
大きく伸びをしながら「悪い人じゃなさそうで良かった」と独り言のようにつぶやく。
「じゃー行ってくるねー」とみんなに手を振り母屋と通じる扉の方に向かう。
「あれ、今から仕事行くの?休んじゃえば良かったのに」とリコが声をかけヒナは「先生が甲斐性ないから」と失礼な事を言い。稲穂さんはアハハと笑って道場を後にした。
稲穂さんがいなくなって、王さんと2人になると気まずい空気が辺りに漂う。
狭量かもしれないが先ほどのこともあり、一度苦手と感じた相手に何を話して良いか分からずにいた。
「先程は…ホンットに申し訳ありませんでした」
王さんが口を開くや、両手を両膝に乗せて頭を下げる。そしてこちらが返答する間もなく続ける。
「私も不器用で、あんな方法でしか確かめる術を思いつかなかったんです」
あんな方法、と言うのは拳で〜と言う奴だろうか。
「昔から親に格闘技を習ってきたもので、それ以外はからっきしでして」
はずかしそうに頬を掻く、恥ずかしい時にそうするのはこの人の癖らしい。
「怒らす様な事も言ってしまいました。それも含めて、本当にすいませんでした」
再び深く頭を下げて、その態度から上辺だけでなく本当に反省している事が伝わる。
思ったよりもイヤらしい人間ではないのかもしれない。
「いえ、そうでもして貰わないと、自分も踏ん切りが付かなかったと思います。それでも怖かった」
自分の手を見ながら、その時の感覚を思い出す。
自分は本当に相手を殴ろうとしたのだ。そう思うとブルリと体が震え、恐ろしい感覚になった。
視線を感じ顔を上げると、王さんがこちらを見て微笑んでいた。
「先ほども言いましたが、私は幼い頃から格闘技を親に叩き込まれました」
ありし日の光景を見る様に、王さんは道場の真ん中に視線を移す。
「最初は親に祖父に兄に褒めてもらえるのが嬉しくて始めた格闘技でしたが、次第に上達する事が楽しくなってきましてね。自分で言うのもなんですが、メキメキと上達して行きました」
格闘技のことはわからないが、楽しいと思えることに打ち込めている時の夢中になる感じは分かる。王さんの場合はそれが格闘技だったと言う事なのだろう。
「しかしある時に気が付きました。道や礼儀を教え込む…と言っても格闘技はつまるところ暴力装置であり、それを扱うのは人間だと言う事を…」
王さんはとても暗い顔でそう言い、下を向いた。
「恵まれた肉体や研鑽した技を持ちながら暴力に頼らない事、これが本当の強さです。しかし、人は手に持った武器を使わずにはいられない」
身を守るために武器を持つ、それが悪いことなのか自分には分からない。ただ教える立場としてなら、自分の教えた技術を間違った事に使ってほしくは無いと思うだろう。
何故道場を継いだんですか?
何かあったんですか?
間違った使い方をされると怖くは無いですか?
貴方はどうなんですか?
たくさんの質問が思い浮かぶが、今はそれを質問する気にはなれなかった。
「貴方が "怖い” という感覚を持つ人で良かった」
怖いと思う事は弱さだ。
自信のない人間が筋肉をつけた事で自信を持つ様に、怖いというのは自信の無さの現れだ。
それを肯定される事は、自分にとって複雑であった。
「おじさんシフと何話してるの?」
いつの間にかリコが目の前までやってきて、体を斜めに倒して自分を覗き込んでくる。
「シフ…そうか、師父って事か」
今更ながら、シフという呼び名の意味がわかり、喉に引っかかった骨が取れた時の様な清々しい気持ちになる。
リコは今更何言ってんの?と言った顔で目をまん丸にしている。
「そうなんです、この子達は私の事を師父と呼んでくれるんですが、他の門下生は王先生とばかり呼ぶんですよ。良かったら貴方も師父と…やっぱりやめときます」
そう言って王さんは立ち上がる。
「リコさん稽古を付けてあげましょう。最近2人はサボり気味ですから、なんならヒナさんと2人がかりでもいいですよ」
リコがそれを聞くと「やったー」といいヒナの方に走っていく。
王さんもその後を追おうと進もうとして何かを思い出した様に振り返る。
「それと、貴方には格闘センスがありませんので、今後も穏便に過ごされた方がいいですよ」
と言い残し2人の元に向かう。
それを聞きポカン間抜けな顔になっている自分に気がつく。
3人は道場の真ん中で何かを話している、それを見ながら。
やっぱりあの人は嫌いだ、と苦笑がもれた。
王さんの道場はもともと親のやっていた琉球空手道場でしたが、家庭内看板破りにより中国拳法の道場になりました!




