純喫茶さぼうる
喫茶店で待ち合わせ。
月曜日の日暮前。と言ってもまだ空は青く、もう少し時間が経てばオレンジ色に変わりだす様な時間帯。自分は2人との待ち合わせ場所である喫茶店"さぼうる"の扉の前まで来ていた。
待ち合わせの時間は17時という事だったが、そこは大人である。今はまだ16時だ。少し早過ぎるのは約束の時間をオーバーしたらと不安になるためで大人とは関係ないが、早めに来ているのはゆっくり過ごしたいと言う大人な自分への配慮からでもある。とは言え家の最寄り駅付近にある喫茶店といえどかなり早めに来てしまう。どうしようもない性分だと自分でも思ってしまう。
アレからアプリで何度か連絡を取り…と言っても、リコが一方的に送ってくるメッセージ。例えば、今日学校の授業ずっと座学だから気怠い、、、体育したい。や、リコの家で飼っている黒と白の2匹の猫。ユドウフとタンバの写真等々。なぜこのグループメッセージに送ってくるのか謎の、本当に他愛もない話だ。
他愛もないメッセージとはいえ、返信は比較的に楽ではあった。
普通女子は体育がある方が嫌なんじゃないのか…。何故、湯豆腐と丹波なんだ。白猫は豆腐でいいし黒猫は黒豆で良くないか?等ツッコミ所の多い話を振られることが多い気がする。もしかして気を遣ってくれているのだろうか?
カランカランカラン
軽快なベルの音を立てて開いたドアの向こうには、パスフリーブで7部丈の白いブラウスに大きな黒色のリボン。細い黒色のベルトに黒いスカート、黒くて大きめのローファーを履いた長身細身で眼光の鋭い女性が待ち構える様に立っている。
「いらっしゃいませ」
やうやうしくお辞儀をする頭は長い黒髪を上手にくるくるとまとめていて清潔感があり、低めの声も鋭い眼光の女性にピッタリの雰囲気で様になっていた。それだけで非日常の空間を感じさせ、慌ただしい現代社会から隔絶された空間に来た事を感じさせる。
店内も落ち着いたウッド調て統一された内装に、間接照明で明る過ぎない落ち着いた雰囲気を演出している。
老舗と聞いていたので、間接照明は比較的近年導入された物だろう。最近まで間接照明という言葉自体一般的に知られてはいなかった。少なくとも自分は知らなかったので。おそらく、この喫茶店の店主が、来店するお客さんの落ち着ける空間を提供するために新しいものにも目を光らせ、くつろげる店内をデザインする為に尽力している証拠ではないだろうか。
「何名様でしょうか?」
自分は今明らかに1人ではあるが、マニュアル通りなのか店員の女性がそう尋ねる。しかし、最初にこう質問された方がこの後のやり取りがスムーズになるのでありがたかった。
「3名なんですが、2人は後で来ます」
「かしこまりました。それではこちらはどうぞ」
そう促され後をついていくと、個室ではないが木の柵で区切られた半個室の様な席へ案内される。
店内には窓側にオープンなスペースの明るいテーブルがいくつかあり、その奥、窓が無くなった辺りから太陽が出ていても少し暗めの半個室が見ただけで4ブースほどある。一緒にこの場に来ていないことや、相手の年齢。外からの見栄えの良さも加味して席に案内しているのだろうが、この後リコ達とお金のやり取りをしなくてはならないのでこの店員さんは接客においてかなり慧眼を要しているのではないだろうか?
鋭い目をしているだけの事はあると思う一方、窓際にうらびれたおじさんを座らせていても映え無いので奥に案内されただけと言う可能性もなくは無いが、その点は無視することにする。
「こちらのお席でよろしいでしょうか」
あっ、はい。と返事してその席へ腰掛けると、メニューが目の前に差し出される。
「ご注文がお決まりになられましたらお声の方お掛けください」
そう言って軽くお辞儀をして、くるりと踵を返した。
「あっすいません。一つ教えて欲しいのですが、ここのコーヒーのミルクは牛乳ですか?それともポーションですか?」
変な質問をしている事は自分でも分かっているが、昔コーヒーをブラックで飲み過ぎて胃を痛めた事があったので、それ以来ブラックコーヒーは極力避ける様にしているのだ。かと言ってポーションはほぼ油と言う話しを誰かから聞いて以来使う気になれなかった。牛乳があればコーヒーを頼むが無ければコーヒー以外の何かを頼むつもりだ。
店員さんは。はい、と言い再び踵を返した。
「当店は牛乳をミルクポットに入れて提供させていただいております、他にも何かご不明点はございませんか?」
他には特に不明点は無かったし牛乳が提供されるのであればコーヒーを頼むつもりなのだが、好奇心からもう一つ質問をしてしまう。
「あっそれなら、このお店のおすすめとかある?」
そう言い切ってまずったと思う。飲み物の中でお勧めを尋ねたつもりだったのだが、この言い方だと食べ物も含まれてしまう。と言うかまず食べ物をお勧めされるだろう。別にケーキとかサンドイッチが食べたいわけでは無いのだ。質問した手前、言われたお勧めを注文しないのは失礼な様な気がする。
「それでしたら、紅茶がお勧めです」
意外な答えに驚きが顔にそのまま投影される。
「紅茶ですか」
恐る恐るそう質問する。
「はい、店主が少し前にコーヒーの飲み過ぎで胃を痛めたらしく。それ以来、紅茶に凝り出して最近紅茶のメニューも増えてきたんです」
どこかで聞いた様な話しだ、と店主に少し共感しつつ、それで店のメニューに追加する程入れ込んだ店主のバイタリティに感服し"うへぇ"と落語に登場する間抜けな登場人物がしそう相槌が自然ともれた。
「それじゃー、お勧めの紅茶とかありますか?それを注文しようと思うんですけど」
別に紅茶は好きでも嫌いでも無いが、それならば。と言う気になっていた。
「はい。それでしたら、ダージリンがお勧めです」
そうハキハキと答えてくれる定員さんに促されるまま、じゃーそれでお願いします。と言うと、かしこまりました。と三度踵を返して厨房の方へと去っていった。
入店した当初は目つきの鋭い定員さんの雰囲気に、少しとっつきにくい印象を持っていたが。業務内容とは言え、話してみると案外とそうでも無いのかも知れないと感じた。
しばらくすると、紅茶が小さめのティーポットに入れられて運ばれてきた。
ティーカップで出てくるものとばかり思っていたので、その付加価値に少し驚く。今まで何度か喫茶店で紅茶を頼んだ事があったが、この形状で出てきたのは初めてである。店主は何にでもこだわる気質のようだ。嬉しい誤算である。
「ダージリンティーで御座います。こちら茶葉をお出しする時に置いておくお皿でございます」
そう言ってお盆の上からティーポットと空のティーカップ。茶葉を置いておくお皿をテーブルの上に並べる。
ティーポットの中には未だ茶葉が入っていて、後でそれを出す仕組みの様だ。確かに小ぶりなティーポットとは言え2〜3杯程度は入りそうな容量がある。そのまま茶葉を入れていても良いのだろうが、紅茶が苦味を増す事は想像に難く無い。
店員さんはまた業務へと戻って行く。
自分は早速、紅茶をティーカップに移し一口飲む。
うむ。分からない。
これが美味しい紅茶かどうかが分からないのである。正直に言えば今まで飲んだお店の紅茶と何ら変わらない気がするが、強いて言えば香りが強い様な気がしなくも無い。しかし紅茶の濃さは十分と感じられたので、茶葉の入った円柱形の茶漉しをティーポットから取り出してお皿に置いた。
ピコーンと電子音を響かせてスマートフォンが鳴る。
確認するとリコからのメッセージだ。
“私達もうすぐ着くけど、おじさんはどう“
思っていたより早い到着だ。彼女達も待ち合わせの時間より早めに現地に到着する性分の様だ。
“もう中にいる。入って奥の柵で仕切られた所に座ってる“
すぐに返事を返してもう一口紅茶をすする。
“何、柵で仕切られた所って。おじさんチンパンジーみたいになってるの“
ヒナは相変わらず突っかかってくる。しょうもない煽りをしてくるので。ウホウホ!と返事しておいた。すると"ウケルんですけど"と書かれたギャルの絵が返信されてきた。どことなくリコに似ているその絵は、簡易的に返事を返す際のスタンプと呼ばれるものだ。そして、今すぐ向かいますとギャルの走る絵が描かれたモノが連続で送られてくる。
自分はもう一口紅茶をすすり。美味いな、と独り言を呟いた。
程なくして誰かがこのお店に出入りした合図であるカランカランと言う鈍い鈴の音が聞こえてくる。
「あの、3人なんですけど。1人はもう来てるみたいで…」
入口の方からそんな声が聞こえる。間違いなくリコの声だ。
「はい、それでしたらこちらへどうぞ」
先ほど案内してくれたウェイトレスの女性に促されてリコとヒナがこちらに向かってくる足音が聞こえる。
先ほど案内してくれたウェイトレスさんが対応してくれたから良いものの、もし違うウェイトレスやウェイターさんだったらどうなっていたのだろう。と、どうでも良い事を考えている間に席まで制服姿のリコとヒナがやって来た。学校帰りなので当たり前だがあの時と同じ制服姿だ。
「わぁ、何おじさん。もう頼んじゃってるじゃん」
「しかも長居する気満々でティーポット持って来てもらってるんじゃないのアレ」
「ホントだー、おじさん紅茶好きなの?」
急に騒がしくなる店内に、すいませんとウェイトレスさんに謝り。
「ほら静かにしろ、わぁわぁ騒ぐ様な場所じゃ無いだろ。それに紅茶を頼んだらティーポットで持って来てくれるお店なんだよココは」
少し声のトーンを抑えて注意する。
「またシフみたいな事言って。はーい」
シフと言うのが誰かは知らないが、自分と同じおじさんであるらしき事は分かっている。シフと言う人も2人に…と言うかリコにはなかなか苦労している様だ。
「でもでもティーポットで持って来てくれるのお得じゃん、なんか雰囲気もあるし。私も紅茶頼もっと」
「リコが紅茶にするなら、私も紅茶にする」
2人は素直に少し声のトーンを落として、立ち去る前のウェイトレスさんに紅茶お注文した。そして、リコはおじさん奥行ってと言い自分の横に、ヒナはリコの向いに座った。
何故隣に座ったのか。この半個室の様なブースの出入り口はリコとヒナが座っている側にしかなく、自分の座っている場所は柵に覆われ袋小路になっている。自分を逃がさない様に出口を塞いだのか?変な勘ぐりをしてしまうが、まぁそんな事はないだろう。
テーブルには3つのティーポットに3つのティーカップ。そして3つの茶葉を置いておくお皿と1つのミルクピッチャーと角砂糖が入った瓶が置かれた。リコはミルクティーにした様だ。そう言えば、使うつもりもなかったが自分の時は角砂糖の入った瓶は持って来てもらえなかったのは何故なのだろう。砂糖使わない顔でもしていたのだろうか?
「コレってミルク先に入れるのかな?」
誰にでも無くそう呟くリコ。
「先に紅茶、砂糖を入れるなら角砂糖を溶かしてからミルクがいいんじゃ無いか」
正式な順番は知らないが、紅茶にミルクを入れて少し冷める前に角砂糖を入れた方が解けやすいんじゃないか、と言う判断からだ。
「なるほど」
リコは紅茶を凝視しながら真面目な顔でそう言い、ティーカップに紅茶と砂糖を入れて少しかき混ぜ、ミルクを継ぎ足した。ミルクを少し継ぎ足しては味見をし、また少し継ぎ足すを繰り返している。なかなか思い通りの味にならない様だ。
ヒナはと言うと、その向かいで背筋を伸ばしてストレートで紅茶を嗜んでいる。相変わらず佇まいが美しいので見惚れそうになるが、この女の本性を知っているのでスグに目線を切った。
その姿をリコに見られていたらしく。ヒナおじさんに見られてるよ、と告げ口された。ヒナは。キモ、と一言。そう言う性格だからすぐに目線切ってんだろうが、と激しく思ったがそれを口には出さず。見てませーん、自意識過剰じゃ無いですか?と返しておいた。するとまた。キモ、と同じ言葉が返ってきた。こいつ無敵かよ。
気を取り直して今日の目的に話を移す。
そう、今日は週に一回会い2人に5万円を渡す日だ。一応予備でもう2万円ずつ。そして食費やなんやあった時のために5万程持って来ているが、今日は渡して解散だろう。その割に2人共、ポットの紅茶を頼んだのは気になる所だが、まぁ少しまったりする程度どうと言うことはない。なんせコチラは予定など皆無なのだ。
「それでは早速、コチラが約束のブツにございます」
わざとらしくそう言いながら茶封筒に入ったお金を渡す。リコはそれを。あざーす、と受け取り。ヒナは、無言で受け取り各々のカバンにしまった。
おいおいおい、警戒心がなさすぎる。こんな身知らずのおじさんの茶封筒をなんの疑いも抱かずにカバンにしまうやつがあるか。
「待て待て待て。信用してくれている様なのは嬉しいが確認しろ確認。大事な物が入った封筒渡されたら中身の確認をするのは当たり前だ。書類とかでもそうだろ、渡される書類とは違うものが入っているなんて事はザラだからな。もし相手の目の前で封筒を開けづらい場合は失礼しますとか言ってだな…」
そこまで言って、なぜ学生である彼女達に書類の入った封筒の例えをしているのか…と思い立ち。言葉に詰まる。
「なになに、またシフみたいな。おじさんはシフなのか?」
リコがまたシフという人物の名を口にする。誰だよシフって。そして。シフよ、もっと2人に常識を教えてやってくれ。
「今のはちょっと、シフっぽかった。シフの方がカッコいいけど」
カッコよさは関係ないだろと思っている間に2人共カバンから封筒を取り出し中身を確認する。根は素直なのだ。たぶん。
「ちゃんと入ってるじゃん」
「だから、それを確認するために中身を確認して…いや、もういい」
言いかけて何をムキになっているんだと気が付きそれ以上の問答を一旦やめておくことにする。
「コレで今日の要件は終わりだな。紅茶お飲み終わったら俺はお金を置いて出て行くから、2人はゆっくりやってくれ」
そう言い、目の前にある紅茶をググっと飲み干すが。ティーポットにはまだ一杯分程余っていたのでそのまま立ち去るような勿体無い事は出来ずにいた。
2人はググッと飲み干した自分がお金を置いて出ていかなかった事に少し変な顔をしてコチラを見ている。
自分は素知らぬ顔で、ティーカップに最後の紅茶を注ぎ込んだ。
「いやいやいや!今のはズバッと出て行くタイミングだったでしょ完全に」
ヒナが大袈裟に顔の前で手を振りながらそう言う。
まぁカッコが付かない行動だったのは認めるが自分にも自分の言い分があった。
「まだ紅茶が残っていたんだ、しょうがないだろ」
あまりに稚拙な理由に少し恥ずかしくなる。豪胆な人間なら、いくら紅茶が残っていようがこの場を後にするのだろうが、残念ながら自分はそうではない。
紅茶を残してしまっては、せっかくお勧めしてくれた店員さんや紅茶好きのマスターに悪い。それがまずい紅茶であれば、意思表示として残して出て行く事もあるだろうが、この舌バカの自分でもなんとなーく美味いと思えるものだったので、それを無碍にする事は出来ない。そして何より自分は勿体無い症なのだ。
「勿体無いもんねぇ」
リコが紅茶を啜りながら自分の真芯をつく言葉を発する。
「貧乏性ね」
ヒナの言うコレもまた事実だ。
「でもおじさんこの後も特に予定ないの?」
さっさと退室しない自分の行動を見て、リコがそう問いかけた。
勿論この後の予定など皆無だった。あるとすれば2人の自殺の理由を探る事だが、あまりこちらからガツガツと聞いてはキモイオヤジになりかねないので今日は受け渡しだけで帰るつもりであった。
「あぁ、今日は特に予定はないが」
「じゃーさ。コレから私達はカラオケ行くけど、おじさんも一緒に行く?」
カラオケかぁ、そう言えば最近カラオケ行ってないなぁ…って、なんだ?今、自分はカラオケに誘われたのか?女子高生とカラオケ。マジか?出会って3日、よく知りもしないおっさんをカラオケに誘うか?彼女達は今潤沢な資金を手にしているハズだ。奢りやたかり目的でわざわざ自分をカラオケに誘う必要はないはずだ。それにカラオケに行くには一つ懸念があった。
「ちょっとおじさん、驚いた様な顔してどうしたの。カラオケ行くの?行かないの?」
そう横にいるリコにせっつかれる。
「いや、時間はあるしいいんだけど。ヒナも自分がいて良いのか?」
向かいに座っているヒナを横目に見ながらそう問いかける。ヒナは腕を組んでムスッとした表情をしていたが。別に良いんじゃない。とぶっきらぼうに答えた。あまり良くはないらしい。
「そうそう。昔から最近ヒナとばっかり行ってるから歌う曲一緒でマンネリなんだよね」
リコがヒナの方を向いて同意を求める。
「まぁ私はリコと2人だけで良いんだけど、リコがそう言うならたまには誰か混じっても良いかな」
ヒナの顔は、あまり良さそうな表情をしてはいないが。リコが言うなら仕方ないといった所だろう。
「それじゃー決定、今からカラオケ屋にゴーだ!」
そう言ってリコが目の前の紅茶を飲み干し、立ち上がる様な仕草をしてから立ち上がらず。ティーポットに残っている紅茶をティーカップに注ぐ。
「おじさんのオマージュ。勿体無いもんね」
と言って、へへへ。と笑った。
特に語る事はありませんが。ティーポットで紅茶を出してくれるお店は好きです。




