さよならラブホテル
人生初のラブホテルは。想像をだにしない体験になりました。
リコの使用した枕を間違って吸ってしまったせいで、リコとの間に微妙な空気が流れている気がする。
自分は椅子に座った状態で、自分の枕を抱き抱え少し顔を埋め、そうとバレない様に自分の匂いが残っている枕を大きく吸い込んだ。
はぁ、落ち着く。
枕から顔を上げると、その一連の所作をヒナはまじまじと見つめていた。そして、嫌そうな顔をして。
「はぁ?おじさんなに枕の匂い嗅いでるの、気持ち悪いからやめた方がいいよ」
バレて…いましたか
指摘された事で3人に更に気まずい雰囲気が流れたが、ピンチはチャンスである。リコの枕を間違って吸ってしまった事への多少の言い訳を今ならねじ込めると、変態他人の枕吸いおじさんの汚名返上作戦を敢行することにする。
「これは、子供の時からの癖でな。自分の匂いってなんだか落ち着くだろ。それでついやってしまった」
リコの方を伺いながら、枕を吸うのは自分の匂いで落ち着くための癖で、アレは枕の取り違えによる不幸な事故なんだよ。と言う事を暗に示唆する。
「癖かなんか知らないけど、人といる時はやめな。はしたないから」
ヒナが少し可哀想な子を見るような顔でこちらを見る。全くその通りである。一言。はい。とだけ答え頷いた。
肝心のリコは、何も言わずにブランコから立ち上がり、畳んだ掛け布団の上に置かれた枕を手に取り、そこに顔を埋め大きく息を吸う。
いやいや、一体何してるんだ。と自分が言うのもおこがましいが。この、"はしたないよ"のタイミングで枕を吸うのは違うだろ。
リコは枕から顔を上げて、納得がいかないのか首を傾げる。
「こらリコ。やめなさい」
ヒナが冗談っぽくリコを叱りつける。
リコは怒られた事を恥ずかしそうに、えへへと笑って誤魔化し。
「でもヒナも吸ってみたら、確かに自分の匂い落ち着くよ」
そう言って枕をヒナの方に差し出した。ヒナは少し躊躇した後、何かピンと来た様な表情をして。
「いやいやいや、流石に枕を嗅いだからって落ち着くわけ無いでしょ」
顔の前でオーバーに手を振り、予定調和の様な喋り方をして枕を受け取る。こんな事で落ち着くなら精神安定剤とかいらないからね、などと言いながら枕に顔を埋めて大きく吸い込む。
「ホンマや!」
枕から勢いよく顔を上げリコの方を向き、驚いた様な顔と大きな声でそう言い。2人でアハハと明るく笑い合う。
コイツら、自分の精神安定剤を散々コケにしやがる。
「でもヒナ、その枕使ってないじゃん」
リコは笑いながらヒナにそう言うと。ヒナはまた、ホンマや。と言って驚いて見せ、2人は綺麗に整え直したばかりのベットの上で文字通り笑い転げた。
2人のノリ的なやり取りなのだろうが、完全に馬鹿にされてしまっていることに少し腹が立つ。
「で、ヒナどうだった。枕から変な匂いとかしなかった?」
リコはひとしきり笑い転げた後、ヒナに枕に付いた自分の匂いを訪ねる。何故そんな質問をするのか。もしかして乙女は匂われたことより、嗅がれた香りが変な匂いかもしれない事の方が気になってしまう生き物なのか。
「え、何それ。リコの匂い私大好きだよ。ほらいい匂い」
「キャ」
そう言ってヒナはリコに抱きつき、クンクンとお腹の辺りを匂う仕草をする。いや実際大きく吸い込んでいる。
どうでも良いが、見ず知らずのおじさんが目の前にいる事は把握しているのだろうか。完全に2人の世界だ。スカートが派手にはだけて太ももがあらわになっている。凝視していて、また文句を言われても面白くなかったので、すぐに目を逸らした。
「そうじゃなくて、変な匂いはしなかったのって聞いてるの」
リコがしつこく枕の匂いについて言及するので、ヒナも燻しげな顔をして少し考る様に右上を向く。
「そだねー、いつもとは違ったけど変な匂いじゃなかったよ」
ヒナがそう答えると、リコは。そっか、と安心した様にブランコの方に戻った。
結局何の時間だったのか。先程考えた通り、自分に吸われた枕が変な匂いだったら嫌だったのだろうか。もしかしたら、このタイミングでヒナに告げ口されるのではとも身構えていたが、この話はそれで終わった様だ。
「それで、お金の受け渡し方法はどうする」
自分から話を切り出す。早く帰りたいと言う気持ちもあったが、お金の話は2人からは切り出しにくいだろうと言う配慮からだ。
「それな」
それな。という言葉遣いが流行っている昨今だ。お前ほんとに分かってるのかよ、と言う言葉も"それな"とさも知っているように返事をするのであまり好きな言葉では無いが、流行っていれば使ってしまうのが若者である。あまり目くじらを立てても仕方がない。
「昨日私達で話し合ったんだけど。あまりの大金を銀行に振り込まれても困ると思うの」
ヒナがリコに続いて事務的に切り出す。言わんとする事はごもっともだ。本来なら贈与税かなにか、良く分からないが大金の受け渡しは課税対象になるはずだ。その証拠を銀行振込等のデータとして残しておきたくは無いのだろう。
「かと言って、大金を手元に置いておくのも、もし見つかったりしたら面倒だなって」
言いたい事はわかる。しかしそうなると、どのような方法がベストであろうか。700万と言うのは大金だし、最終的にはそれを2人に受け渡す事になる。彼女達の手元には2人で割っても350万を手にするのだ。銀行に振り込みも不可、自宅や手元に置いておくのも不可となると手詰まりではないだろうか。
「だからね。週に一度5万円ずつを2人に手渡し。その他に呼び出した時に2人に2万円ずつ手渡し、私達に会っている時の支払いはその700万からおじさんが払って管理。私達から要望があれば、その額を持ってくる。と言う方法はどう」
めんどくせぇ。
それがこの提案を受けた最初に考えた事だ。自分は相手に呼び出されたりするたびにお金を用立てなくてはいけなくて、必要に応じて持ち出さなければならない。相手が何を買うかも分からないし、毎回そこそこの金額を持ち出す事になりそうだ。そうなると金額はお金の管理がかなりめんどくさく無いか?それに、毎週1度会って5万、もう一度会って2万。それが2人で14万。1ヶ月が4週として56万。仮に2人に会っている間の支払いを自分がするとしても。よほど高い物を買たりしない限りは、10ヶ月は返済に掛かるのではないだろうか。返済と言っても借金では無いのだが…。その点については2人はどう考えているのか。そして、その期間は自分にとっては、かなり困る事になる。
再就職を考えていない自分の手持ちが、今の生活態度のままなら半年程しか持たないからだ。
自分はすごく嫌そうな顔をしていたのだろう。リコがこちらを見て指を刺して笑った。
「おじさん、めんどくさそうなの顔に出過ぎー。でもお願い。この方法じゃ無いとダメなの、ね」
そう言って手を合わせる。何がどう駄目なのかは分からないが、2人には2人の都合があるのだろう。それは自分と言う金ずるを逃さない為に考えた案なのか、それとも他の意図があるのかは分からないが、呑み込む部分はそうせざるおえない。しかし、どうしても飲めない条件がある。それは、何もしなければ1年近くの時間を要すると言う部分だ。
「その方法だと700万を渡すのによほど高い買い物をしたりしなければ1年近く掛かってしまうがいいのか」
まずは確認だ。相手は高校生だ、こんな単純な事に気がついていないわけでは無いだろう。もしかしたら2人はもうお金の使い道を決めていて、そこまで時間がかかると思っていないかもしれない。
「一年近く…まぁそれは大袈裟だけど10ヶ月ぐらいはかかるかな。でもおじさんには色々としてもらいたいこともあるし、それでいいの」
10ヶ月はこのダラダラとした関係を続けるつもりがあるようだ。このひなびたおじさんに一体何をさせるつもりなんだ。
「ある程度の言う事は聞いてやるが、犯罪に加担したりはしないし、怪しかったり出来ないと思った事はきっぱりと断るぞ」
一応、悪い事には手を貸さないと念を押す。
「わかってるよ、私達がそんな事させる人間に見える。こんなにか弱い乙女だよ」
リコがわざとらしく顔の横に垂れている髪の毛を口で咥えて見せた。
良く言う、女子高生を連れてラブホテルに泊まる事も十分犯罪だという事をすっかり忘れてしまっているようだ。
「わかった。だけどこの方法ではあまりに時間がかかりすぎる。でも君達の一度に大金を手にすると不安と言う部分も分かる。そこで提案だ。この関係は半年までにしないか。今が4月だから10月迄その方法で、10月になれば残りの金額がいくらだろうと一度に受け取って欲しい。それと大きい買い物がある時は事前に予定を打ち合わせてくれなければ困る。それと…君達と同行中に発生した支払いは、自分の分を奢って欲しい」
700万の管理方法として、その額を家に置いておき、必要に応じて持ち出す、と言う案が残金の管理として1番楽だと考えたので、そう提案する。最後の奢ってくれは、半年間を手持ちの700万を除いた貯金で賄わなければならない事で、高級寿司屋等で飯を食べられて。自分の分は自分持ち、となれば手痛い出費になる事を想定しての予防措置だ。
リコは少し考える様に腕を組んで天井を見上げ、すぐにコチラに向き直る。
「分かった、その条件でいいよ」
最後の部分。奢ってくれの部分で何か言われるかと思ったが、意外とあっさりと受け入れられた。
「それじゃ、連絡交換しましょ。ほら、早く携帯電話出して」
ヒナがそう言って連絡先交換をする。
「あぁ、君達の事は何と呼べばいい。君達が呼び合っている様にリコとヒナでいいのか」
連絡先に名前を入力する段階で、そう言えば2人の名前をまだ呼んだことがない事に気がつく。いや、一度。リコを助け上げる際に2人の名前を呼んだ様な気がするが、状況が切羽詰まっての事態だったのであまり記憶が定かではない。そんな訳で、改まって2人をどう呼べばいいか一応確認してみる。数時間前にフルネームを盗み聞きした気がするが、それもちゃんと覚えていなかったので改めて確認するが、自分の中ではリコとヒナで定着してしまっているので、その呼び名のままだとありがたい。
「私はリコでいいよ。おじさんも昨日そう呼んでたし、そのままでいいよ」
自分は分かったと頷くが、ヒナがリコに向き直り。
「え、やだよ。リコって言うのは私だけ」
話をややこしくしようとしてくる。確かリコと言うあだ名はヒナが付けた様な話しだったので、何かこだわりがあるのだろう。
「うん、でもおじさんもヒナが私を呼ぶ呼び方で覚えちゃってるだろうし、今更変えるの可哀想じゃない」
まぁ別に変えても可哀想ではないが、そう呼ばせてもらえる方が楽ではある。気が付けばウンウンと頭を縦に振っていた。
ヒナは納得できなさそうにしていたが、リコがそう言うならと諦めた様だ。
「君は、ヒナって呼んでいいのかな」
一応ヒナにそう確認すると。
「じゃー私もソレでいいわよ。あっでも“さん“付けね“ヒナさん“」
その言動に明らかに嫌そうな顔をした自分を見て、ヒナはふふんと少し勝ち誇った様な顔をした。
「改めて自己紹介するね。この可愛い私は古伊万里。お皿とかで使われる古伊万里に小さい春と書いてコイマリ コハル。そして、こっちの美人系女子高生が岡山の倉敷って書いて倉敷に太陽の陽って書いて“ヒナタ“倉敷 陽 よろしくね」
スマホの登録にはフルネームと、呼び名を一応登録しておく。日向の部分は"ヒナさん"ではなくヒナとだけ打っておく。
「それじゃ、リコとヒナ…さん。でいいのかな。えぇヒナ…さんは太陽の陽って書いてヒナタ…さんと読むの珍しいね」
すこしわざとらしく、ヒナと"さん"の間にまを開けて呼んで僅かながらの抵抗を試みる。
「もぉさんって呼びたくないならもういいわよ、いちいち間を開けて鬱陶しいわね」
僅かながらの抵抗が功を功をそうしたようだ。これで違和感なく呼ぶことができる。
「それでは次は自分だな、自分の名前は…」
そこまで言うとリコが割って入る。
「あっそれはいいから。おじさんはおじさんで、名前はいいやスマホにもおじさんって入れとくから」
え、ひどくないそれ。
何か用意していた様に早口で自分の会話に割って入られたが、本当におじさんの名前はどうでも良いのだろう。まぁ考えるとコレから仲良くなる訳でもない、利害関係のハッキリした間柄の自分達には名前は不要かもしれない。
しかし、名乗れないと言うのも少し悲しいものだ。しかもコレからもおじさんと呼ばれるようだ。おじさんと呼ばれいちいち傷ついていた心にも今後の付き合いを通して良く馴染むようになるだろう。
「それじゃ連絡用のRINE交換しよ」
RINEと言うのはSNSの一種で、グループ等を作って複数人とチャットが出来るアプリだ。あまりに普及している為、業務の社内情報交換ツールとしても使用されていたりするのでダウンロードしていたので、そつなくIDの交換を済ませる。
「うーん、グループレイン名どうしようか」
そんなものは何でもいいだろうと思うのはおじさんだからだろうか。自分も昔はそうだった様に若い子達はこう言う事に一喜一憂するものだ。ヒナとスマホを眺めながらあーでもない、こうでもないとグループレイン名を考えている。リコは時折コチラをチラチラと見ているが、あれはどう言う視線だろうか。まさか、おじさんも混じって名前考えようよ…とは思ってはいまい。
「おじさんいくつか考えたんだけどどれがいい」
混ざって考えろではなく、考えた案を選考してほしいと言うのであれば大歓迎だ。
「何でもいいだろ、どんな案があるんだ」
「えーっとね。700万と私達。おじさんと金と私達。ATMって思ったんだけど、なんかどれもしっくりこないんだよね」
ATMは酷すぎるだろ、あとしっくりこないのは名前の全てにお金を全面に押し出す部分があるからじゃないのか。自分が付けるとしたら。自殺未遂s…とか。死に損ないのその後、とか…ダメだ絶望的にダサいし、死にたいという自分の思想に引っ張られた名前に嫌悪感すら覚える。あまり自分から発信していい事はないだろう。
「うーん、自分もあまりしっくりくるものが無いな。それにしてもATMは酷くないか」
名前なんて何でもよかったが、こう聞かされては少しでも良いものを選びたくなるのは人の性ではないだろうか。
「なによ、文句あるならアンタも何か考えなさいよ」
ヒナが少しだけ怒った様に突っかかってくる。ATMと言うのはヒナの案か。
「そうだよ、おじさんも何か案はないの、しっくりくるやつ」
自分のネーミングセンスの無さは先程自覚済みだ。それでも求められたからには何か捻り出さなければならない。自分達の共通点は何だ。自殺未遂で終わった事、と言うのが最初に頭に浮かんだが、その考えをすぐに追い払う。他には…そう考えた時にふと、あの屋上の光景が頭に浮かぶ。自分達はあの屋上で出会った。あの屋上に行かなければ出会うこともなかった。リコを助けた時に3人が見上げた満月はとても綺麗だった。そう言う共通点を名前にできないだろうか。
例えば、雲間の満月とか、屋上同盟なんてのはどうだろう。この2つを比べた時、自分の中で屋上同盟という方がしっくりきた。屋上で出会い、屋上から死のうとして、屋上で月を見上げた。しかし、今の若い子に〜同盟なんでセンスはどう聞こえるのだろう。明らかな昭和の雰囲気に笑われてしまうだろうか。
「ねぇ聞いてる。もしもーし、おじさんは何か案無いのって聞いてるんですけど」
言うべきか言わぬべきか迷っている時にハッパをかけられ、まぁどう思われようといいか、と投げやりな気持ちになる。
「そうだな…自分達は屋上で会ったんだから、屋上同盟なんてのはどうだ」
そう提案すると、2人は黙り込んでお互いの顔を見合わせしばらく見つめ合い声を合わせた。
「「いいじゃん」」
「おじさんにしてはまぁいいセンスね。いや、おじさんだからこそレトロでモダンな名前が思いついたのかしら」
「屋上同盟いいじゃん、古臭くて秘密結社な感じ。いい感じだよ」
お前らは褒めてるつもりかもしれないが、モダンもレトロもリコに至っては直球で古臭いって。どうせ自分は昭和生まれだよ。しかし2人はこの名前をいたく気に入った様で、リコなどは屋上同盟参上と言いながら、ヒーローの変身ポーズの様なジェスチャーをヒナに見せ。ヒナはそれを見て爆笑している。…あれ。これ馬鹿にされてないか。
「お前ら本当に良いと思ってんのか」
そう問いかけると、リコもヒナもコチラを向いて。
「ちょっと面白がってる」
と言い笑い合った。
「でもコレで良いよ、面白いし。屋上同盟」
リコがまた変身ポーズを取る。
「ちょっとリコやめてよ、面白すぎるからぁ」
ヒナがまた盛大に笑う。
おちょくられている事にどんどんと小さくなってしまう自分がいたが、このままでは埒が明かなそうだったので2人に割って入った。
「それで、これ以上話し合う事ってあるのか。もうコレで終わりだったら帰るぞ」
自然と棘の立った喋り口調になってしまう。会社にいる時は怒りで声を荒げることなどまずなかったが、コイツらといるとどうも調子が狂ってしまう。
「あぁごめんごめん、そだね、今日はこんな感じでいいかな。リコはどう」
ヒナ笑いを抑えてそう答え。リコに確認を求め、そちらに向き直る。
「あぁあと一つだけ。次会う日を決めなきゃ。えーっと、今日は土曜日だよね…」
リコが今日の日付を独り言の様に口ずさみ、顎に指を当てて頭を傾げる。
元々700万は月曜日に引き渡す予定だったので、早くても月曜日。引き渡し方法が特殊な事から週初め、もしくは日曜日など分かりやすい方が良いだろう。流石に明日は無いとしても、それ以降になるのでは無いだろうか。自分は仕事もしていない身なので、いつ呼ばれようと一向に構わないが、明日はゆっくりしたいと言う気持ちが勝る。
「よっし。明日にしちゃおう。おじさんもそれでいいかな」
ことごとく自分の“なったらいいな“を覆すのがリコと言う人間である。と言うことが、やっと分かり始めてきた。
「明日は…」
正直嫌ではあったが。昨日自殺するつもりだったので当然の様に今後の予定は"驚きの白さ"だ。ただ銀行が休みで2人に会う時の約束のお金の用意を手数料を支払い引き出さなければならないのが少し億劫になる。
「え、何か予定ある。じゃー月曜日にしようか。月曜日だったら何時頃がいい」
若者がみんなこうなのかは分からないが、今日がダメなら明日と何事も性急に進めたくなるものなのだろうか。それとも当座の資金を確保でもしておきたいのか。どちらにせよ、月曜日は大丈夫だと答える。時間は…何時でも良かったが、相手の予定を聞いてそれに合わせるか考えよう。
「時間は、リコとヒナは何時頃がいいんだ。極力合わせる様にするよ」
そう言うと、リコがヒナの方を向いて。
「月曜は…辞めたバイトの日ってことになってるから。17時頃なら行けるかな。おじさんは仕事とか大丈夫なの」
仕事の事を聞かれて少しビクッとしたが、想定問答を用意していたので比較的スラスラと返事することができる。
「あぁ、時間に縛られない仕事なんだ。2人の都合の良い時間に合わせるよ」
時間に縛られない仕事。それがどんな仕事なのかなんて分からないが、どこかハイソサエティーでカッコのいい響きだ。コレは若者の2人にも突き刺さったのでは無いだろうか。
「時間に縛られない仕事なんだ。なにそれ、やばい仕事してんじゃ無いでしょうね」
ヒナが人差し指とおでこの前で構えて、その間に挟んだカードを手首のスナップだけで放り投げる様ようなジェスチャーで声を低くして自分が先ほど言った台詞を復唱する。
恐らく…というか、確実に自分の真似をしてるのだろうがそんなジェスチャーはしていないぞ。自分の何かが気に食わなくて、こう言うふうに突っかかってくるのだろうか。
「そんなジェスチャーしてないしぃ、笑わさないでよヒナ」
そう言いひとしきり笑った後。
「でも気になるね、時間に縛られない仕事って何だろ。ネット配信者とかかな」
「詳しくは言えないが、健全な仕事だ」
時間に縛られない仕事を何か知っていれば教えることもできたかもしれないが、平凡に生きてきた自分には知る由も無かったので、そうとだけ答えた。
「本当かなぁ、怪しい」
ヒナは自分の仕事についてひとしきり怪しんではいたが、これ以上聞いても仕方ないと話を切り替える。
「集まる場所はどうする、自分はこの辺りに住んでいるがリコとヒナはどうなんだ」
その質問の返答は返ってこなかった。見知らぬおじさんに、おおまかな位置だとしても家を特定される様な発言は控えたいのかもしれないし、実際そうするのが正解である。
「それだと駅前でいいんじゃ無い。ほら端っこの方に喫茶店あるでしょ、あの寂れた。サボるみたいな名前の」
ヒナが言う喫茶店には心当たりがあった。寂れたと言っていたが店構えが古いだけでそこそこ人気の喫茶店だ。そして、"サボる"ではなくひらがな表記で"さぼうる"と言う名前である。意味はよく知らないが、変な名前だったので覚えていた。
「“さぼうる“に17時だな。分かった。それじゃ決めることも決めたしそろそろ出ようか」
そう言って部屋の中にある電話に手お掛ける。
「え、どこに電話するの?」
その行動を見て、リコが質問してくる。
昨日ヒナから逃げる際、ドアが内側から開かなかった事を鑑みると、ラブホテルはフロントに連絡するとドアロックが解除される仕組みになっているのでは無いか、と推測される。本当にそうかどうかは分からないが、このままドアの前まで行ったとしてもドアが開かない事には話にならないし、自分が初ラブホだった事がバレてしまう。
そうなる前にフロントに電話して、今から出る旨を伝え、相手の様子を伺って、もし解除されなければそれとなく解除方法を聞くと、2人にそうと分からない様にこの場をやり過ごせると言うわけだ。
「フロントに電話して、今から出る事を伝えるんだよ。このままじゃドア開かないから」
「へぇーラブホテルって電話しないと外出れないんだ」
自分も本当はどうか分からないが、そうだと言う事にしておこう。
そして受話器を取りフロントへのコールを始めと、すぐに通話が繋がるガチャっと言う音がした。
「あぁ、すいません。もう帰ろうと思うんですけど。部屋のロックを…」
取り敢えず部屋のロックの事をさりげなく伝える。
「はい、お帰りですね。お帰りの際に廊下にある自動精算機にて料金のほうをお支払い下さい。それではロックの方解除しますね。よろしくお願いいたします」
少し変な対応であったが、廊下に出る扉の方でモーターの動く様な音とガチャリと施錠が解除された様な音が鳴ったのでコレで良かったのだろう。
ゾロゾロと3人で部屋から出て、エレベーターのまでの廊下にある精算機らしき機械で支払いを済ませる。
帰りは思ったよりもスムーズに行きそうだ。
エレベーターの前まで行くと、自動的にエレベーターのドアが開いた。
すると中から人が降りてくる。このホテルを今から利用する人が乗っていた様だ。
なんとなく気まずくて顔を見ない様に下を向き道を譲ると、ふと違和感を覚え下げた頭を上げる。するとエレベーターから降りてくる男には見覚えがあった。
このラブホテルに泊まる時にエレベーター前ですれ違った男が、違う女性を連れて降りて来たのだ。
この男は当初エレベーターが閉まる寸前に口笛を吹き「3Pやるぅ」と言った男だ。
その時は、制服の2人を連れてホテルに泊まる自分を揶揄してそう言う行動に出たのだろうが。ラブホテルに泊まっているものの、自分には不相応な揶揄だったので縮こまるばかりだった。
昨日の今日で違う女性を連れて同じホテルに泊まろうとするお前の方も大概じゃ無いかと思わずにはいられなかったが、もう過ぎた事だ。
すれ違いざまに男がコチラを横目で確認するのが分かった。相手もコチラの事に気がついている様だったが、あの時の様に何かリアクションしてくることはなかった。
エレベーターに3人で乗り、ドアが閉まりる瞬間に。
「ヒュー、やるぅ」と聞こえてくる。今度は男が言った言葉じゃ無いのは声色で分かった。そして男が連れている女性が言った言葉でも無い。コレを言ったのはリコだ。
「もぉやめなよ〜」続いてヒナが女性が言っていた言葉をそのままなぞる。
男は振り返り、隣にいる女性もそれに気がついたのか。どうかした?と言った所で完全にドアが閉まった。
男は少しムッとした顔をしていたが、それと比例する様にコチラの心はスッキリとした様な気持ちになっていた。そうか、自分は恥ずかしかったのではなく、腹を立てていたのかとあの時の感情を正確に認識する。
何も言わず、親指を立てて良くやった。と言った旨のジェスチャーを2人におくった。
エレベーターが1階に下って行くまでに。ヒナが急に大きな声を出す。
「思い出した」
一体なんなのだ、このタイミングで。と思ったが。リコがどうしたの?と聞き返していたので、2人のやりとりを黙って聴く事にする。
「そう言えばさっきの奴のせいで、このエレベーター最初に乗った時に言いそびれた事あったんだ。おじさん、ほんとにラブホテル来たことあるの?最初の定員さんとのやりとりで思ったんだけど、なんも知らなかった様に見えたんだけど」
最初にこのエレベーターに乗った時???なんのこと言ってるんだ、ヒナは何か言いかけてたのか?全く思い出せないが、言われている事は全くの真実である。ここまで上手く騙し通せてきたと思っていたが、やはり怪しまれていた様だ。
「あのな、一概にラブホテルと言っても、個々での対応が違うんだ。自分が来た事があったのは…ほら、ふ…古いタイプのラブホテルだな、きっと」
苦しい言い訳をしている間に助け舟の様にチーンと軽快な音が鳴り、エレベーターのドアが開いた。
「ほら行くぞ、ここでノロノロとするもんでも無いだろ」
目的の階に着いたのは渡りに船だった。これ以上の言及はボロが出るかもしれないし、正直知りもしない知識を披露するのも疲れた。
「なんか怪しい」
ヒナはまだ、後ろでぶつぶつと言っていたが自分は我先にエレベーターを降りて出口へと向かう。
「ちょちょ、ちょっと待ちなさいよ」
後ろで何やら言っているが、我関せずだ。ズンズンと進んでいき出口の手前。出口が2つある。一つは駐車場にでも続いているのか、それとも訳ありカップルへの配慮が。2人の為を思うなら、ここは別々に出たほうが良さそうだ。
後ろから追いついて来た2人に振り返り、今日はここで別れよう。と提案する。
リコもヒナも黙って頷き、別々の出口へと向かった。
人生初めてのラブホテル体験は、何というか想像していた物とは全く違い最悪であった。初体験とバレずに過ごさなければいけないわ
浴槽で寝かされるわ、ヒナには蹴りを喰らうわ。散々な目にあったと言っても過言ではないが。喉元過ぎれば何とやらだ。今は少し名残惜しくもある様な気がしなくもない。
今の気持ちはさよならラブホテルである。
取り敢えず昨日からの妙な1日が終わる。
今後は一体どうなってしまうのか。考えても分からない事は、考えないに限る。とにかく、今日1日は家でゆっくり過ごそう。
そう心に誓い、帰路へと着いた。
ラブホテル編完




