幕開け
「ほれアレス、新しい本持ってきてやったぞ。大事に使うんだぞ。」
外出から帰宅した父は木製の戸を開き、いかにも高級そうな本を机においた。
寒村の一小作農の手の出せる代物ではない書物等は明らかに我が家の帳簿を圧迫しているのはよく分かっていた。
分かっているが故せがんだことは一度もない。
こんな寂れた村の寂れた家屋の子供の部屋に三冊も本がある時点でもう何かがおかしいという話にもなる。
もし誰かに見られでもしたら窃盗でもしたのではないかと噂がたつかもしれないぐらいだ。
「こんな高いもの……ありがとうございます、父上。大切に読ませていただきます。」
「父さんはすごいからな。本なんかちょちょいのちょいだよ、ハハッ」
母はそんな父の姿を微笑ましそうに見るのと同時に、自分を哀れみや憂いを含んだような表情で見つめているのがわかった。
何が原因かは分かっている自分としては、そして本の内容がかなり気になるという理由で自室に急ぎ足で戻った。
「これだ、『陶器磁器基本工法』……やっと手に入った。」
父に連れられ何度か訪れたことのある近郊の街、ロレイナ。
父が商会でたまに手に入る獣の類いを卸しに行く際には必ずといっていいほど同行し、いつも決まって図書館に籠っていた。
速読が得意なわけではなかったが限られた時間のなかでなるべく多くの本を読もうといつも努力していた。
そんな図書館にも決まってないものがあった。
産業に関する書物だ。
あったとしても写し版で図解はほぼ存在しない。
司書さん曰くあるにはあるが価値が高いため領都の図書館に所蔵されているのだそう。
まぁでも考えてみれば当たり前の話だ。
歴史的に価値が高かったりまた技術的に価値の高い本が平民に貸出可能な場所にあるわけがないし、ロレイナなのようなそこそこ大きな街でも、そもそも王国の中ではかなり小さい辺境の街だそうだ。
領都なんてロレイナからどれ程はなれているか検討もつかないが。
ましてや一介の農民の息子が一街越えた移動が出来るわけもなく、そんな書物に会うことは夢のまた夢だ。
だが今、こうして手元にある。
父親が顔馴染みの商会に無理をいってお願いしたに違いない。
簡単に手渡してきたがそんな簡単なわけがない。
これがどれだれ難しいことなのか、図書館に入り浸っていたからこそよく分かっていた。
僕が読んできた本は大体小説や王国の歴史、制度、他国の文化風俗等々。
簡単な算術本にちょっとした美術本程度でこうした教本ははじめてだ。
こうして僕は齢6にして初めて別産業に触れることになった。