1.プロローグ
勢力圏争い。食うか食われるか。
それは文明が発達し、人口が増え、取れる選択肢が増えてもなお、世界を悩ませる問題である。
それはむしろ人口が増えたことにより、開発される土地の面積が増え、他の勢力圏との接触面積の肥大化から、争いが増えたのだという者もいるだろう。
現に渦中にいる人々の中には、昔の方が争いは少なく、平和だったと考える者もいる。
だが、実際に血が流れる地域は増えており、地図上で兵を動かしている者はもとより、現地で戦っている者はひしひしと肌で感じている事があった。
さらなる戦いの予感。
それも日に日に強くなる敵と、死んでいく仲間達。
どこまで勝ち進めるのか、どこまで守り抜けるのか、それとも負けてしまうのか。
そんなことを誰かが話していたなという記憶を振り払い、俺は微睡から目を覚ました。
頬に感じるのは硬い木の根と、地面の冷たさ。
うつ伏せに倒れているのを自覚した俺はゆっくりと目を開け、周りの状況を伺った。
動いている生き物は視界に入らず、耳を地に押し当てても地鳴りは遠く、主な戦いは自分から離れた場所に移ったらしい。
ゆっくりと体を起こす。
まず目に入ったのは、大きな獣。
この森を統べていた魔獣であり、猿に似た、それでいて異種族である自分からしても貫禄のある姿をしていた。
それはもう動いていない。
大きな外傷もなく、静かに横たわる姿は寝ているように見えるが、確かに息を引き取っているようだった。
危険がないことを安心すると共に、一つの方向を見る。
それはこの魔獣に続く様にできた道であり、血と死体によってできた道筋であった。
「結局、皆死んでしまったか」
決して仲の良い者達ではなかった。
俺をこの場所に、この魔獣の前に連れて来る為だけに選ばれた人達。
なぜ、そんな役目を引き受けたのか、そうしなければならなかったのか。
結局詳しい話は聞けず、聞かなかったが、確かなことは彼らは目的を達成し、そして死んでいったということだけだった。
「戦いの終わりはいつも静かなものだな」
俺もこの場所まで進むのに必死で戦いの全容を把握できていなかったが、それでも多くの敵が襲いかかって来たのを覚えている。
それを彼らは全て引き受けてくれたのだ。
未だ耳に残る悲鳴と雄叫び、死体が折り重なる道を見れば、今回の戦いもギリギリだったことがわかる。
そんな感傷に浸っていると、遠くで大きな音がした。
重量級の何かが地面に叩きつけられるような音に、ハッと意識が切り替わる。
そうだ。目的は達した。早くここから脱出しなければ。
鉛のように重い体に鞭を打ち、足に力を入れる。
隣にあった大きな樹木に寄り掛かりながら、なんとか立ち上がると、一歩踏み出した。
どうやら、未だ体重を支えられるほどに回復していなかったらしい。
崩れ落ちるように倒れ込むと、再び硬い地面に顔を打ちつけてしまった。
冷たい大地が今は心地よい、眠ってしまいそうになるのをなんとか押しとどめ、もう一度立ちあがろうとする。
その時、足音が近づいて来たかと思うと視界に人影が映った。
そっと差し伸べられる手越しに顔を上げると、血まみれの女性が膝を付きこちらの様子を伺っていた。
この激戦を生き残るとは、相当な実力者であることがわかる。
正直、その血まみれの顔にピンとはこなかったが、彼女の首元を隠すように身につけていたマフラーには見覚えがあった。
出発時に、少しだけ会話したことのある女性だ。
美人なくせに、目が死んでいて、それでいて正義感の強いことをいうものだから、なんとなく厄介払いにと、この決死隊に配属されたのだろうと当たりをつけていたのだが、違ったらしい。
彼女の目を見る。
初対面の時とは違い、戦いに高揚しているかのように瞳が揺れている。
「なあ。仲間にならないか」
俺は気付けばそう声に出していた。
後から、どうしてこんなことを言ってしまったのかと理由をつけるとするならば、彼女が血に染まってなお美しかったからだろうか。
この静かになってしまった戦場に人肌が寂しくなったからだろうか。
いや、こんな状況で生き残っていた実力に敬意を抱いたこと。
それとも、戦いの最後に毎回一人残されるのが嫌で、仲間を求めたからか。
ただ、残った結果はシンプルだった。
「喜んで」
そう一言、彼女は呟いた。