おしゃべりエルフ魔法使いが冒険者として牧場で頑張る話
以前書いていたリリーティアちゃんの設定を整理しました。
これを実質1話として今後書いていければと
リリーティア・レニヤロロラはごくごく普通の街育ちのエルフとして毎日を過ごしてきた。
人間に換算すれば10歳ほどの彼女はエルフの暮らすアクエアで両親と妹、そしてたまに帰ってくる冒険者になった姉と普通に暮らしていた。
彼女は特徴らしい特徴のない平凡すぎる日々を過ごしており、特別な出来事を挙げるほうが難しいほどだ。
あえて特別な出来事をあげるとしても、せいぜい彼女が小さなころに近所の年上の幼馴染に美容師ごっこといわれ、自慢の長い桜色のくせっけをバッサリ切られて大泣きしただの、川遊びの途中で足を滑らせて頭をぶつけて大きなたんこぶを作っただの、その程度の出来事しかない。
そんな普通の日々を送っていた彼女にとって突然両親が行方不明となった事件は、世界が壊れてしまったと感じるほど衝撃的な出来事だった。
大好きな姉も、可愛がっていた妹も彼女を元気づけることができず、彼女もまた同じくらいつらい二人にこたえられない自分が嫌で、さらに自分を追い詰めていった。
大好きだった読書も楽しめず、両親のことを時々思い出してはめそめそと泣いていたそんなある日、リリーティアの部屋の扉が勢いよく開かれた。
大きなリュックを背負い、薬品の入った瓶がいくつも括り付けられたベルトを身に着けたリリーティアの姉、ロゼッティアが困惑気味の妹の手を引いてそこには立っていた。
「リリちゃん、旅行にいきましょ!」
リリーティア・レニヤロロラはエルフの街アクエアの冒険者ギルドに所属する突出した特徴がないのが特徴な魔法使いだ。いや、突出したところはないが、できることが魔法だけでなくちょっとした格闘技、剣、弓、鍵開け、サバイバルと限りなく広い。それが特徴になっており強みでもあった。
冒険者は人々の暮らす街や村を守る衛兵とも、凶暴なドラゴンのような魔物を倒すハンターと違う。冒険者と呼ばれる人々は薬草つみから未知の地域の地図作り、果ては庭の草むしりや子守りまで。ようは金さえ払えば何でもこなす、いわゆる何でも屋である。
簡単なカギを針金で開錠したり、崖をよじ登り薬草をつみ、湖の底に落とした宝物を回収し、古代遺跡の古代文字を解読し、主人が留守の間は牧場の羊の世話をする。そんなことすべてを一人でこなせる彼女はちょっと困ったときにとりあえず依頼をするのには最適な相手としてアクエアではちょっとした有名人であった。
人間に換算すれば14歳ほどの彼女は自称140㎝の低い身長と童顔のせいで実年齢より幼くみられることが悩みだが、身に着けている衣服をみれば、同業者からはそこそこの戦闘もできる実力を持っていることがわかった。
彼女は昇りたての日の光を浴びながら桜色の長い髪をなびかせ、ぱっと見半袖のワンピースにしか見えないローブのフリルのついた裾をはためかせ、水たまりだらけの街の石畳を大あくびをしながら歩いていた。
(新しく買った本が面白すぎて徹夜で読んじゃった)
ここ一週間ほどアクエアではかなり珍しい長雨で陰鬱な日が続いていたが、読書好きの彼女は本に夢中でたいしてそれを気にすることもなく家で過ごしていた。
リリーティアは足を止めると、身長より長い杖を持ったまま大きく伸びをする。
その木製n杖は大きなたツタが絡みついており、その先端では白い花びらが4枚の花を咲かせている年季の入った杖で、素人目に見ても業物だとわかる逸品だ。にもかかわらず小さな彼女がもつとどこかおもちゃじみて見えてしまう。
(春は眠くなるなぁ)
リリーティアは朝からポカポカしたあたたかな日差しを送る太陽にむかってもう一度大あくびをしてみせる。
「リリーティアちゃん、徹夜かい?」
「おじさんこんにちは。そうなんですよー!この前買った本が面白くって」
「また本を読んでたのかい。好きだねえ」
人口の半分以上をエルフが占めるアクエアでは珍しくないエルフの商人のおじさんは、長いあごひげをいじりながら呆れたようにいった。
「じゃあ今日はお散歩の後はお昼寝かな?寝ないと育たないぞ」
育たないといわれむっとしてリリーティアは口をとがらせる。
「まだ若いから二日くらい寝なくても大丈夫ですー!そのうち成長期がきてぐっと育つんだから!そもそも私達エルフの成長期は100歳に満たないうちに始まっておわる人もいれば200歳くらいからぐんぐん育つ人もいるのは言うまでもなく知っていますよね。私は後者ですしそれに西大陸の」
「そうだ西大陸!」
長々としゃべり始めそうだったリリーティアの話を大声でおじさんはむりやり止める。
商人のおじさんはお得意様の彼女が一度しゃべり始めると無理にでも話を打ち切らないと話が止まらないことをよく知っていた。
「西大陸で何かあったんですか?」
「あーー、違った違った王都だった。王都で食中毒、とはちょっと違うんだがまあキノコ中毒が流行ってるらしくてな」
「王都と西大陸じゃ全然違うじゃないですか……えーと、それでどうしたんです」
「いやね、そのキノコを買って帰った奴が結構いるらしくてな。うちにも朝から飲み水やら薬やらの注文が多いんだよ。
と言っても症状が笑いが止まらなくなるってものでどの薬を渡したらいいやら」」
言いながら店のカウンターの下から紙製の小箱を取り出すとそれを差し出す。
リリーティアが蓋を取ると中には傘も軸も茶色い地味なキノコと数枚の銅貨が入っていた。それを鑑定依頼と理解してリリーティアはローブのポケットから皮手袋を取り出すと指先でキノコの軸をつまみしげしげとそれを見つめる。
「ん~~。おじさんには何に見えますか?」
片目で下から眺めてみたり回転させてみたりしながらリリーティアが尋ねるとおじさんは少し考えた後に口を開いた。
「俺にはごくごく普通のサケカオリタケにしかみえないな」
おじさんは焼くと傘が裂けおいしそうな香りを立てる一般的なキノコの名前を挙げるとリリーティアはうなづいて見せる。
「そうですね。秋から冬にかけて採取される倒木なんかに生えるサケカオリタケそっくりです。でも、今は春。サケカオリタケは人為的にまたは偶発的に秋の終わり頃のような肌寒くひんやりと感じるような環境にならないと生えません。こんな暖かい日が続く季節にはまず生えないんですよ」
言いながらリリーティアは左手の人差し指の先に魔力を集めると小さな炎をぽっとともした。
「そしてこのキノコは焼いても傘もさけず、香りも焦げ臭い匂いがするだけ」
あぶられた部分から水分がぬけしおしおとしぼんでいきながらリリーティアが言う通り焦げ臭い匂いを漂わせる。
「見た目がサケカオリタケによくにた春先に生える毒キノコ。チャイロニガリドロキノコですねこれ。
食べると中毒を起こし笑いが止まらなくなり、それが収まると強烈なのどの渇きを感じるようになります。ちなみに通称はサケカオリタケモドキ。そのまんまです。主に沼地周辺の日の当たらない場所ややじめじめした柔らかい土が多い洞窟といった場所のドロに生えるキノコで昔はよくサケカオリタケに間違えられてお店に並んだりもしたらしいのです。
が、採れる季節も違うし生える場所も全然違うんですよね。何より焼いたら匂いで気づく人がほとんどだと思うんですけど…。ただ調味料や香草いっぱい使ったり綺麗な裂けめ作ろうとしてあらかじめ切れ込みなんて入れてたら気づかないこともあります。あらかじめ刻んで炊き込みご飯なんかにしても見た目では気づかないかもですねー。
かつては、といっても1000年ほど前ですが北西諸国の紛争時に砦攻略のため商人のふりをしたスパイがこのキノコを香草漬けにしたものを大量に差し入れて砦の中の兵士の殆どが食中毒で笑い続けまともに武器を握」
そこまでリリーティアが言ったところで慣れた調子でおじさんは話を止めるように両手をぱんぱんと鳴らす。
「でだ。本当は俺は冒険者ギルドにこのキノコの毒に効く薬か材料になる薬草を依頼しようと思ってたらちょうどリリーティアちゃんが通りかかってくれたってわけなんだ」
「普通にお店でうってる腹痛の薬茶、普通のマダラシロヤマツタ草の煎じ茶が効くそうです」
人差し指を立てて得意げに言うリリーティア。
「本によると笑いが止まらなくなるのになぜ腹痛の薬茶であるマダラシロヤマツタ草の成分には……」
「お、ありがとうな!なら在庫もあるし薬は大丈夫そうだ。いやあ余計な出費もせず在庫も抱えずに済んで助かったよ」
言いながら店主はキノコが入っていた箱に銀貨を追加で入れる。普通の薬草つみの相場よりちょっと多めの報酬だった。
「どういたしまして。それでですねマダラシロヤマツタ草の成分には……」
「リリーティアちゃん、ついでにクッキーも持って行っていいからな!イチゴジャム乗ってるやつでもいいぞ」
「え!?いいの!?ありがとうおじさん!」
リリーティアは満面の笑みで商品棚から渡されたイチゴジャムの乗ったクッキーの袋を一袋もらっていった。
冒険者ギルドと呼ばれる施設は世界各地にあり、もちろんアクエアにも存在する。ただし、アクエアが他と違う点は比較的平和且つ近代化が進んでいるため建物に比べて冒険者も客も少ないこと、冒険者の憩いの場となるはずだった酒場つきの宿屋が昼間どころかへたをすれば夜中までレストラン兼カフェと化していることだろう。
そして、所属している冒険者もお酒を飲んで騒ぐよりものんびりとその日の戦利品と武勇伝片手にちょっとおしゃれなメニューを食べる気取ったエルフのほうが多いのでそれも仕方ないのかもしれない。
リリーティアがそんな冒険者ギルドの入り口をくぐると、おはようございますと慣れた調子で、しかし眠そうに声をかけながら真っすぐにリリーティアには高すぎるカウンター席へと向かった。
「おはようリリちゃん。今度は何を読んでいたの?」
カウンターの向こう側で、張り付いたような笑顔を絶やさないギルドマスターのミストだ。エプロンをつけたウェイトレス姿だが、短い直剣を腰から提げているのが他のウェイトレスとは違っていた。木製の鞘は真ん中あたりからへし折られたような裂けめがありその先は手作りの白黒のチェック模様の布製のカバーがかぶせられていて、色合いはカバーとウェイトレス服とに合っているのだが、武骨な折れた剣は異様な雰囲気を醸し出していた。
にこやかに声をかけるミストにリリーティアは笑顔で挨拶を返すとミストと向かい合う位置のカウンター席に少し背伸びしながら腰かけた。
「今回は南大陸に挑んだ冒険者たちの本を読んだの。そういえばみぃお姉ちゃんは南大陸に行こうと思わなかったの?」
「仕事中はギルドマスター」
何百回と繰り返したやりとりを近所に住む幼馴染とやりながらリリーティアは気には止めた様子もなく続けた。
「それで、マスターさんは南大陸にはいこうと思わなかったの?好きそうじゃないそういう前人未踏の大冒険みたいなの」
元冒険者相手に目をランランと輝かせながらリリーティアは続ける。
「うーん……船旅って準備めんどくさいじゃない。さすがに海を何日も泳ぐわけにもいかないし」
「えー、船旅って準備含めて楽しいのにー。釣り竿用意したりー、標本セット準備したりー」
「似たようなこと、ロゼちゃんも言ってたわねえ。だから前、西大陸に行ったときは準備全部やってくれたわよ」
「お姉ちゃん世話好きだもんね。家にいるときは着替えから歯磨きまでだいたいやってくれたもん」
「リリちゃんそれは甘えすぎ……」
呆れたように言いながらマスターは思い出したようにメニューをリリーティアに渡す。
「パンケーキ!はちみつ生クリームたっぷりで!」
それを受け取りもせず答えるリリーティア。
「あんまりパンケーキばっかり食べてるとぷにぷにになっちゃうわよ?」
「動いてるし魔法もいっぱい使ってるから平気だもーん」
意地悪を言われても意にせず笑顔で返すリリーティアのほっぺたをむにむにと両手でいじってからマスターは「リリちゃんいつものパンケーキ」と奥の厨房に声をかけた。
「あ、そうだ。みぃおねえちゃ…マスターさんも食べる?」
言いながらリリーティアはカバンから先ほど受け取ったイチゴジャムのクッキーを取り出した。
「あら、どうしたのそれ」
「実はここに来るまでにね~」
身振り手振りを交えながらあったこと、そして腹痛の原因となっていたチャイロニガリドロキノコがどんなキノコか、どんな風に使われているか、実際に歴史上こんな使われ方をしたことがあるという一例、もし食べてしまったらなどなど数時間ほど話し続け、昼近い時間になった時だった。
ギルドのガラス窓のついた木製ドアがあわただしく開いた。
「戦える人!戦える人いないの!?」
「どいつをはったおしていいの!?」
カウンターから勢いよく身を乗り出したギルドマスターに飛び込んできた少女はびくりとする。
少女はエルフではなく人間で、ディアンドル姿でリリーティアより少し年上にみえた。栗毛を後ろで白いリボンで結んだその少女は、肩で息をしながら慌てた様子で続けた。
「牛が!うちの牛がうぇっほげほっ!ごほっ!」
相当慌てて走ってきたのか汗だくの彼女は盛大にむせた後、深呼吸して言いなおした。
「牛が!何かにたべられちゃったの!朝は元気だったのに!きっとまだうちのまわりにモンスターが!」
「わかったわ!まかせて!」
今にもエプロン姿のまま飛び出しそうなギルドマスターににウェイトレスの1人が呆れたように制止した。
「みぃ、あんたはギルドマスター。基本ギルドにいて」
「はぁ!?怪我人出てからじゃ遅いのよ?」
そういう彼女の顔には張り付いたような笑顔にもかかわらず、ひと暴れしたいとはっきりと書いてあった。
「あんたが好き勝手に暴れると逆に無関係の怪我人が増えんのよ!」
ウェイトレスとギャーギャー喧嘩を始めたミスト達に苦笑いを浮かべながらリリーティアは少女のもとへ向かった。
「えーと、牛を飼っているの?数年前くらいに町はずれに牧場を作ったご家庭の方?」
「エルフの方の数年前がちょっとわからないですけど、牧場はアクエアにはうちしかないと思います……たぶん」
自信なさげに言う少女にリリーティアは補足する。
「入り口で牛乳を売ってくれる売り場があって、そこにニワトリのぬいぐるみがいっぱい飾ってある牧場ですよね?」
「そうですそうです!もしかしてきたことあるんですか!?なら話は早いです!早く来てください!」
リリーティアの服をぐいぐいひっぱる慌てた少女に椅子から引きずり降ろされそうになりながらリリーティアはまあまあと彼女をなだめた。
「まずちょっと確認したいんだけど何に食べられちゃったかわかる?オオカミがきたとか?」
「わかんない!でも牛が騒がしいから様子をみにいったら一匹いなくなっててしかも血がいっぱい飛び散ってて!衛兵さんはモンスターなんていないっていうし!両親と姉が警戒してるけどモンスターだったらみんなも食べられちゃうかも!」
涙目になりながらまくしたてる少女の話をきいていたリリーティアはいまだ言い争いをしているミストとウェイトレスをちらりと見た後、コップに水を注いで少女に渡した。
「喉乾いてるよね?とりあえずお水どうぞ」
「え?へ?あ、ありがと……」
水を一気に飲み干す少女にリリーティアはゆっくりと説明した。
「とりあえず、現場で何があったかわからないとどうしようもないから私が調査してみるね」
牛を殆ど痕跡も残さず捕食するモンスターが、結界のはられている街にいるとは正直思えなかった。
だが、思えなかったからこそ、好奇心旺盛な彼女は不謹慎ながら現場を見てみたい衝動に駆られていた。
「え?きみ子供なのにそんなことできるの?」
コップを持ったまま不審げな視線を隠そうともしない少女にむっとしながらも笑顔で立てかけていた杖を手にする。
「たぶんあなたの十倍は生きてますけど?」
「エルフでも子供……」
そんなやりとりをしているとミストと喧嘩をしていたウェイトレスが口をはさんだ。
「子供同士で喧嘩してる場合じゃないんじゃないの?私がこのバカと喧嘩してる間にとりあえず様子だけでもみてきたら?」
「あ゛!?またバカっていったわね!?」
ぎゃーぎゃー大人同士で喧嘩しているのをみてリリーティアは苦笑いをしながら少女と向き合い軽く杖を掲げてみせた。
「私はリリーティア・レニヤロロラ。見ての通り魔法使い。簡単に状況を話し合いながらとりあえず現場へ向かいましょ」
牧場は入り口の販売所から奥の自宅らしき建物まで石畳で綺麗に舗装されており、清潔な印象を与える小ぎれいな場所だった。奥のほうの背の高い柵があるあたりからは地面がむき出しになっておりそのあたりの土が荒れている様子から、普段は動物の通路になっているのだろうと想像できた。
「ようこそ」とかかれた大きなアーチのあたりで藁を運ぶためのピッチフォークらしきものを手にしていた女性が心配げな顔でリリーティア達にかけよってきた。
「メリー!冒険者ギルドに依頼はできた?その子はたしかよく牛乳を買いに来てくれる……」
牧場の少女、メリーは女性に抱き着くとバッと顔をあげた。
「ただいまお母さん。リリーティアちゃんが調査にきてくれた冒険者さんよ」
「改めてこんにちは。いつも牛乳おいしく飲んでます。リリーティアです。よろしくお願いします」
紹介されたリリーティアはぺこりとお辞儀をする。
「ふふ、喜んで飲んでくれて牛達もきっと喜んでいるわ。あなた冒険者さんだったのね」
「はい。特に調査なんかは得意なので任せてください」
リリーティアは得意げに胸をはる。
「被害があったのは見学できる牧場ですか?」
「そうなの!もしかして見学もしてくれたのかしら」
「はい、餌もあげたりしましたよー。羊さんもいましたよね」
話しながら移動を始める3人。
「ええ、今羊小屋は長女、メリーのお姉ちゃんが見てくれてるのよ。危ないから部屋にいろといったのに羊を守るって聞かなくって」
「仲良しさんなんですね。でも確かに危ないんじゃ」
「窓にも金属の柵がかかってて人も通れないような隙間しかないから何かがきてもそう簡単に侵入できないもの。入り口に鍵をかけたら家より下手したら安全かもしれないとも思ったのよ」
「なるほどー」
確かに牛を襲うような大型の生物であればそう簡単に侵入できないだろう。
「でも、牛を襲うようなモンスター相手にどれほど効果があるか……」
言って心配そうに声をあげるメリーの母を安心させるようにリリーティアは答えた。
「メリーちゃんには途中で説明したんですけど、まず安心してほしいのは衛兵さんの言う通りモンスターの可能性は低いということです。というのもアクエアの地下は森にある精霊様が住む湖から流れる地下水脈が根っこみたいに張り巡らされているんですね。それで、その水が瘴気払いの効力もあるためその影響で地上も瘴気はもちろん、瘴気の影響を受けている生物。つまりモンスターも入り込めないんです。もちろん、卵を人為的に持ち込むような例外もありますが、牛を襲うようなモンスターが今日までだれの目にもつかないなんてちょっと考えづらいですね」
人差し指を立て得意げに説明するリリーティアが話している間に、木の柵で囲まれた広々とした牧場にたどりついた。牧草が生えている地面は牛が暴れまわったのかあちこちの土がむき出しになり凸凹に荒れているのは素人目にも明らかだった。
「あれ?牛さんも小屋?」
リリーティアが小首をかしげる。考えてみれば羊を小屋に戻したのだから牛も小屋に戻したと考えるのが自然だった。
「みんなは危ないから一度小屋にに戻ってもらったの」
メリーが答える。
「そっか。じゃあ調査の前に小屋によってもいい?」
「いいよ。こっち!」
メリーがに先導され大きな木造の小屋へ向かいながらリリーティアはちらりと牧場に再度目をやった。
(なんだか牧場から嫌な感じがするな…うまく言えないけどあまり近づきたくない…モンスターはいないはずなのに)
「ついたよリリーティアちゃん」
メリーに声を掛けられはっとする。すでに牛小屋の入り口はメリーの母親が開いており、あけた扉が閉まらないようおさえてくれていた。
「あ、もう?それじゃあ失礼します……」
牛小屋の中には5頭の白黒の牛がおり、みな泥に汚れて落ち着かない様子で時折不安げに鳴き声を上げていた。
小屋の床は地面がむき出しだったが、それぞれの牛がいる部屋にはたっぷりと寝藁が敷いてあった。
リリーティアは小屋に充満するむわっとする獣臭さに思わず顔をしかめたが、すぐに顔をただすと一番近くにいた牛に声をかけた。
「こんにちは。今日は大変だったみたいね。撫でてもいい?」
声をかけられた牛は返事をするようにモーと一声なくとリリーティアはその顔をそっと撫でた。
「嬉しい。覚えていてくれたのね。そうそう。前に遊びに来たときは牧草あげたよね」
「リリーティアちゃん、何を?」
メリーがいぶかし気にリリーティアに声をかけると母親がしーっと小さく声をかけた。
「エルフの方は動物の言葉がわかるの。たぶん、何があったか聞こうとしてるのよ」
「ええっ!いいなぁ……私も動物とお話してみたい……」
(でも、声が聞けるだけでこちらから言葉を伝えることはできないって以前あったエルフの方が言っていたような)
羨ましそうにリリーティアをみるメリーの視線を感じながらもリリーティアは牛と会話を続けた。
「そっか、大変だったのねー…。大丈夫、私が解決して見せるから。それでその子はどうしたの?うんうん。そっか。ありがとうね。思い出すの辛かったでしょ?うんうん、大丈夫、まかせてね」
相槌を打つようにモーモー答える牛を去り際にしばらく優しく撫でた後、リリーティアは二人のほうを向いた。
「今度こそ牧場を調べますね」
先ほどより少し緊張した面持ちのリリーティアはぐっと杖を両手で握りなおした。
時には屋根が壊れるかと思うほどの大雨が降ることもあった長雨で牧場の地面は牛の足が10㎝以上沈み込むほど柔らかくなっていた。
そんな荒れた牧場で、牛は仲間が襲われる一部始終を見ていた。突然、ぐっと何かに引かれるように仲間の牛の下半身が地面に沈んだと思うと、まるで底なし沼に沈むかのように何かに引きずり込まれたとのことだ。
(特に瘴気の影響の大きい大型のモンスターが、牛をさらえるほどのサイズならなおさら街中までくるのは考えづらい。でもあの牛さんが言うことが本当なら人や小型の動物にできる芸当じゃないもの)
「風の翼」
リリーティアが小さくつぶやくとふわりと優しい風が巻き起こり、リリーティアを包んだ。
「リリーティアちゃん今のは?」
不思議そうに尋ねるメリー。
「風の翼って魔法よ。風の加護で対象をすっごく軽くしてくれるの。あんまり足音とか立てたくなかったの」
答えた後、よっと小さく声を出しながら高さ2メートルはある柵をリリーティアは軽々と飛び越えると音もなくふわりと着地する。
そして、杖の先で地面を確かめながら慎重に一歩ずつ足を進めた。粘液かと思うような柔らかい泥は地面というよりは沼地のようであり、恐らく風の翼を使用していなければリリーティアの身体はくるぶしのあたりまで沈んでしまっていただろう。
真剣な面持ちで歩くリリーティアの様子を、メリーとその母親も緊張した面持ちで見守る。
リリーティアは土がむき出しになってしまった場所にたどり着きそのあたりの泥を杖の先で何度かつついた。
(思い出した。そういえば私が子供の頃に干上がっちゃったけどこの辺りは沼地だったんだっけか。今でこそ肥沃な土を利用して牧場や畑になっているけど、大量に水を含むとこんなになっちゃうのね。だとしても……)
土が雨がずっと降っていたじゃ説明つかない状態になっていた。つついた杖にべっとりとこびりついた泥はもちのように強い粘り気を持ち、ねっとりと糸を引いた。
リリーティアは嫌そうな顔をしながら杖の先で泥を少しかき分けると、泥の中に何かが埋まっていることに気が付いた。
「…キノコ?」
直接触ると危険なキノコの可能性もあるのでリリーティアはカバンから皮手袋を左手で器用に取り出し片手と口で装着するとキノコをつまみあげてみる。それは、今朝見かけた本来であれば沼地に生息するチャイロニガリドロキノコだった。
(ここはもう何十年も沼地ではないけれども……沼地の泥が運ばれてきたってことかな?犯人は沼地からやってきた…でもどこの沼地?近くに沼地なんてあったっけ…うーん、でも雨でこのあたりの地面が沼地のようになっていたなら多少遠くてもこれちゃうのかな。とはいえ、にこの粘ついた泥と牛さんの証言、そしてモンスターが入れない環境……信じられないけど犯人は恐らく……)
リリーティアはそろそろと足音をたてないように慎重に柵の傍まで戻ると来た時のようにふわりと柵を飛び越えた。
「メリーちゃん、メリーちゃんのお母さん、とりあえず床がある場所に移動しましょう。大丈夫だとは思うけれどもドロが多い地面には近づかないでください」
不安げな表情で頷く二人の前へ行き、舗装されている正面の入り口付近の道へ着くとリリーティアは魔法で作り出した水球で泥で汚れた手を洗いながら言った。
「おそらく犯人は沼地の大ワームかもしれないです」
リリーティアが言うとはっとしたメリーが尋ねる。
「え?モンスターはこないって……」
「違います。沼地の大ワームはモンスターじゃないです。普通の大きな肉食動物です」
得意げに綺麗になった人差し指を立てて説明をするリリーティア。
「沼地の大ワームは沼地や地底湖に生息している最大でサイズでは全長15メートルくらいあると言われているすごく大きな動物です。瘴気の影響を受けていないのにこんなに巨大に成長する世界的に見てもすごい珍しい生き物なんですよ!アクエアの森でも何度か3,4メートルサイズのものは目撃された記録があります!」
「それって危ないの?危ないわよね?」
メリーの母親が尋ねるとリリーティアはこくんとうなづいた。
「肉食なので危ないです。ただ、普段は泥の中に住んでいて狩りの時以外ほとんど姿を見せません。唾液で土をどろどろねばねばした粘液状に溶かすことができて、それを使って底なし沼のような罠をいくつか作り、そこにはまった動物を引きずり込み捕食します。それは相手が動物でもモンスターでも自分より大きな相手でもとりあえず喰いつき呑み込もうとするかなり悪食な動物です」
不安げなメリーの母親と今にも泣きだしそうなメリーを前にリリーティアは安心させるよう落ち着いた声で説明を続けた。
「ただ、沼地や湿地周辺でなければ罠は基本作れないので、土のない場所、彼らが移動できない場所にいれば安全です。それに耳がよく音や振動に敏感らしく、騒がしいところは苦手なようで動物なので本来は人里からかなりはなれた場所に生息しているのですが……」
「なんでそんな生き物が牧場に……」
メリーの母親は先ほどまでリリーティアがいた牛が襲われた場所へ視線を向け声を震わせた。
「本来生息していない場所にいる生き物はたいていが何かから逃げてきた場合が殆どですね。もしかしたらこのワームが住んでた住処で何かがあったのかも。
それに最近の長雨。湿気も十分で地面も沼地のよう。彼らが移動するには適した環境だったのかもしれません。とはいえ、このあたりで一番近い湿地や沼地も数日で移動できるような距離ではないので、かなり思い切った大移動をしたんでしょうね」
腕を組んでぶつぶつと考え込むリリーティア。今まで読んだ本にのっていた大ワームの生態や起こした事件を思い浮かべながらあれこれ可能性を模索する。そういえば昔、エサ不足で百キロ近い距離を移動した大ワームの話を読んだようなとおぼろげながら思い出してくる。
「ねえ、お母さん。お姉ちゃんとお父さんも呼んだ方がよくない?」
メリーが不安げに母親に尋ねると母親も不安げなまま頷いた。
「そうね。ねえ、リリーティアちゃん。お父さんは牧場ギルドに行っているから大丈夫だと思うけど、羊小屋は地面がむき出しだからお姉ちゃんが心配だわ」
できれば牛と羊も移動させたいけれどと不安げに言う母親。
「わかりました。危ないからぜーーったいに床のある場所から移動しないでくださいね。罠の沼地を3、4個作っているのが常なので少なくともあと2個は罠がある可能性が高いですから。全員の無事を確認したら衛兵さん、それがだめなら冒険者ギルドの戦える人に退治をお願いしましょう。牛を食べれるような大きさの相手じゃ、下手したら私が食べられちゃうので……」
言いながらリリーティアはきょろきょろと周りをみやる。
「まだ行ってないあの建物が羊小屋ですか?」
リリーティアは牧場をはさんで牛小屋と反対側にある建物を指さすと二人が頷き返す。
「これ、鍵なのでお姉ちゃんが開こうとしなかったら使ってください」
母親から鍵を受け取るとリリーティアは牧場の柵の上に飛び上がり、そこを伝って羊小屋へと向かった。
羊小屋に近づくとリリーティアの耳にパニックを起こした羊たちの悲鳴交じりの声が耳に飛び込んだ。
「なに!?なに!?」
はっとしてリリーティアは足を速め扉へとびつくとリリーティアは扉を開こうとするが鍵がかかっているらしくガンガンと鈍い音を立てるだけだった。
「助けて!!誰か!!」
扉の奥から聞こえる悲痛な少女の声に焦らされ、リリーティアは先ほど預かった鍵を鍵穴に何度か鍵を差し損ねながらもどうにか鍵を開いた。
その途端、めぇめぇとやかましく叫びながら何匹もの羊が猛スピードで飛び出してきたため、風の翼で体が軽くなっていたリリーティアは派手にふっとばされ柵に叩きつけられる。
羊たちは迷いなくメリーと母親の場所に集まりその周りを落ち着きなくうろうろとするので、二人はそれを必死にたしなめながらも、羊たちをどうしたらいいかわからずおろおろしていた。
「ぅぅ……羊さんの群れにはねられるとは思ってなかったよぉ……」
リリーティアは目に涙を浮かべながらも立ち上がりるが、目の前の光景にはっとして慌てて杖を構えた。
そこには土から出した半身をあちこちに振り回し羊小屋の壁や柵をめちゃくちゃに破壊している見るからに怒り狂っている沼地の大ワームと、腰を抜かし子羊を抱えたまま動くことができないメリーよりもいくつか年上に見えるメリーとよく似た栗毛の少女がいた。
おそらく羊の足音と鳴き声に耐えられなくなったのだろう。
沼地の大ワーム。見えている部分だけでも長さが4メートルはゆうに超えていた。ミミズを思わせるその肉食動物は沼地内を移動するためかやや平べったい形をしており、幅が広い1メートル半ほどの口の上には赤く光る眼がいくつもあった。口からは猫の爪のように出し入れ自在な黒い長大な返しのついた2対の牙が落ち着きなく出入りを繰り返しており、その牙に捕まってしまえば最後、ごくんと呑み込まれてしまうだろう。
その胴の一部は、かなり大きく膨らんでおり、リリーティアは直観的に襲われた牛が納められている胃袋があるのだろうと悟った。
節々の間には水かきのような平たい脚がありその姿はムカデのようでリリーティアの背筋にぞくぞくと悪寒が走る。
(本でみるのは平気だけど、いざ動いている実物を見るとちょっと……)
気おされないよう、リリーティアは杖を握る手に再び力を入れる。
そんな大ワームだが、ムカデやミミズと大きく違う点として、頭の後ろの方にいくつものエラがあり、ミミズが呼吸をするたびにそこから泥が噴き出し羊小屋を汚していた。
「おちついてくださーーい!うるさい羊さんたちはもうでていっちゃいましたよー!」
リリーティアは大声で注意を引くように沼地の大ワームに声をかけた。
『新しいエサがまた来たな』
エルフの動物や植物の声を聴く能力は動物達の感情の変化を感じ取り言葉のように受け取る能力だ。特にその能力が高いリリーティアは動物の感情を言葉のようにはっきりと聞き取ることができる。そして、その能力の高さは数千人に1人しかもっていないと言われている才能、動植物との会話を成立させることを可能とさせていた。
「とりあえず暴れないで落ち着いてください!もう静かになりますから!」
『暴れて腹がへったな。物足りないがここに残ってる餌を食うか』
「あ……無理、会話が成立しないタイプだ」
とはいえ、もちろん例外も多い。こちらを餌としてしか認識できない動物はその最たるものだ。
大ワームが、少女のほうへ頭を向けると大きく口を開き襲い掛かった。
「氷の壁!」
リリーティアは短く叫ぶと魔法の氷でできた2メートル四方ほどの氷の塊を3枚重ねて目の前の地面から発生させる。だが、そのうち2枚を少女めがけて体を伸ばす大ワームの牙がかみ砕く。
砕かれなかった一枚が大ワームの頭部とぶつかり、鈍い音を立て受け止めたが、ヒビが入っており次の一撃にとても耐えられるとは思えなかった。
(どうしよう、私程度じゃ時間稼ぎができるかも怪しい相手ね……!もし逃げたら追いかけてきて街がめちゃくちゃになっちゃうかもしれない……)
リリーティアは逃げるのは最後の手段だと考えながら、少女へ向かって駆けた。
少女は今にも砕けそうな氷の壁をはさんだ先で大きく開かれたワームの口から目を離せず、失神しそうなほど青ざめ子羊を力いっぱい抱きしめていた。
「もう一発!」
リリーティアは今度は沼地の大ワームの頭上に氷の壁を作り上げる。本来は攻撃を防ぐための氷の壁の魔法だが、空中に発生したそれは重力に引かれ大ワームめがけて真っすぐと落下した。
氷の塊に押しつぶされた大ワームは声もあげず身もだえた。
「怖かったらごめんね!風の翼!」
リリーティアは少女の元へ駆け寄ると同時に少女に抱えられた子羊に重量を軽くする魔法をかける。そのまま流れるような動きで杖を落とすと羊を抱きしめたままの少女の脇腹を両手で掴んだ。
「ひゃっ!」
少女が突然身体を触れられ短く悲鳴をあげ正気に戻るが、そのままリリーティアは助走をつけながら体を横に一回転させ勢いをつけ羊小屋の外めがけて放り投げた。少女はリリーティアよりも背丈が高いが、魔法で軽くなった体は勢いよく小屋の外へ投げ出されると小屋の入り口あたりにヘッドスライディングのような形で着地し、数センチ滑った後に止まる。
擦り傷はいくつかできたかもしれないが、重さが殆どないため大したケガにはなっていないだろう。
「氷の魔法が得意な人!または大型モンスターの討伐の経験がある人を呼んできて!」
リリーティアが少女へ向かって叫び終わるとほぼ同時に、背後でワームを押しつぶしていた氷の壁が投げ捨てられ壁に激突し砕ける音を聞き慌てて振り返る。
『餌…餌……!』
身体を押しつぶされていたことを意にせず鎌首をもたげる悪食な肉食動物の頭の中にはもはや腹を満たす欲求しかないようだ。慌てて杖を持たないまま自分の前に氷の壁を作り出すが、杖のサポートなしでは50㎝四方程度の壁しか発生しない。
「ひっ!?」
青ざめながらリリーティアは思ったよりずっと小さな壁から飛び出す。小さな氷の塊は一口でワームの口の中に納まってしまい、目の前でごくんと飲み下された。氷が胃袋へと送られる様を、薄い体のふくらみの移動で嫌でもわかってしまい、さーっとリリーティアの血の気が引く。
もしリリーティアが飛び出していなかったならば、氷の塊と一緒に彼女もワームの胃袋へ一直線だっただろう。
(やっぱり全力で逃げるしかないのかな……)
リリーティアはもともと攻撃魔法はそこまで得意ではない。すっかりへっぴり腰になりながらもベルトで腰の後ろに括り付けていた短剣を右手で器用に抜き取った。魔法が使えない状況でも身を守るために携帯している、強力な麻痺毒が滲み出す短剣だ。
(大ワームの肌は薄い殻とその奥の弾力のある筋肉のため、かなり刃物の通りが悪く、それだけでなく体を包む泥混じりの粘液が刃を滑らせさらに刃物に対する防御力を高めている……だから並の使い手の長剣程度では傷すらつけられない。刃も短い短剣に非力で軽い私じゃ風の翼を解いて全体重をかけても突き刺したとしても、傷一つつかないかもしれない……刃から滲み出す麻痺毒だって傷つけて体内に送り込まないと意味はないし、あれだけの重量があったら相当量の毒を注入してさらに毒が回り切るまで数十分は待たないといけなくなっちゃう)
リリーティアは短剣を構えたままじりじりと後退する。
(大ワームへの有効な攻撃は大型の弓矢や槍により一気に殻と皮膚を貫く攻撃。または、強力な冷気魔法で体をまとう泥と粘液ごと凍り付かせ体温を奪い動きを封じる……幸い、両方の特性を備えた氷の矢を使えるとはいえ、私の力量じゃ多分貫通力が足りないし、効果があったとしてあの大きさじゃ何百本も刺さないと倒し切ることはとても……)
せめて杖と魔法を強化するために精神を集中する隙と時間さえあれば…
リリーティアは狭い羊小屋の中で自分を捕食しようと襲い掛かる口から、跳ね回り、時には壁を蹴り、柵を盾にしたりと縦横無尽に逃げ回りながらどうにか生き延びる方法を思案する。だが、一向に妙案は浮かばず、それどころか体力の消耗でどんどん息が上がっていく一方だった。
(せめて杖があれば……!)
何度か杖を拾おうとするが、杖は少女を捕らえていた泥の罠に半分ほど沈んでしまっており、なかなか拾う機会が見つけられずにいた。
逃げ回るうちに大ワームの真正面に立つ羽目にな他tリリーティアは、目の前に迫った口をぎりぎりで体をよじりその一撃をかわしながら、その勢いを利用して短剣で切りつけた。
だが、魔法で筋力を強化しているとはいえリリーティアの細い腕では、何倍もの大きさを持つ大ワームの体当たりの勢いに勝てるわけもなく、短剣は大ワームを傷つけられずに弾かれてしまった。
短剣はくるくると回転しながら宙を舞うと、とんっと小気味いい音とともに羊小屋の壁に突き刺さった。
「無理ーーー!!!」
杖も短剣も失ったリリーティアは涙目で叫びながら全速力で羊小屋の入口へ逃げようと駆けだした。だが、パニックを起こしたまま数歩駆けたところでずぷりと足を地面にとらわれた。
風の翼で体を軽くしているにもかかわらずずぶずぶと沈んでいく両足を目にしてリリーティアの顔からみるみる血の気が引いていく。逃げるのに必死で、獲物の自由を奪う沼地の大ワームの罠を思い切り踏み抜いてしまったのだ。
(何か、何か手は……!?)
絶体絶命の状態にガタガタと膝が笑うのを感じながらもリリーティアは必死に頭を回転させる。
もはや逃げることのできないリリーティアで腹を満たすため、口を大きく広げ今まさに喰いつこうとするワームの大口や、めちゃくちゃになった周囲にリリーティアが落ち着きなく目を向けていると、リリーティアが羊小屋についた時には大ワームによって壊されていた柵が目に止まった。
三段の丸太で作られた柵の折れた部分は鋭くとがっており、まるで槍を思わせた。
「氷の壁!」
50㎝ほどの大きさの氷壁だが、それを勢いよく自身の斜め横のあたりの地面から壁を出現させる。氷の壁は地面から出現する勢いでリリーティアの脇腹を強く突き上げると、彼女の身体は罠から勢いよく飛び出した。リリーティアは脇腹を突かれた激痛に渇いた吐息を漏らしながらもどうにか折れた柵の傍の地面に転げ落ちる。
大ワームはリリーティアを突き飛ばした氷の壁を呑み込みながら沼地の中へと飛び込むみ、派手にあたりへと泥をまき散らした。
リリーティアは泥をかぶりながらも壊れた柵をしっかり両腕でしがみつくように抱えた。
リリーティアが大ワームが飛び込んだ沼地のほうへと柵ごと向き直るのと、沼地から大ワームが大口を開いて飛び出すのはほぼ同時だった。天井近くまで伸びあがった大ワームが重力の勢いも利用して猛スピードでリリーティアを呑み込まんと迫る。
大ワームの口からは獲物を捕らえるため返しのついた黒々とした金属質の2対の牙が大きく広げられ、その姿は獲物の恐怖心をあおるには充分であった。
リリーティアは恐怖にたまらず目をつぶりながらも、柵を抱える腕の力は緩めず、来るであろう衝撃に備えた。柵越しに大きな質量の何かがぶつかる感覚と、柵の反対側が地面にずんと深く沈む感覚に引っ張られ、柵にしがみついていたリリーティアはバランスを崩し背中から倒れこんだ。
大ワームの口の中に折れた柵が突き刺さる確かな手応えと羊小屋全体がビリビリと震えるほどの苦痛にうめく咆哮。
(倒した!?)
リリーティアはふらふらと立ち上がりながら、口内に深々と柵を突き刺した大ワームをにらみつける。そんな彼女の目の前にどしゃりと赤黒い血で汚れた、大ワームの口内から抜けた柵が落ちてきた。
目の前に落ちてきたものが自分が突き刺した柵であること、そしてその巨体が倒れていないことを理解し、恐る恐る視線を再び大ワームのほうへと向けると、まるで射殺そうとするかのうような鋭い視線がリリーティアへと向けられていた。
「ひっ……」
立ったばかりだというのにリリーティアは腰を抜かしその場にへたり込む。
大ワームはもう一度大きく吠え、感情のままにリリーティアに喰いつこうとその凶悪な口を向けると思われたが、突然その巨体が重量を感じさせないスピードで羊小屋の壁にたたきつけられた。
「リリちゃん!無事!?」
羊小屋の入り口のほうに目に涙を浮かべたままリリーティアが顔を向けるとウェイトレス姿の女性、ギルドマスターのミストが何かを投げた格好のまま立っていた。普段は提げている折られた剣が鞘しかないところをみると、恐らく大ワームに剣を投げつけたのだろう。
そして、大ワームはというと頭の下あたりをピンで壁に固定されたかのような格好で磔にされ全身をくねらせていた。
目つきが悪いことを気にして普段は笑顔でいるギルドマスターの目は鋭く大ワームを捕らえていたが、その口元はどこか楽しそうに笑っていた。
「みぃお姉ちゃん!?どうして!?」
「面白そうだから私も牧場に向かっていたんだけど、途中でギルドにきた女の子にあってね。強い人に助けを呼んでってリリちゃんが言ってたって聞いたから走って来たのよ」
言いながら目にもとまらぬスピードで地面を駆けると、彼女が踏み抜いた地面が大きく凹み土が舞う。
大ワームがどうにか身体を磔にしていた剣を引き抜くが、すぐにミストの飛び蹴りが頭部を襲う。巨体が面白いように羊小屋の壁を粉砕しながら倒れこんだ。
「トドメ!」
ミストが叫びながら飛び上がると羊小屋の屋根を空中で蹴り、反動をつけて大ワームの頭部へと弾丸のようにつっこんでいく。
ミストにけられた屋根の板は粉々になったが、勢いをつけて振り下ろされた組んだ両手が大ワームの頭部を破裂させるように粉砕する。頭部を失った大ワームはあっさりとぴくりとも動かなくなった。
「いやー、街の中にモンスターが出るなんて物騒になったわね。リリちゃん大丈夫?」
「え、えーとあれはモンスターじゃなくて大型の肉食動物で……」
「うん、大丈夫そうね」
震えながらも説明をしようとするリリーティアをみてほっとしたようにミストはいつもの笑顔に戻った。
リリーティアは冒険者ギルドのいつものカウンター席で試作というキノコの炊き込みご飯を食べた後、なみなみと牛乳が注がれたグラスを両手で握ってごくごくと豪快に飲み干していた。
「んー……いつもよりミルクを飲む頻度増えたしちょっとは背ものびたかなぁ」
グラスを置いて自分の頭の上のあたりで身長を図るように手を動かしながらつぶやくリリーティアにミストは苦笑いを浮かべる。
「そうだ、リリちゃん。一昨日くらいに衛兵団からお知らせ来てたわよ」
「へえ、みせてみせて。あのワームがどこから来たか気になるー」
牧場のひと騒動の後、駆け付けた衛兵達に状況説明を頼まれたリリーティアはぺらぺらと状況と推測を交えた話をたっぷりと時間をかけて時には過去の事例をあげながらえんえんと説明を済ませていた。
「そうそう。私は文字読むの嫌いだから読んでないけどあとで誰かに探させて渡すね」
「はーい。みぃお姉ちゃんありがと」
「だーかーらー、ギルドマスターって仕事中は呼びなさいってば」
ほのぼのとしたやり取りにメイド服姿で給仕をしていたギルドスタッフの一人が冷ややかな視線を向ける。
「『ありがと』じゃないでしょ!みぃ!!あんたちょっとはギルドマスターの仕事しなさい!!もう私がとっくに全部読んで手続きもしてカウンターの引き出しにしまったって言ったでしょ!一昨日どころか先週!!あとみぃがぶっ壊した牧場の修理についても書類来てるわよ!あんたが動くとあれこれ滅茶苦茶に壊すから事後処理がほんっと大変なんだから!!」
「サキ、気が利くわね。お礼くらいいってあげる」
小言を気にせずツンと言い返すミスト。そこからケンカを始める二人を無視してリリーティアは勝手にカウンター側へと行くと引き出しを開いてひもで綴られた報告書を取り出し読みながら席に戻った。
「へー……すごい遠くで討伐依頼が出ていた大ワームだったんだ。討伐隊の気配を感じて雨に乗じて逃げてきたのかなぁ。だとしたら、人里に迷い込むなんて運のないワームね」
本好きの彼女は目を輝かせながらどんどん報告書を読み込んでいく。
レポート内容をみながらあれこれ思案していた彼女に、ミストが声をかけた。サキはというとなぜか地面につっぷしてピクリとも動かなくなっていた。
「そうそう!リリちゃん衛兵団の人がお土産をくれたの。なんと、季節外れのサケカオリタケ!」
それを聞いたリリーティアは急に真顔になる。
「みぃお姉ちゃん……それってどうしたの?」
「衛兵団さんが沼地の調査中に見つけたそうよ。香りはいまいちだったけどなかなか傘も大ぶりで立派だったわよ」
「私がさっき食べたキノコの炊き込みご飯って」
「食べ応えあったでしょう?」
笑顔のミストの答えを聞きながらどんどん青ざめ冷や汗を流し始めたリリーティアは人差し指を立てながら口を開いた。
「それは見た目がサケカオリタケによくにた毒キノコ。チャイロニガリドロキノコですねこれ。症状は……ふふっ…ふひゃははははははは!みぃおねえちゃははははは」
リリーティアは笑いながら、ふらふらと薬茶を求めて歩き出した。